ゆどーふ記事感想(2022/10/28)
今日更新のゆどーふ様の素晴らしい記事、拝見しました。素晴らしい内容で是非コメントを元記事の方に投稿したかったのですが、ゆどーふ様にブロックされていてコメントを投稿できないので感想記事として書かせていただくことにしました。
まずは上記リンクより引用元の記事を確認して頂いてからこの記事を読まれること推奨します。ゆどーふ様の記事より先にこの記事を読んでしまい、その内容をネタバレとして知ってしまう事自体が引用元の記事に書かれている内容に反する事になるので、これ以降は元記事を読まれていることを前提とした内容になります。
1. 記事の要旨
今回の記事の要旨としては、「情報を多く持っていることが常に幸せな事とは限らない」という事になります。
インターネットを介することによって人は情報を気軽に大量に取得することが可能になりました。そして、人が触れている情報量の多さがその人のにとって一種のステータスとして捉えられる場面も出てきています。
しかし、本当に情報を多く持っていることがその人にとって良い事なのかについてゆどーふ様は疑問を投げかけています。
氏曰く、娯楽というものはそれを見る人がその内容について「知らない」事を前提として面白さが構築されており、多くの情報を集めることに躍起になる事で娯楽の内容を知ってしまい、娯楽の本質的な面白さを享受する機会を失ってしまう(いわゆる「ネタバレ」)が発生してしまう可能性がある述べています。また、人間には新しい情報を得る事によって何らかの感情の動きを強制される性質があり、多くの未知の情報を取得することで感情が必要以上に動かされる機会が多くなり、結果として疲れてしまう事があると述べられています。つまり、新しい情報に触れる機会を意図的に少なくすることによって娯楽を驚きをもって楽しむことができるようにしたり、必要以上に「情報疲れ」しないようにしたりする事も情報社会の中で生きる一つの方法なのではないかと提案しています。
2. 記事内で掘り下げられていない内容
元記事の趣旨は1.で述べた内容が主となるのですが、途中で触れられていない内容が登場します。それが本文序盤に出てくるこのワードです。
“どこから仕入れてきたか分かんない情報、当事者でもない人が誇らしげに語ってて恥ずかしくないの?”(元記事より引用)
この言葉が見られるのは本文序盤、情報を多く持っている事をステータスと感じている人からマウントを取られた事に対するゆどーふ様の反応を表す部分になります。この内容に対する反論としては、「情報を多く持っている事が常に良いという事ではなく、持っている情報が少ないという事にもメリットがある」という事が適切でしょう。実際、これ以降の部分では
"でも「情報はなんでも持ってた方がいい」と言う思想には私は賛同しかねます。
「知らないほうが人生楽しい」という人だっているからです。"(元記事より引用)
と述べられており、「情報を多く持っている事は良い事である」との考えに疑問を呈する形で論が展開されていきます。
しかし、“どこから仕入れてきたか分かんない情報、当事者でもない人が誇らしげに語ってて恥ずかしくないの?”という部分ではそれ以外の部分で述べられている「情報の量」という内容ではなく「情報の出どころ」や「情報の質」のような内容について疑問を呈する形式になっています。
私はこの論の展開に疑問を感じました。どうして突然「情報の出どころ」や「情報の質」のような内容について触れ、しかしそれ以降掘り下げられる事がなかったのでしょうか。情報の出どころ(ソース)さえしっかり保証されていれば情報の量は多くても構わないということでしょうか。それは後の論の展開を考えても違うと言えるでしょう。この部分の意図については私の方でも本文の内容と照らし合わせて考えてみたのですが、恥ずかしながら結論はまだ出せていません。もしかしたらゆどーふ様は情報のソースについても述べようとしていた内容があったのかもしれませんし、偶然の誤植かもしれません。ゆどーふ様にはぜひ意見を伺いたいと考えています。また、私の理解力不足でゆどーふ様の述べている内容を間違えて解釈している箇所があるかもしれません。その際は是非コメント等で教えて頂けると私の知見が広がる事にもなるのでとても有難いです。
3. 記事を読んでの感想
今回の記事は私が今まであまり考えた事のない内容に触れられており、ゆどーふ様の考察の深さに驚かされるばかりでした。私もゆどーふ様同様、広い知識を持っている訳ではなく「情報弱者」に分類される事が多い人間なので「情報量マウント」とまではいかずとも「情報量の格差」のようなものを感じる機会は多いです。
しかし、私がゆどーふ様と異なる考えを持っているポイントとしては「情報を狭めることによる特別なメリットを感じてはいない」という所です。
私の情報収集の特徴として、「興味が及ばない範囲の情報については情報が入ってきても大きくは感情が動かず知識として自分の中に取り込もうという意識が働きにくい」という事があります。つまり、様々な情報を受け取っていたとしてもそれを知識として蓄えるかのフィルターにかけた際にその多くが零れ落ち、気にも留めない情報と認識されているので感情が動くこともなく本文中で述べられている「情報疲れ」が起こりにくいのだと考えています。
また、娯楽を楽しむ事を妨害されるのを避けるという観点についても異なる考えがあり、受け取る情報を制限する娯楽の種類を自分の興味のあるものについて限定することで回避することが可能だと考えています。現代ではゲーム、映画、漫画など様々な娯楽が供給過多気味で溢れており、現実的な問題としてそれら大量の娯楽全てを鑑賞して楽しむことは不可能といえます。つまり、「ネタバレ」を避けると言っても娯楽に関する情報すべてを避ける必要はなく、自分の興味のある娯楽やこれから鑑賞する機会がありそうな娯楽に関してのみ情報を受け取るか精査すれば良いということになります。そうすることで一部の娯楽に関する情報のみを制限することによって、まだ自分が知らない領域の娯楽について知る機会が生まれ、新しく興味を持つことが出来る分野を増やせる可能性があります。このように自ら情報を遮断することなく様々な情報を受け取っておくことには、その中から自分が新たに興味を持てる分野をみつけられるというメリットがあります。
4. 終わりに
ゆどーふ様、今回も素晴らしい記事をありがとうございました。ゆどーふ様の記事は同じ内容をAmebaBlogの方でも読むことが出来るのでリンクを載せておきます。
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