俺の日記(3) 神聖なる週末
11月11日土曜日。この日、都内の天気は曇り。
最高気温は18度と一気に冷え込みが進み、街中には長袖の人であふれていた。
俺は仕事では繁忙のあまり脳がオーバーヒート、相場では某有名下手糞ヘッジファンドマネージャーの予測に逆張り結果完敗しボコボコに叩かれるといった状況でかなり限界ギリギリだった。
このまま何もすることなく色々ためこんでいたらどうにかしてしまいそうだったので都内の有名神社に運気を貰いに行くことにした。
古の記憶
明治神宮では「待ち受けにしていると幸運になる」と根強い人気を誇る清正の井戸に初めて訪れた。
晴れた日の午前中に訪れるのがベストなスポットに曇った日の正午に訪れるという60点程度の行動をしてしまったが雨が降ってなかっただけよかったと思いたい。
赤坂に移動したら昼は京風しゃぶしゃぶ。前菜の炙り鯖寿司やお造りも美味しい。すき焼きは家でも出来るがしゃぶしゃぶは店に行った方が断然良い。
日枝神社、豊川稲荷東京別院、小網神社、神田明神とよく行くお馴染みの神社を回り厄除けと金運アップを祈願したらすっかり夜が更けていた。
日の短さで年の瀬を感じる。
さて、ここからどうしようか。
ふと俺の中に一つ思い出したことがあった。
『Mr.逆神』『SPARK敢闘賞受賞者』『高値更新見届け人』『マシンガン上京』の異名を持つ有名投資系インフルエンサー岐阜暴威にまつわる事だ。
この男、資産が1000万以上ある割に上京後のホテル代はとことんケチる。
金がなかった頃はABホテルで泊まる事を豪遊と称していた男。
今や心配せず各種ビジネスホテルやもう少し高価格帯の宿泊も出来るまでになったというのに未だに現地で低価格の宿を必死こいて探している時がある。なぜ事前に調べてこないのか。
岐阜さんが重宝するのがラブホテルだ。行き当たりばったりが直らないケチな男にとって、(週末除き)ふらりと寄れて価格が抑えられてアメニティも一通り確保されているラブホテルはまさにうってつけ。それでも価格に文句垂れる事があるがそれが岐阜暴威という男だ。
そんなある日、配信で岐阜さんは衝撃的なホテルに泊まった。
場所はあの鶯谷だ。
「うわっ、ここ汚そうだなあ・・・汚そうだなあ・・・・・汚そうだなあ!!」
思わず3回繰り返してしまうほどなんらかのオーラを入口で感じた岐阜さん。
それでも長旅の疲れもあり一刻も早く横になりたい彼は堪忍して入館。
宿泊代を払い5回の部屋に入ると意外と綺麗で広い部屋。
安心しきった岐阜さんが次に風呂場を覗いた時、凄い光景が視聴者の目にとびこんできたのだった。
テトリスと見間違うかのような佇まい。レトロ感爆発しているタイル張りのこじんまりした浴槽に言葉を失う岐阜さん。
「これなら池袋のエーゲ海に泊まった方がよかった!!」
そう吐き捨てながら岐阜さんはテンションを無理矢理上げて鏡の前で奇天烈なパンツ踊りをしたのだった。
一部コアなリスナーからは伝説となっているこのホテル。
一度は試しに泊まってみたい。
鶯谷に出来た岐阜暴威の聖地を気にしながら、いつの間にか配信から半年以上経過していた。
ここで思い出したのもなにかの縁だろう。
秋葉原駅から山手線で3駅。
車窓越しからラブホテルの看板が視界をジャックしてくる。
ここが「山手線沿線一のディープスポット」と言われることもある鶯谷駅周辺である。
発見
上京当初は鶯谷駅の事を「わしだに」とか「さぎのたに」とか適当読みしていた。別に誤読しても支障はない。だって降りる所用が全くないから。
当時埼玉県民だった俺は池袋を中継地にして上野の美術館に定期的に行っていた。すぐにでも上野につきたい身としては田端とか鶯谷がなんのために存在しているのか邪魔で仕方がなく、潰してほしいとさえ思っていた。日暮里は有名だからなんとなく許していた。
そんな俺も数年経つと鶯谷駅に降りるようになった。デリヘルを呼ぶためだ。
オプションの2000円は屁でもないが交通料は1000円も払いたくない。鶯谷周辺は交通費無料を掲げる店が多いから行かない理由がないのだ。
看板や街の独特な雰囲気に圧倒される事もなくなったし、南口から出てしまい目的地へ遠回りしてしまうミスもしなくなった。それを進化と取るか退化ととるか、その答えはまだ見つけられていない。
堂々と北口改札を出て右に曲がる。
北口から南に向かって伸びる線路沿いの道。
右手には線路、左手には居酒屋がいくつか軒を連ねている。建物の影には路上喫煙者が忍者のように潜んでいる。
日本の電車は規則正しく動く事で有名だが、一方で酔っ払いはこの世で最も不規則な行動をする連中だ。
山手線は陰陽道に基づいて都内に結界を張るために通らされたという都市伝説があるが、たしかにこの小さい路地には陰陽がくっきりと示されている。
自転車に乗ろうとしている酔っ払いを更に酔っぱらっているおっさんが「乗ったらダメ」と止めている光景を目撃した。
ここに美しき人類愛を見出せたらいいのだが、先に喧嘩が起きるんじゃないかと心配する気持ちが勝ってしまう。
2分ほど歩くと岐阜暴威が「汚そう×3」と酷評していたホテルが見えてきた。
ホテルE(仮名)。
建物の外観を見るとそこまで汚らしい感じはしない。
中に入るとフロントまでの間に1段段差があった。地元の小さな健康ランドの入り口に雰囲気が似ている。
思わず靴を脱ぎそうになるが土足で構わないようだ。
宿泊や休憩については券売機で選んで購入する。ラブホに入ったつもりだがいよいよ健康ランドと錯覚してきた。
券売機に6800円つっこんで券を出すとフロントから鍵を渡される。
1階には紫色に光るライトが通路の端に数個置かれていて少し映えている。
フロント周りとは雰囲気がかなり異なっている。
本当にここにタイル風呂はあるのだろうか?
