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井上 聡 ── 沖縄・読谷村の“まれびと”

ソーシャルデザインのファッションブランド「THE INOUE BROTHERS...」の井上聡さんを追いかけて、たどり着いたのは沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)。かつて取材でも訪れた故郷デンマーク(※1)から移り住んで半年、まさに「まちを読んで」いるところ。日本への移住、人との縁、暮らしの目線……日々のまなざしをひも解くインタビュー。「まちを読む」をテーマに、多様な視点を持つゲストを招いてお届けするデジタルZINE「まちのテクスチャー」シリーズ第2回。
 
(※1)2018年、デンマーク・コペンハーゲンにて井上聡さんを訪問取材。このnoteにてその模様を掲載しています。
#02 デンマーク⑤ オーガニックという名の“あるべき生き方”

Text & Editing by Keita Fukasawa
Photography by Chihiro Ichinose

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プライベートホテル&ストア「ORRS」(北谷町)

井上 聡|Satoru Inoue
THE INOUE BROTHERS...デザイナー
1978年、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。弟の清史とともに日系2世として育ち、グラフィックデザイナーとしてキャリアを積む。2004年、同地にてファッションブランド「THE INOUE BROTHERS...」を設立し、南米アンデス地方の先住民と作ったニットウェアをはじめ、地球環境や生産者に負荷を掛けないプロダクトなどのソーシャルデザインに取り組む。22年夏、家族とともに沖縄県読谷村へ移住し、新たな展開を構想中。
THE INOUE BROTHERS...

(7つの質問)「まちを読む」ことは「人を読む」こと


Q.1 読谷村へ移住した理由、心惹かれた点は?

 
僕自身、日系デンマーク人として生まれ育ってきて、白人社会の中で常にフラストレーションを抱えてきたから、いずれ家族と一緒に海外に住みたい、だったらスペインのバレンシアがいいなと考えていたんだ。でもコロナ禍でスペイン政府の対応がスムーズじゃなくて、諦めざるを得なかった。その時に娘が「日本の高校に行ってみたい!」と言い出して。

これは思いがけないことだった。僕が子どもの頃と比べて、デンマークの白人たちの間でも日本人や日本文化が話題に上ることが増えたし、好奇心が湧いたんだと思う。僕自身、日本への移住は考えていなかったけれど、旅行で訪れた時に見た子どもたちの笑顔を思い出して、沖縄なら子どもたちが幸せに過ごせるかもしれないと思ったんだ。
 
それに沖縄の人たちは、日本人であることに加えて、琉球王国という独自の歴史にも誇りを持っている。そこも大いに共感できたところかな。なかでも読谷村は、以前に旅行で訪れた時、妻がすっかり惚れ込んでしまって。那覇に比較的近いのに田舎っぽい感じもあるし、ローカルな人と外から訪れる人、それに外国人も、いろんな人たちがお互い自然に触れ合っている。その雰囲気が僕の人生のテーマ「middle way(中庸/中道 )」にぴったり合うと感じたんだよね。
 
Q.2 初めての街で、最初はどんなところに注目しますか?
 
読谷村に移住してまだ半年足らずだから(笑)……今まさに「まちを読んでいる」ところかな。もし20年前だったら、仕事のしやすさや、自分の好きなアートや音楽、格好いいカルチャーがあるかどうかで選んだはず。ただそれだと、僕のエゴが出すぎてしまうよね。

でも今回の移住にあたっては、妻のウラが大きな力になってくれた。コロナ禍で現地へ行けない、物件や近所の下見ができないなかで、子どもたちの学校へのアクセスやお店の場所など、ひたすら検索してストリートビューでチェックして……本当によく調べてくれて、頭が上がらないくらい(笑)。だから今の僕にとっては、何よりも家族が幸せに過ごせるかどうか、そこが一番のポイントかな。

「よみたん自然学校」

Q.3 街の人々と触れ合うなかで、どんな魅力に触れる体験がありましたか?
 
