令和二年に読む「絶愛-1989-」
それは2020年、夏の盛りの真っ只中のことだった。出し抜けに「読んでほしい」と友人に渡された3冊の文庫本。
それが、知る人ぞ知る不朽の名作(ということも最近知った)、「絶愛-1989-」だった。
絶愛―1989― 1 (マーガレットコミックスDIGITAL) 尾崎南 https://www.amazon.co.jp/dp/B00N1RVQPC/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_x8SyFbZDQK5B3
※試し読みできます。
もともと全く知らない作品というわけではなかったんですけど、周囲の絶愛有識者により刷り込まれていた印象は「ネタとして面白がるもの」だったので、話の中身はほとんど存じ上げず。この作品が生み出された背景とかも全く知りませんでした。
だから逆に、こんなにダメージを受けるとは微塵も思わずに読んじゃったんだよね。
まだ絶愛に出会っていない人にはぜひ一緒にこの疲労感を味わってほしいと思う。深くのめり込んだ故の心地よい疲れ…とかではない。マジの疲労。ガチの体力的ダメージ。
でも疲れたからといって面白くなかったとか、苦手だとかそういうんじゃないんですよ。なんかうまく言えないけど、すごい"残る"んですよ。
どれぐらい残るかっていうと、読み終わって三日経ったのにまだ口の中で味がしてるぐらい。
メインの登場人物は、16歳にして超人気歌手の南條晃司と、複雑な家庭事情を抱えるサッカー少年の泉拓人。
心にも身体にも大きな傷を抱える拓人と、天に百物くらい与えられていながらも性格は冷めきっている晃司がひょんなことから出会う(再会する)ところから物語は動きだします。
同性でありながら、拓人に強く惹かれてしまう晃司。ブレーキの効かないその想いは留まることを知らず、それによって様々なトラブルや苦悩・葛藤が生まれ、周囲をも巻き込みながら、愛とはなにか、幸せとは何かを二人それぞれが追い求めていく決着の見えないストーリー……。
このざっくりとしたあらすじだけだと、特に風変りな要素は感じないと思う。でもこの「ざっくり」をもう少し噛み砕いて絶愛のフェーズで説明しようとすると私には難しすぎて、とにかくあのジェットコースターを体感してもらわないことにはわからないものだとしか言いようがない。
帯を飾る言葉たちから伺い知れる、絶愛の世界。
描かれる線は細く、少女雑誌らしい繊細さがあるかと思いきや、作者渾身の力強さが時にそれを驚くほど鋭く冷たく見せ読者を圧倒する。そしてモノローグの三点リーダがアツい。
私は、そんな言葉のチョイスや紙面上の端々に尾崎南イズムを感じつつ、いつしかかつて00年代前半に流行したテニ●リの同人誌のことを思い出していた。
その頃は、テ二●リ以外の二次創作もこんな雰囲気の本が多かったのではないか。みんな好きなキャラを†堕天使†にしていたあの頃……。
十代半ばという若さにしてはダークでヘヴィな家庭事情を抱えていたり、その若さで酒・煙草・セックスを存分に嗜んでいたり、なぜか一人で高級マンションに住んでいたりする。女の運転するフェラーリで学校の送迎。頻繁に起こる流血沙汰。これこれ。これですよ。そして斜に構えまくってて荒んでたりする"俺"が、生まれて初めて狂おしいほど真剣な恋に落ちる唯一無二の相手に出会う。
それこそが、運命――。
我々の世代の根底に刻み込まれているこれらのセオリー。もしやすべてのルーツは……絶愛……?!
BLのルーツとか歴史とかほぼ知らない人間なんですけど、連載当時は爆発的人気だったそうなので、後世に与えた影響は大きいんでしょう。きっと。私が2020年に読むことになるぐらいだから。
だとすれば私は絶愛の流派(?)から生まれた作品を数多く読んで自我を育てられてきたので、とうの昔に絶愛と出会っていたと言っても過言ではない。
晃司と拓人じゃん?(ではない)
ちなみに私は去年「G・DEFEND(ジーディフェンド)」(以下GD)にハマった人間でもあるので、絶愛と同じくまだボーイズラブという言葉すら生まれていなかった頃の(そしていまも愛され続けている)古典的表現にはそこそこ耐性があると自負していた。その古典を楽しめる価値観を自分は持っているとも思っていた。
G・DEFEND(1)-森本秀
https://www.amazon.co.jp/dp/B01452VIP4/ref=cm_sw_r_tw_apa_BOSyFbH48PTXS
なんと1993年の連載開始から今日まで続いていて、2020年10月に最新刊65巻の発売も決まっている。こんなにも長く連載しているBL作品を私は知らない。ハードな展開もあるけど基本はハートフルでツッコミどころが満載。登場人物のほとんどが男同士でくっつく世界観は突き抜けていて面白いが、好きなキャラが望んだCPにならない場合は唇を噛みちぎる。
Kindleアンリミテッドで1〜49巻読み放題。
しかし絶愛にそれは通用しなかった。独特の表現技法がちょっと面白いところもあるし、お約束っぽいセオリーもある。でもなんというか、古典が古典として確立する前の原型なのか、もしくはこれが尾崎南独自の世界観なんだろうと私は感じた。
(そもそも厳密にはBLではないんだろうしルーツのひとつであって型ではない)
絶愛はひたすらに重い。ひたすらにハードだ。さらっと描かれているひとつひとつがだいぶエグい。
でも何が一番ヘヴィなのかと言うと、内容もさることながら作者のパッションの質量が尋常じゃない。迫真という言葉を絵にしたら絶愛になるかもしれない。
こんなに作者の怨念のような力強さを重厚に感じる作品はなかなかないだろうと思う。特にBLでは。命を削って描いていることが切々と伝わってくる。だから読んでいるこちらも疲れる。さらっと読もうとしたのになんか読めなくて、流すように読んでいるつもりがいつの間にか作品の持つパワーに圧倒されている。
そして何も知らずにたどり着いたラストがまた衝撃的で、正直、ここで終わり!?とその時は拍子抜けした。けれど、たぶんあの幕切れだからこそ当時の読者の心にも強烈にこの物語が刺さって残ったのではないだろうか。
二人はどうなるのか、どうなったのか、読者に託された想像上の未来。
尾崎南の燃え尽きゆく魂の叫びを聞きながら、私は彼らの行く末を想いながらそっと本を閉じた——。
ENDLESS END
・ZETSU AI・
―1989―
ハァ……。
あと、絶愛の文庫版には(単行本は知らない)3冊すべての巻末に、尾崎先生の親友だという相川七瀬氏からのコメントが寄せられている。それらが非常に味わい深くい、かつシビれる内容なので絶対に読み飛ばさず併せて楽しんでほしい。
相川七瀬は絶愛の世界の一部であり、絶愛は相川七瀬の一部だったのだ……。
かつて親しんだヒットソングの裏に絶愛が隠されていたこともまた、自分がそうとは気づかないうちにこの作品と接点を持っていたという事実を明らかにした。
令和二年の初秋、本当の意味で「絶愛」に出会ってしまった。
一応言っておくと、別に読んでめちゃくちゃハマったとか、好き!という感情ではない。正直。ただとにかく圧倒されて刺さった作品ではあったのでこの感情を書いておかなければ……となったため書きました。
でも私の言葉で語っても絶愛の"凄み"が陳腐になってしまうから、気になる人はとりあえず読んで、あの超重量級のパッションを全身に浴びてみてください。