エレベーターで2階に上がると雰囲気は一変。薄暗くてボロい昭和を感じる出で立ちに変わった。
1階の本気を10%くらい2階に回せよといいたい。
言われた部屋に行くと無骨な扉がお出迎え。
開錠は比較的スムーズに出来た。
しかし閉める時にドアを手前に力強くひっぱらないとダメだ。この建付けの悪さ、期待させてくれるぜ。
ご対面
玄関からは左手に便所、真正面に風呂場、右にリビング。
便所は和式なんじゃないかとビビってしまったが、洋式だった、
リビングルームにいくと薄暗い照明と巨大なTV、そしてボロボロになったマッサージチェアがお目見え。
店のHPでウリにしていたマッサージチェアだが、いくらなんでも破れ過ぎじゃないだろうか。
更に面喰ったのが照明だ。スイッチが2つあるが「照明は同時には使用できません」と書いてある。ブレーカーでも落ちるのか?
薄暗い照明だとよく見えないのでスイッチで切り替えると部屋が一気にケバケバしくなった。
天井から煌々と紫色の光が放たれている。
紫は好きな色だ。でも眼精疲労気味の眼にはかなりデンジャーだ。
部屋の照明を熟知したらいよいよ岐阜さんが言葉を失った風呂場だ。
タイル張りの風呂は親戚の家にあったがいつの間にかハイテクに改修されており、とうとう入れずじまいだった。
幼少期のほのかな憧れと興味が叶うなんて、生きてりゃいいことあるもんだ。
出たー!!!
身体が擦れた途端出血するんじゃないかと思わせるほどのゴツゴツ感。
いまいち謎な傾斜。
足を伸ばす事を絶対に拒否するコンパクトサイズ。
年季が入って所々破損している所もヴィンテージファン垂涎の一品だろう。
壁にタイルがくっついてるのはなんだろう。防弾仕様なのかな。
加えて床もなんか濡れている。
これは岐阜さんが「しまった!!」と叫ぶ気持ちも分かる。
スリルな夜の始まりだ。
とりあえず伝説のタイル風呂を見れたので湯を張ることにしよう。
栓をしてレバーを下ろすと想像を遥かに下回る勢いでお湯が出てきた。
四次会のションベンの方がまだ勢いある。
俺はお湯を張りたいのだが、風呂桶には小雨が降った後のアスファルト程度しか水分がない。一体これは何分かかるのだろう。
仕方ないのでしばらく部屋に戻って身支度をする。
部屋がちゃんと広いのは幸いだ。手持ちのトートバッグからモバイルバッテリーやタオル、無造作に投げ入れたレシート類などを取り出し整理する。
洗面台に行くと歯ブラシが2本ありコップは1つしかなかった。これについては時折あるから「あーこのタイプか」くらいで納得してしまう。
しばらくポケーッと歯磨きした後、時計を見るとお湯を張り出して10分経っていた。
流石にそろそろ溜まってきたんじゃないか?