確かなことは、いい街/悪い街という線引きは僕の中にはないということ。僕からすれば、たとえ治安が悪いといわれる街でも、優しくて助けてくれる人たちがいればそこは素晴らしい街になるし、どんなに便利でモダンな印象の街でも、人の印象が冷たければ面白みに欠ける街だと感じるから。

その点、沖縄の人たちは本当に心が温かくて、土地とのつながりが強いのに、外から来る人にもウェルカムな態度で接してくれるんだよね。だから今回案内したスポットも、表面的な評価じゃなくて、もっと人間的な要素に心惹かれたところばかりを選んだんだ。
 
あと驚いたのは、沖縄は本当にクルマ社会だということ。米軍基地のゲート前も時間によって渋滞が当たり前だったり、「なんでここが混むんだろう?」と思ったらファストフードのドライブスルーの列だったり……。でも、最初は無駄な時間だと思っていた学校の送り迎えが、子どもたちとじっくり話し合う時間になっていたんだよ! 特に長女とは文化の違いとか未来のこととか、いろんな話をするようになった。以前には想像できかった、大きな変化の一つだね。
 
Q.4 街に対して、自分だからこそできる関わり方はありますか? 例えば、移住者として気づいたこと、実践していることは?
 
移住してみて、強く感じているのは次の三つかな。

一つは、教育と子どもたちを取り巻く環境に対する違和感。小学校の校舎にしても、何よりも教育や社会福祉を優先する感覚が染みついているデンマーク人が見たら、「観光やショッピングの施設と比べて、どうしてこんなに質素なの!?」と、きっと不思議に感じるはず。

二つ目は、クルマ社会をみんなが受け入れすぎていること。クルマがいたら歩行者のほうが急いで渡ってお辞儀をする様子を見て、カルチャーショックを受けたくらい。本当は歩いている人たちが街の主人公にならなければいけないのに!
 
三つ目。沖縄は観光ビジネスで成り立っているけれど、利益がその土地から離れたところへ流れていき、地元に還元されないような仕組みが何十年もずっと変わらないままになっている。その間、社会のあり方は大きく変わったはずなのに、これだけはどうして古いままなんだろう?

必要なのは、利益がローカルコミュニティに還元されるような、サステナブルな仕組みじゃないかな。そうすることで観光客も喜ぶだろうし、リゾートのブランディングにもプラスになるはず。ここは、ぜひ声を上げて伝えたいことだね。

Q.5 故郷のコペンハーゲンと共通点を感じる、お気に入りの場所は?
 
今日の朝、みんなと一緒に行ったパン屋さん「おとなりや」かな。自分が愛するカルチャーのフォーマットを取り入れながら、地域の誰もが喜ぶことをやることで、周りに影響を与えていく……大好きなコペンハーゲンのクリスチャニアに通じるものを感じるんだよね。読谷村で一番好きな場所です!

僕の場合、気になるお店があったら、そこを作った人に興味が湧いてくる。「どうしてこのデザインにしたんだろう?」とか「これをやるのは勇気がいるよなあ!」とか。だから、気になったらとにかくオーナーに会ってみる。もしそれで気が合わなかったら、もう興味がなくなっちゃう(笑)。周りも僕のそういうところを知ってるから、自然に「このオーナーはいいやつだよ」という紹介の仕方になるんだよね(笑)。だから、「まちを読む」ことはずばり、「人を読むこと」なんじゃないかな。

「おとなりや」

Q.6 街の未来に望むこと、取り組んでいることはありますか?
 
子どもたちの教育システムとジェンダー・イコーリティ(男女格差の是正)、この二つをよりよくすること。

子どもこそ、街の財産だし、将来そのもの。だって、子どもを大事にすることは未来に投資することのはずでしょう?

ジェンダー・イコーリティだって、いまだに格差が埋まらない。性的マイノリティとの課題にしても同じだよ。それは社会というある種の“ハード”を駆動させる、OS(オペレーティング・システム)が古くなっているから。これだけ価値観が多様になっているんだから、一人ひとりが異なる存在として同じくらいリスペクトし合える社会をつくらなきゃいけない。それが僕、ひいてはTHE INOUE BROTHERS...のミッションの一つだと思っている。それ以上に、もし自分がマジョリティ側にいると感じているなら、全力で取り組むべき全世界のミッションでもあるんじゃないかな?
 
Q.7 ずばり、街にはどんな個性が必要だと思いますか?
 
