#02 山梨編③ 甲州ワイン、発酵兄弟……“面白さ”でつながる若者たち
風土の異なる3つの都市を訪れ、フィールドリサーチを通して街づくりの未来を探るプロジェクト。
山梨県といえば、世界遺産に登録された富士山に、ブドウやモモ、甲州ワインなど、観光と大自然の恵みで知られる内陸県。各地域で活動する若者たちがつながり、いま新たなムーブメントを巻き起こしているというのです。
発酵デザイナーの小倉ヒラクさんに導かれ、山梨特有のローカリティを探る試み。地元へ人を呼び込むことで、どんな変化が生まれるのか? 滋味深きワイン文化の精神風土、人と人との化学反応、この土地ならではのやり方まで。地域文化を発酵させる、数々のヒントが語られます。(インタビュー後編)
▶ 前編 ② 発酵から生まれる、真似のできないローカリティ
▶「Field Research」記事一覧へ
発酵デザイナー・小倉ヒラク氏インタビュー(後編)
このように新たなムーブメントが起きつつある山梨ですが、発酵という視点から見ても避けて通ることができないのが、この土地固有のワイン文化です。人口わずか81万人の県内に日本でも最多となる80軒ものワイナリーがあり、それが毎年数軒ずつ増えている。日本全体で農業の担い手不足が大きな問題になる中で、ここだけはワイン造りのために移り住んでくる若者が後を絶たない状態です。
というのも山梨は、約150年前に日本で初めてワインを生産した場所。甲州という山梨固有種の地ブドウが有名ですが、特徴としては「和食に合うスッキリした味わい」というとわかりやすいでしょうか。しかもその飲み方がすごくて、地元のおじいちゃん、おばあちゃんが一升瓶入りのワインを湯飲みに注いで、たくあん漬けをツマミにして飲む(笑)。海がない県なのに家庭のマグロの消費量が日本一で、寿司屋でも普通にワインを飲んでいる。魚が傷むのを避けるために昆布でしめたりヅケにしたりと、江戸前寿司の原型のような山梨のお寿司と甲州ワインは、最高の組み合わせですよ。
そうした古くからのワイン文化に加えて、近頃は自然派ワインをはじめ、海外のトレンドを意識したワインづくりが多くなってきている印象です。自然派ワインといえば近代的なワインづくりへのアンチテーゼとして、主に農薬や化学肥料を使用せず、できる限りその土地の風土に即した造り方を追求する考え方で知られていますが、この辺りでは両者の価値観がぶつかり合うことなく、大手のワイナリーと新進の造り手たちが共存して、地域独特の多様性を育んでいる。その理由は、ワイン造りにまつわる先人たちの努力を背景に、昔から大手と小さな農家の間で知識や技術が共有され、民主的な文化が根付いてきたから。
小倉ヒラクさんの案内で訪れた地域密着型のワイナリー、マルサン葡萄酒にて。品種や醸造方法の違いから、代表の若尾亮さんのワインづくりに対する想いまで、奥深い世界が感じられる。
その上で特徴的なのは、こうした動きが行政ではなく、ワイナリーや飲食店が主導する形で進んできたこと。行政による地域振興というと“幕の内弁当”のように寄せ集めで個性に乏しいものになりがちですが、それがなかったことが逆にワインという山梨ならではの個性を際立たせて、1点突破的な状況につながったと感じています。
その中心的な存在ともいえるのが、僕が山梨へ移住するきっかけを作ってくれた人物で、甲府のワインバー「Four Hearts Cafe」の店主であり、総合プロデューサーとして2008年から「ワインツーリズムやまなし」を運営してきた大木貴之さん。山梨のワイナリーの魅力を発信して人を呼び込む一方で、ワイナリーや地域間のネットワークを作り上げてきたその功績は、もっと評価されていいと思います。
「面白くしたい」という想いでつながる個性のネットワーク
この「ワインツーリズムやまなし」の功績を語る上で重要なポイントなのが、山梨には古くからの地場産業がたくさんあるにも関わらず、それを新たな形で発展させるようなクリエイティブな発想を持った人材がいなかったこと。その点でもう一人、大きな突破口を作ったのが、山梨の人を伝えるフリーペーパー『BEEK』を発行しているBEEK DESIGNの土屋誠さん。『BEEK』を名刺代わりに配ったり、取材を通して地域の人々とつながることで、地場産業を担う若者たちが土屋さんにデザインを依頼し、新しいプロジェクトを立ち上げる流れが生まれた。山梨に拠点を置くクリエイターの多くが地域の仕事だけで生活を回していけるようになったのは、彼のおかげといっても過言ではありません。