風呂桶を覗きに行くと10%くらいしか溜まっていなかった。
これは最低でもあと40分くらいは時間が必要になる。
でも今日はとても寒く身体は相当冷えているのだ。なんとかお湯に入りたいんだ。
リビングに戻ると究極の暇つぶし手段を取ることにした。このホテルのTVではYouTubeが見れる。
そう、岐阜暴威を見るのだ。
チョイスした10日の岐阜暴威YouTube配信は暴言のオンパレード。
「ナスダックふざけんなよ!」「なんで高値更新するんだよ!」「さっき8万円でなんで切れんかったんやマジでー!!」と顔を真っ赤にして激昂する岐阜暴威をゲラゲラ笑いながら見る。
この時間の鶯谷で岐阜暴威見てるのは俺だけだろう、
流石時間つぶしにはもってこいだ。いつの間にか30分以上経過していた。
流石にかなりお湯は溜まっているはずだ。
服を脱いで洗顔と髭剃りを手に持ち風呂場に行く。
水量はさっきと全く変わっていなかった。
チェックアウト
流石におかしい。
タイルのどこかに亀裂でも入ってるんじゃないか。
俺のタイル風呂入浴の夢は目の前からふっと消えてしまった。
なんでラブホテルの一室でこんな儚い気持ちにならなきゃいけないんだ。
仕方なくシャワーで全身を清めることにした。
ショーーーーーーーー
弱っ!!!
とても優しい水圧でシャワーヘッドから水が出る。最近流行りのマイクロバブルってやつか?一回浴びたことあるけど流石にもっと強かったぞ。
タイミングの悪い事に今髪を伸ばしているため、水が多く必要だ。このマイクロバブルもどきでは足りない。
それでも一応シャンプーに挑戦してみる。シャンプーは普通の業務用だ。可もなく不可もない。
軽めに洗うと弱弱しいシャンプーでちょろちょろと泡を流す。少しずつ流れていくが時間がかかる。根気が要る作業だ。
やっと八割くらい流したと思ったあたりから足元が少し重たい。
まさかお化けか?と薄目を開けると足元には白い泡が混じった水たまりのようなものが広がっていた。
床の排水が極度に悪く水がほぼ流れていないのだ。
来た時床がしっとり濡れていたのはこれが原因だったのだ。
全部が全部の部屋がこういう仕様ではないと思うが、まさか厄払いした直後にこの部屋を引いてしまうとは。
そもそも面白半分で「相場界の特級呪物」岐阜暴威の宿泊地(聖地)にわざわざ泊まりにいった自分があまりに浅はかだったのだろう。
床はこれ以上使えずに風呂桶のお湯を抜きシャワーをすることにした。
流石に風呂桶の排水は大丈夫だった。
リビングに戻るとベッドサイドにある照明と壁が気になった。
こういうデザインなだけ、で終わらせることは簡単だ。
でもこういう変色した壁は剣でつついたり爆弾で破壊しろとゼルダの伝説から教育されている。
この向こう側にはとんでもない大穴かヤバくて見せられないものでもあるんじゃないのかと思うとワクワクしてくる。
鶯谷駅が近いからか電車の音は絶えず聞こえてくる。
壁は薄い。従業員の話声がモロに入ってきてるくらいだ。
今まで俺が使っていたホテルは物凄い充実していたんだと思ったが、大体「ラブホ ○○(エリア名) おすすめ」で検索して上位に出たところに行ってるんだから当然だ。
3時間だけでもバリバリ取られるから、月末にカード明細見ると謎に高い請求があって一瞬なんのことか分からず混乱する。
体力が限界を迎えていたのだろうか。そのままベッドに倒れ込むと翌朝の9時頃まで爆睡してしまった。
朝にシャワーを浴びるのが日課だが流石に今回はやめた。
岐阜さんが泊まっていなければ多分一生泊まる事はなかっただろう。
おかげで探検家気分を味わえた。明日から鶯谷のインディ・ジョーンズを名乗ってもいい。
帰り際。あの建付けの悪いドアの傍らに注意書きが書いてあるのが見えた。
【裸で部屋の外に出ないでください】
おっちょこちょいがセックス後にそのまま部屋から出て自販機にでも行こうとしたのだろうか。せめてバスローブは羽織れよと。
この注意書きの理由が判明したのは帰宅後にホテルの口コミを見ていた時だった。
「このホテルは激安ですがレトロ感が凄くてそこがマイナスポイントです」
こんな口コミがあり読み進めると「でもそのマイナスポイントを打ち消すくらい通な遊び方があります」と書いていて吹き出してしまった。
通な○○と言えば誤魔化せられると思うんじゃねえよと。
その口コミはこう結ばれていた。
「このホテルは監視カメラもオートロックもありません。部屋の行き来も自由です。露出プレイやスワッピングの聖地でドキドキできます。」
何という事だ。
俺はここを岐阜暴威の聖地としていたがまさか既に別の聖地になっていたなんて。
このままではあのホテルがエルサレムのような扱いになってしまう。あんな濃厚レトロなホテルを巡って血を流す争いが起きるくらいなら俺は一足先に降りるぜ。
こうして神域と聖地を巡る週末は終わった。
都内でも屈指の神聖オーラを身につけた俺は今後無敵の存在になるだろう。
もし状況が全く好転しなければ明らかに聖地で超絶マイナスポイントを喰らったのだと諦めよう。