読谷村で一番うれしいのは、とにかく子どもたちが幸せそうなこと! クルマで末っ子を小学校に迎えに行くと、みんなで楽しそうで全然帰りたがらないんだよね。ローカルの子どもも、外国人もミックスルーツもみんな一緒に遊んでいて、運動会のアナウンスもバイリンガル。それが、読谷村のとてもいいところだと思います。

「GOOD DAY COFFEE」

人間は変わる。だから街づくりも変えられる


—— 移住にあたって「見知らぬ環境に身を置くことで視野を広げたい」と考えたそうですが、街の魅力を高める上でも異質な刺激は重要ですね。

 
もちろん。ここ沖縄で、自分が格好いいと思える人たちと出会えたこと、そのおかげで地域とのつながりが感じられること、これは間違いない。でも僕にとって何よりのインスピレーション源は、見知らぬローカルの人と話すこと。だから、出張で那覇空港から家へ帰る時はどんなに疲れていても力を振り絞って、空港から乗ったタクシーの運転手さんと会話するんだ(笑)。いろいろ学べることがあるのに、黙っているのはもったいないからね。
 
—— 世界中でジェントリフィケーション(※2)が問題になっていますが、もともと街に住んでいた人と後から来る人、どんな関係がベストだと思いますか?
 
問題の一つは、貧しくて住む場所を選べない人たちがつくり上げてきた、その街ならではのカルチャーを壊してしまうこと。苦労している人たちのほうが必死で生きているぶん、より力強くクリエイティビティを発揮するからね。すると、そのカルチャーが注目を集めたことがきっかけで開発が始まって土地の値打ちが上がり、元の住人たちが暮らせなくなっていく。その結果、どんなにきれいな街になったとしても、元のカルチャーのような際立った独自性は感じられなくなってしまう。だから、街にとって何よりも大切なのは「人」! これが一番大切なことじゃないかな。

(※2)ジェントリフィケーション(gentrification)…地域の開発や富裕化によって治安などが向上する一方、不動産や物価の上昇といった要因によって古くからの居住者が立ち退きを余儀なくされるなどの影響が生じること。

「ニライビーチ」

—— 街の開発を使命とするデベロッパーに向けて、メッセージをお願いします。
 
インドの独立の父、マハトマ・ガンジーは、道具は使い方次第で人の命を救うことも奪うこともできると言っています。デベロッパーも、その仕事が誰かの喜びを高めているのか、それとも奪っているのか、ここをよく考えてほしい。

なぜなら、環境問題にしても国際情勢にしても、世界の状況は深刻さを増すばかり。コロナ禍もそう。それなのに、大きな責任があるはずのデベロッパーが昔と同じやり方をしていていいのか? だからこそ、まずは今起きていることをちゃんと見て、それから街の未来について考えてほしいんだ。
 
——今後、街がデジタルの世界でも広がっていくなかで、反対に人間には制御できないリアルな要素として、自然との接点が必要になると思います。
 
何もかもユーザーの好み通りにAIが作ったデジタルの街は、絶対につまらなくなると思う。ただ、どちらか一方ということではなくて、両方とも必要なんじゃないかな。メタバースで自由に生きる子どもたちも、お父さんやお母さんにリアルにハグされる喜びは、絶対に必要なはずだからね。

それに、環境問題のアクティビストであるデイビッド・アッテンボローは、人間とその他の動物の違いを、「よりよい明日を祈る力だ」と言っている。人間は未来を信じて、そのために行動することができる。だからこそ「The only constant in life is change.」、変化することこそが人生において不変の真理なんだと思う。
 
今の世界の状況は不安が尽きないけれど、僕は絶対に変えられると信じています。だったら、街づくりも同じ。「何かがおかしい」「このままでは嫌だ」と思うことがあれば、自分たちの手で変えていけばいいんだから!

沖縄リサーチ取材:2023. 1/20〜21

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主催&ディレクション
NTT都市開発株式会社
井上 学、權田国大、吉川圭司(デザイン戦略室)
梶谷萌里(都市建築デザイン部)
 
企画&ディレクション&グラフィックデザイン
渡邉康太郎、村越 淳、江夏輝重、矢野太章(Takram)

コントリビューション
深沢慶太(フリー編集者)