辛かったけどやって良かった六本木のハコバン
『フルカワく〜ん。ハコバン一緒にやらない?』
先輩ベーシストからの電話でこんな誘いを受けた。
ここで言うハコバンというのはアレだ、
ライブが観れるバーでレギュラーで演奏しているバンドのことだ。
当時有名店がいくつかあったが、
今で言う六本木のテレビ朝日の目の前あたりの地下に
新しいライブバーが開店するようで、先輩ベーシストが
どこからか話を持ってきたらしい。
こわ〜と思いながらも何事も経験だし
仕事になるのなら願っても無いという精神で
よろしくお願いしますと返事をした。
先輩曰く、
『俺一人だと時間の拘束とか曲数きついから半分ずつ
分け合おう!そうしたら負担半分で他のこともできるよ』だそうで。
ちょっと安心した。
結局先輩は最後まで一回も来なかったけど。(笑)
地獄のコピー
一通り挨拶やら顔見せをしバンド結成
バンドリーダーは当時50代くらいのギタリスト、
有名なハコバンに所属していたらしくついに自分の店を持つ感じ。
残るメンバーは30代半ばくらいのハコバンは初めてという
ドラマーとヴォーカリストのおにーさま方、
そして22歳くらいの俺。超若造。
ほぼ20年前だけどはっきり言って今より手は動くし、
今では文句タレタレでやるような難しい曲も
難しい程うっひゃーとか言いながら楽しんでいた時期、
ハコバンではオールディーズメインのバンドだったので
曲の難易度的なことは楽勝でしょうって舐めてた。
実際曲は簡単だった。短いし。
顔合わせの時にバンドリーダーから
『これが3日後に合わせる曲だから』とMDを1枚渡された
MDプレイヤーに渡されたMDをセットすると
中には20曲のオールディーズが入っていた。
簡単だけど3日後に20曲となると音拾って
譜面にすることまでしか時間ないなー。
ま、曲簡単だから練習出来なくても音合わせの日に
譜面見ながらやればいけるっしょ。と
簡素な譜面とはいえ物量的にまあ大変だったけど
音合わせも難なく終えた後にリーダーから
『なんで譜面見てるの?客前で譜面見る気?』
ウップス。そんな理不尽な(笑)
と、思いつつもすいませんと謝る自分。
そしてリーダーから来週音合わせやる曲だからと
またMDを渡された。
中には21曲。
もうね、アホかと。これも譜面見るなルールだと
これまでの20曲暗譜+21曲コピー&暗譜を1週間でやれと。(笑)
こっちも意地で必死こいてなんとかやりましたけど。
音楽の仕事は技術とか知識だけで戦える場所でないと
一番初めに突きつけられた現場でした。
今思えばそんなに頑張るとこじゃないし
『本番までには覚えます〜テヘッ』とか言って
やり過ごせば済んだ話なんだけど。
当時は世渡りが全然下手だったんですね。
まあ一度頭に曲入れてしまえば演奏自体は辛いこともなく、
むしろ当時狛江から原付で六本木までベース背負って通うことだったり
零細ライブバーでありがちなバンドも接客しなきゃだったり
ママの小言(笑)とかの方がめっちゃ辛くて
半年くらいで自ら辞めたのだか、経営がうまくなくて
バンドが解雇されたんだかになりました。(記憶が曖昧)
なんだかんだで経験は宝
辛すぎた思い出の方が多いけど、
代わりに耳コピと暗譜の速さ、
強靭な精神力を身につける事が出来ましたとさ。
とはいえ、やってみて本当に良かったと思うこともあって
クリエイティブな音楽をやって行くには
曲のコピーというのはとても大事なことで、
普通だったら通らなかったであろうオールディーズの曲を
60曲くらい演奏して体に入れたことは貴重でした。
オールディーズ系のベースラインを知ることはもちろん、
のちにアレンジや作曲に重心を置くようになるにあたっても
その経験を存分に生かすことになるのです。
リーダーがベンチャーズが得意でたくさん演奏しすぎて
当時ベンチャーズ大っ嫌いでしたが(笑)今となっては
得意アレンジの一つです。
↑この曲の編曲はその経験が存分に発揮されていて
サーフミュージックのベーシックリズムは体に染み付いていたし
いわゆるギターのテケテケだったり深いリバーブで弦をスクラッチする
お約束フレーズだったり、
サーフミュージックを彷彿させる、これでもかというほどの
コーラスワークなどてんこ盛りされています。
戸松っちゃんはそれこそたくさん編曲させてもらってますが
この曲の編曲で(実際にはこの前に1曲、作編曲あるが)
プロデューサーに面白がってもらいその後多く起用していただける
きっかけになりました。
どんな経験もきっと未来の糧となる。
これはきっと間違いないのだろうと。
何事も体験しないよりはした方が人生はきっと豊か。
もし辛いだけで何にもならなくても笑い話くらいにはなるだろうし
あ、犯罪はダメ絶対。
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