#01 尾道編③ 地域への危機感がつなげた街づくりの輪
風土の異なる3つの都市を訪れ、フィールドリサーチを通して街づくりの未来を探るプロジェクト。
広島県の尾道といえば、昭和レトロな情緒あふれる街並み、『東京物語』『時をかける少女』をはじめとした映画の聖地、絶景の島々を巡る「しまなみ海道」のサイクリングまで。この瀬戸内屈指の観光の街がいま、地域発信型の取り組みで、大きな注目を浴びています。
尾道に新たな人の流れを呼び込んだ複合施設「ONOMICHI U2」など、画期的な試みを打ち出してきた「ディスカバーリンクせとうち」。果たして、そのめざすところとは? 立ち上げの経緯からユニークなプロジェクトの背景まで、代表取締役の出原昌直さんに話を聞きました。(インタビュー前編)
▶ 前編 ② 変革の象徴「ONOMICHI U2」のデザイン戦略
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デニム、自転車、シェアオフィス……話題を集めるユニークな取り組み
世界中から「しまなみ海道」をめざして訪れるサイクリストたちの受け皿として、尾道の魅力を新しい形で発信してきた「ONOMICHI U2」。その成功を導いたのは、自らも街の一員として地域の魅力を掘り起こし、人々とともに発信していく姿勢でした。
実はこの考え方は、「ONOMICHI U2」の企画・立ち上げから5年間にわたって運営を手がけてきた「ディスカバーリンクせとうち」の活動理念とも一致します。同社は瀬戸内の魅力を生かして新たな事業と雇用を創出するべく、2012年に設立。尾道・鞆の浦エリアを拠点として、古民家を改修した滞在施設「せとうち 湊のやど」や、尾道の人々が穿き込んで味わいを深めたユーズドデニムを販売する「尾道デニムプロジェクト」などを展開。初めての大規模な取り組みとして「ONOMICHI U2」のプロポーザル事業に手を挙げました。
その後、尾道市の公募事業として市の倉庫をシェアオフィスに改修した「ONOMICHI SHARE」や、尾道発のオリジナルデザイン自転車のブランドショップ「BETTER BICYCLES」、地域の人々が自由に学び教え合う場「尾道自由大学」などを展開。日本全国でフランチャイズ店やショッピングモールの出店による街の画一化が問題となる中で、地域の個性を地元の人々自身が発信する取り組みを次々に打ち出し、日本各地から視察が相次ぐなど、大きな注目を集めるようになりました。
しかし、尾道といえばもともと名の知れた瀬戸内有数の観光地。にもかかわらず、どのような意図で新たに活動を立ち上げたのか。そして、どうやって地域の人々の共感を広げてきたのでしょうか。ディスカバーリンクせとうちの代表取締役である出原昌直さんに、同社の設立につながった尾道の現状や活動の経緯、今後の街づくりのビジョンについて話を聞きました。
ディスカバーリンクせとうちの展開事業より、海沿いの倉庫をシェアオフィスとして改修した「ONOMICHI SHARE」と、商店街という立地で地域に密着した自転車店をめざす「BETTER BICYCLES」。
ディスカバーリンクせとうち代表 出原昌直氏インタビュー(前編)
出原昌直(いではら・まさなお)
1969年、広島県福山市生まれ。法政大学経済学部卒業後、伊藤忠商事を経て、2000年にアパレルの卸・小売りなどの会社を設立(現・ディーフィールド)。12年、瀬戸内の魅力を生かして新たな事業と雇用を生み出す会社としてディスカバーリンクせとうちを設立し、代表に就任。15年4月より広島県議会議員。現在、広島県アパレル工業組合理事、しまなみアーキラインプロジェクト副委員長などを兼務し、尾道〜福山を中心とする地域の活力を次世代に受け継ぐために活動する。
私は現在、ディスカバーリンクせとうちの代表取締役と、広島県議会議員、そして繊維会社ディーフィールドの代表として活動しています。ディスカバーリンクせとうちの設立に関わる話ですが、私の地元は尾道市の隣に位置する福山市です。この一帯はかつて「備後(びんご)」と呼ばれ、「日本三大絣(かすり)」の一つとして知られる伝統産業の「備後絣」など、古くから繊維産業が盛んな土地でした。現在でもデニム生地のトップメーカーである「カイハラ」をはじめ、作業服やユニフォームで国内最大のシェアを誇っています。私の父も卸の会社を経営していましたし、子どもの頃は同級生のお母さんたちが縫製の内職でミシンを踏む姿を見て育ちました。
私自身も2000年に大阪で繊維の会社を先輩と2人で立ち上げ、3年後に地元へ戻ってカジュアル服の卸・小売りを中心に展開してきました。でもその中で実感したのは、この数十年間で町工場の数が激減し、生産の場が海外へ移転してしまったこと。“繊維の街”と言いながらも雇用は大幅に失われており、私の会社でも海外製品ばかりを扱うなど、これでは戻ってきた意味がないと思うようになったのです。
そんな中で転機になったのが、地元の先輩が新たに会社を立ち上げるという話でした。先輩は福山で造船業に携わっていたのですが、造船業の海外移転が進む中で、街と雇用を守るため、新たな産業として観光事業に取り組みたいというのです。私も参加することになり、ディスカバーリンクせとうちを12年に立ち上げ、代表に就任しました。