そして、甲州味噌の味をいまに受け継ぐ五味醤油の五味仁さん、洋子さん兄妹。彼らは近所の不動産リストを持っていて、移住に興味がある人がいれば「この家が空いてるから住んだらどうだ」と進んで世話をしてくれる。甲府で代々続く味噌蔵という職業柄、自分の土地から離れるわけにいかないけれど、それならばと外から精力的に人を呼び込むことで、全力で街を面白くしようとしている。いわば、彼らの作り上げた土壌の上に外から新たな人が加わることで、これまでにない化学反応が引き起こされていく図式ですね。
「やまなしの人や暮らしを伝える」フリーペーパー『BEEK』と、YBSラジオ『発酵兄妹のCOZY TALK』の収録風景。この日はリサーチメンバーより2名が参加し、小倉さんと五味醤油の五味洋子さんの進行で収録を行った。
僕自身も彼らとともに発酵ユニット「発酵兄妹」として、甲府のYBSラジオで『発酵兄妹のCOZY TALK』という週1のレギュラー番組を受け持っています。発酵に関わる人や山梨にゆかりのある人だけでなく、日本全国から面白い人を呼ぼうということで、これまでに出演したゲストは120組以上。放っておくと地元だけで小さくまとまるのが地方の悪い癖なので、あえて県外や海外から面白い人を呼び込んで、内輪になりがちな話題を広げています。それもこれも未来に向けて、「山梨を面白い場所にしたい」という想いがあるからです。
というのも、行政や大手企業の人たちのほとんどが気付いていないことですが、いま地方に人を呼び込みたいのであれば、そのきっかけは“面白いこと”しかない。この街に住みたい、自分も加わりたいという気持ちは、「面白い」「やってみたい」という気持ちから生まれるもの。ローカルベンチャーが続々と設立されている岡山県の西粟倉村や、IT企業のサテライトオフィスが集まる徳島県の神山町(※1)などの取り組みが際立っているのは、自治体の立場から“この地域ならではの面白さ”について真面目に考えている人がいるからです。でも、山梨にはそうした動きがほとんどなかった。行政に頼ることができないからこそ、規模は小さくとも民間でやるしかない。五味兄妹は甲府、『BEEK』の土屋さんのオフィスは笛吹市、僕は甲州市と、お互いに離れていながらも「面白いことをやろう」という気運でつながったのは、こうした背景があったからだと思います。
しかもその動きは、いまや県の範囲を超えて広がっています。山梨なら『BEEK』の土屋さんが携わっている富士吉田市の「ハタオリマチフェスティバル」が象徴的な例ですが、他にも愛知県蒲郡市で開催されている音楽と食とものづくりの野外イベント「森、道、市場」などに見られるように、全国各地でムーブメントを巻き起こしている個性的な担い手たちが東京を介さずに直接つながり、新たなネットワークを形成し始めている。地方同士が最先端の感覚でつながり、あえて東京をスルーして面白いカルチャーを育んでいる状況に、思わず胸躍るものを感じてしまいます。
(※1)参考記事:NTT UD Field Research 2019「#03 徳島県神山町① アートとIT企業が集う“最前線の山里”」
心を動かし魅力を高める、山梨ならではの“戦い方”
こうした発信型のムーブメントの一方で、地方が都会から人を呼び込むのに必要なのは、移住を考えている人のモヤモヤとした悩みを拾ってくれる仕組みではないでしょうか。通勤ラッシュや食べ物の不安、都市生活の中で孤独を感じるなど、いまや多くの人が、都会に住むことはそんなに便利じゃないと気が付いている。それに対して、田舎に住むことのメリットをどう感じてもらうかが重要です。