最初の取り組みは、尾道と鞆の浦の古民家を次世代に残すための宿泊事業。尾道では「せとうち 湊のやど」と銘打って、山の手の坂の上で「島居邸 洋館」と「出雲屋敷」の2軒を展開しています。次にスタートしたのが「尾道デニムプロジェクト」です。これは、農家や漁師、職人、商店主など、尾道で働く人々に1年間、実際にデニムを穿いてもらい、それを尾道発の“本物”のユーズドデニムとして販売するというもの。街の人々に協力してもらい、みんなで尾道を発信しようという構想で、価格は約2〜4万円台。決して安くはない金額ですが、これが大きな話題を呼びました。
続いて手がけたのが「ONOMICHI U2」。それまでとは規模が大きく異なり、私たちとしても初めてのプロジェクトでしたが、営利よりも地域資源の活用と街の活性化を第一に考えていくというスタンスで臨みました。事業の構想にあたっては、尾道が抱える観光面の課題を意識しています。尾道は古くからの風光明媚な街並みに加え、「映画の街」「文学の街」として知られており、訪れる人は確かに多いのですが、観光地だけ見て移動してしまうという“通過型の観光地”としての側面が強かった。しまなみ海道のサイクリスト向けの受け皿がなかったこともあり、衣食住が完結する施設を作って“滞在型の観光地”への転換を試みようとしたのです。
「尾道デニムプロジェクト」のショップにて。穿き込んだ人の職業や生活スタイルによって異なる味わいを醸し出すという画期的なアイデアで、日本全国から注目を集めている。
街の人々とインドの建築集団、共通項は“会って想いを伝えること”
「ONOMICHI U2」のオープン当初はホテルの集客が伸びない中で、意外なことにレストランの集客は地元の方々に支えていただきました。この街の人々にこの場所をどう感じるか、どう使ってみたいかを聞いていく中で、あるおばあちゃんからは「尾道にお洒落をして行く店ができてよかった」と言っていただいた。うれしかったですね。
それが1年を過ぎた頃から、テレビや雑誌の取材が止まらなくなった。設計をお願いしたサポーズデザインオフィスの谷尻誠さんや、メインエントランス前に置くアート作品をお願いしたSANDWICHの名和晃平さんなど、クリエイターの方々が口づてに発信してくださったのが、一気に評判を呼んだのでしょう。地元での手応えよりも、東京へ出張に行った時などに「画期的な施設を作ったらしいですね」と折に触れて話題に上るようになり、大きな反響を感じるようになりました。
「ONOMICHI U2」のメインエントランスに設置されたアート作品『Molecular Cycle』。名和晃平が率いるSANDWICHと京都造形芸術大学の学生たちが、尾道の坂を上り、瀬戸内の波に乗るサイクリストたちを分子構造のように連続する球体で表現した。
また18年には、海を見下ろす山の中腹に建つ集合住宅をリノベーションした複合施設「LOG」をオープンしています。設計はインドを代表する建築集団のスタジオ・ムンバイ。彼らは自然素材や地元の職人の手仕事を積極的に取り入れるなど、多くの人々との関わりの中で建築を作り上げていく活動で注目を集めており、「ONOMICHI U2」の事業プランを策定するにあたって「ぜひ参考にしたい」という声が上がったのです。私の商社時代の仲間から代表のビジョイ・ジェインさんを紹介してもらったのですが、なんとご自宅に泊めていただきました。地域の課題や事業への不安など、あれこれ相談をする中で、ビジョイさんが親身になって応援してくれたのを覚えています。「たとえ前例のない試みだとしても、『尾道デニムプロジェクト』のように街の人たちと一緒になってやっていけばいい。その想いがあればできるはずだ」と。
このときの体験がきっかけで、「LOG」の設計をぜひお願いしたいと申し出ました。彼らにとっては初めてとなるインド国外でのプロジェクトでしたが、ビジョイさんはすぐに尾道へ飛んできてくれて、自動車の入れない坂の上の物件にもかかわらず「やりましょう」と言ってくれた。というのも彼は小津安二郎の大ファンで、『東京物語』の舞台として尾道を知っていたというのです。理屈ではなく、人と直接会って想いを伝えることの大切さをつくづく実感しましたね。それにうちのスタッフも、名のある建築家やクリエイターを相手に「それは違うと思います」と、臆せず堂々と意見を言う。自分たちの地域に関わる話である以上、いかにそういう関係を築けるかどうかが大事になってくると思います。
尾道の山の手に建つ築50年以上のアパートをリノベーションした「LOG」。土壁や什器、館内サインに至るまで、あらゆる場所にインドと日本の職人たちの手仕事が息づいている。
→ 次回 尾道編
④ “観光で行く街”から“住みたい街”へ
リサーチメンバー (取材日:2019年9月21〜22日)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)
イラスト
ヤギワタル
このプロジェクトについて
「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。
2019年度は、前年度から続く「Field Research(フィールドリサーチ)」の精度をさらに高めつつ、国内の事例にフォーカス。
訪問先は、昔ながらの観光地から次なる飛躍へと向かう広島県の尾道、地域課題を前に新たなムーブメントを育む山梨、そして、成熟を遂げた商業エリアとして未来像が問われる東京の原宿です。
その場所ごとの環境や文化、人々の気質、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。特性や立地条件の異なる3つの都市を訪れ、さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、「個性豊かな地域社会と街づくりの関係」のヒントを探っていきます。