僕が移住した集落でも、道路や排水溝を掃除する「道普請(みちぶしん)」や葬儀など、集落全体で日々の行事に参加しなければならない。うちの妻に言わせれば田舎ではそれが当然だそうですが、「今日は交通安全の旗振りをやってね」というように、日割りで役割が回ってくるんです。妻はフリーランスの編集者として週に1回は東京に通って仕事をこなしながら地域行事に参加していますし、そもそも僕自身、1年の半分以上は家にいません。でも、そうした働き方や暮らし方はここでは想定されていないんです。今後は海外での活動が多くなるかもしれず、うちの娘は山梨と海外の2拠点で暮らすことになるかもしれない。そうしたときにもし地域の側から「うちの小学校なら大丈夫ですよ」と声を掛けられたら、誰だって心を動かされますよね。
明るい日差しが差し込む自宅にて。小倉さんの妻の民(たみ)さんは育児の傍ら、フリーランスの編集者として食や農業、地域などにまつわる企画や執筆を手がけている。
そもそも、率先して移住したいと思うような人は基本的に、「田舎で蕎麦屋をやりたい」といったロマンを求めてくる。でもそうではなく「いまの暮らしを変えたいけれど、どうしたらいいのかわからない」という大多数の人たちの心を、いかにして動かすかが求められているのではないでしょうか。具体的に移住を考えていなかったとしても、五味仁さんに「社宅を修繕した物件があるので、明日からでいいよ」と言われたら、思わず心を動かされてしまう。それは、本気で街を面白くしたいと考えているからできること。その点で山梨には地場に志のある若者が多く、さらに甲州商人の抜け目ない気質がポジティブに作用しているように感じます。
例えば、甲府の南に位置する市川三郷町では、ニット製造業「近藤ニット」の近藤尚子さんが「evam eva(エヴァムエヴァ)」という天然素材ニットのブランドを展開したり、歴史ある和紙メーカー「大直(おおなお)」の一瀬愛(いちのせ・あい)さんは社内ベンチャーを立ち上げ、プロダクトデザイナーの深澤直人さんがデザインを手がけるブランド「SIWA|紙和」を展開して世界的な評価を集めたりしています。こうした成功の背景には、若者に裁量を与えて新しいことに挑戦させる、ある種独特な気風がある。山梨の人は保守的だといわれる一方で、上京しても「いつか帰って地元のために働きたい」という想いが強い人が多いのは、こうした気風の賜物かもしれません。
そうやって考えると、僕の周りにいる“若い世代の面白い人”はみんな、大きな組織ではなく個人的な熱意で立ち上がった人ばかり。県全体の課題としてよく言われることですが、山梨には大規模な第3次産業が発展してこなかった。であれば逆に、既存の第1次産業、第2次産業を引き継ぎながら、いかに付加価値を加えていくかが重要になる。実のところ、地元の飲み屋でワインの造り手と職人とクリエイターが肩を並べている様子を見ていると、「山梨からITのユニコーン企業が出てくる気配はないな」と感じます。でもその一方で、規模は小さくても世界的に注目されるワイナリーやニットブランドが続々と羽ばたいている。それが、この土地ならではの戦い方なんだと思いますね。
→ 次回 山梨編
④地元目線のローカルメディアが切り拓いたもの
リサーチメンバー (取材日:2019年11月24日)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)
イラスト
ヤギワタル
このプロジェクトについて
「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。
2019年度は、前年度から続く「Field Research(フィールドリサーチ)」の精度をさらに高めつつ、国内の事例にフォーカス。
訪問先は、昔ながらの観光地から次なる飛躍へと向かう広島県の尾道、地域課題を前に新たなムーブメントを育む山梨県、そして、成熟を遂げた商業エリアとして未来像が問われる東京都の原宿です。
その場所ごとの環境や文化、人々の気質、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。特性や立地条件の異なる3つの都市を訪れ、さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、「個性豊かな地域社会と街づくりの関係」のヒントを探っていきます。