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#03 徳島県神山町① アートとIT企業が集う“最前線の山里”

いま注目すべき取り組みを行っている街を訪れ、街づくりの未来を探るプロジェクト。
エストニア、デンマークに続く第3の訪問先は、国内外から移住者が相次ぐ徳島県の神山町。
海外からアーティストが移り住み、ITベンチャーがオフィスを次々に開設する理由とは?
人々を惹き付ける神山町の魅力と、そのきっかけとなった「アート×街づくり」の関係をリサーチしていきます。
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人口減少に創造力で立ち向かう、山間部の小さな町

四国のほぼ東端に位置する徳島市から、自動車で西へ向かうこと約1時間弱。徳島県名西(みょうざい)郡神山町は、四国山脈に位置する人口約5千人の自然豊かな山里です。山々からの清流を集めて流れる鮎喰川(あくいがわ)に沿って集落が連なり、のんびりとした雰囲気を醸し出しています。

自治体としての成立は1955(昭和30)年、「阿野村」「神領(じんりょう)村」「鬼籠野(おろの)村」などの5村が合併したことに始まりますが、地域の歴史は古く、この一帯が穀物の粟(あわ)の産地として栄えたことが徳島県域の旧国名「阿波国(あわのくに)」の語源になったともいわれています。江戸時代には温泉を利用して湯屋が開かれ、この地で育つ杉の木はその特有の風合いから「神山杉」と呼ばれて高値で取り引きされました。また、農民たちの娯楽として「阿波人形浄瑠璃」がさかんに上演されるなど独自の芸能も花開き、徳島県の名産品であるスダチの主産地としても知られてきました。
しかし戦後を迎えると、木材輸入自由化に端を発する林業の衰退をはじめ、少子高齢化などの社会問題に直面。とくに人口の減少には歯止めがかからず、合併当初は約2万1千人だった住民の数がおよそ60年間で1/4程度にまで落ち込み、「消滅可能性都市」として全国20位に位置付けられるなど、深刻な状況に陥ってしまいました。(※1)

その神山町に大きな注目が集まったきっかけは2011(平成23)年、町の歴史が始まって以来初めて人口の転入が転出を上回ったことでした。(※2)
四方を山に囲まれた小さな町に、国内はもとより海外からの移住者や、IT企業の拠点開設が相次いでいる。 日本全体で“地方消滅”への対策が叫ばれるなかで、このニュースは全国を駆け巡り、各地から自治体や地方振興の関係者が視察のために神山町を訪れるようになったのです。

世界各国からアーティストを招聘し、地域との交流を深めることで移住のきっかけとなった「神山アーティスト・イン・レジデンス」。99年から続くこのプロジェクトの発展型として、町に新たな仕事を呼び込む「ワーク・イン・レジデンス」などの斬新な取り組み。さらには、こうした試みの精神的支柱となった画期的なビジョンに至るまで。先進国の中でも少子高齢化の最前線に位置付けられる日本の人口減少社会において、一人ひとりの幸せと持続可能な地域生活を叶えるために必要なものとは、果たして何でしょうか。
私たちが向かうべき豊かな暮らしのあり方、そのきっかけとなる「アート×街づくり」のヒントを求めて、神山町を訪れました。

(※1 出典:2014年、日本創成会議・人口減少問題検討分科会が全国896自治体を対象に発表した「全国市区町村別『20〜39歳女性』の将来推計人口

(※2 2011年度、神山町からの転出者139人に対して転入者が150人となり、それまで減少を続けてきた社会動態人口が町の制定から初めて増加に転じた。出典:神山町公式サイト「人口と世帯数


<名称>    神山町 (徳島県名西郡)
<人口>※1      5334人
<気候>※2     7月の平均気温 25.4℃
        2月の平均気温  5.2℃
<住民構成>  ※1 日本人  5280人
        外国人   54人
        日本人と外国人の混合世帯数 11
<交通>    最寄り駅:JR徳島駅(自動車で約1時間弱)
<産業>    農業…スダチ(生産量日本一)、ヒオウギ(生花/生産量日本一)
<特徴> 徳島県の中東部、面積の8割を占める山地の中央を流れる鮎喰川に沿って集落と農地が点在。IT企業のオフィス開設が相次ぎ、2011年度に人口が社会増(転入>転出)を達成するなど、独自の施策で注目を集める。

出典:
(※1)神山町公式サイト(2018年12月末時点)
(※2)CLIMATE-DATA.ORG (2018年12月末時点)

東京から神山へ。移住者が語る“暮らし方革命”

今回のリサーチにあたり、最初にコンタクトを取ったのは、2013年に東京から神山町へ移り住み、古民家を改装したビストロ「カフェ オニヴァ(Cafe on y va)」を営む齊藤郁子さん。地域や環境のための活動に取り組む視点から、快く案内役を引き受けてくださいました。

齊藤さん「私は元々、東京にあるグローバルIT企業の日本法人に務めていました。日々の刺激も大きく、仕事も面白いと感じていたけれど、お金を稼いではそれを消費することに終始する毎日で、自分から社会に働きかけるようなクリエイティビティは全然なかった。一言でいえば、“欲しいものをお金で買う”という暮らしですね。その頃の自分を振り返ってみれば、籠の中でお金というエサを与えられる“ブロイラー”のような生き方をしていたと思います。でも神山では、自分たちが食べる分の野菜を育てて、夏は駆除動物の肉を分けてもらい、冬は狩りに行けば食料は自給できるし、困ったことがあればお互いのスキルを提供したり、工作機械など必要なものは貸し借りしたりと、町の人たちが自分たち自身の力で生きている。その姿は、私の目には本当に自由で、自分の力で羽ばたいている“野鳥”のように映りました。

さらにこの土地には、国内外から一風変わった人たちがひっきりなしに訪れます。四国を巡るお遍路さんや旅人、『神山アーティスト・イン・レジデンス』の参加アーティストたち……彼らはいわば、土地や文化の垣根を越えて自由に飛んでいく“渡り鳥”です。その渡り鳥たちに触発されて、神山の野鳥たちも自分たちのクリエイティビティをさらに高めていく。そんな色とりどりの野鳥や渡り鳥たちが、このお店で出会い、親睦を深める。その様子から、世の中には驚くほど多様なライフスタイルや働き方があるんだと気付かされる毎日です。

私が心の底から“こうありたい”と思うライフスタイルを作り上げる上で、ここは本当に恵まれた場所だと思います。東京では仕事に追われる毎日でしたが、神山にいると自分がやりたいことがあり過ぎて逆に忙しいくらい(笑)。そんな魅力の一端を、ぜひ感じてもらえたら嬉しいですね」

「神山アーティスト・イン・レジデンス」の参加アーティスト、出月秀明(いでつき・ひであき)氏によるアート作品『隠された図書館 Hidden Library』。町を見下ろす大粟山の中腹に設置され、町の人々が記憶や想いを共有する場所として機能している。

リサーチメンバーの気づき:

神山町における豊かな生活のあり方とは

到着前夜に台風が通り過ぎたこともあり、その日の神山町は抜けるような青空と透き通った空気が印象的だった。
台風がもたらした豪雨の影響か、増水した川の音が遠くから微かに響いてきて、人々の日常生活と豊かな自然が密接に隣り合っていることが感じられる。その一方、通りに立って辺りを見渡してみても、土産物店の看板やご当地キャラクターなどは見当たらない。観光資源を積極的に活用して地域復興に取り組む町とは少し違う趣きが漂っている。
人口減少や環境問題など、避けることのできない地域の課題と向き合う意識が求められるいま、人々が自然と関わりながら持続的に豊かな生活を送るために、どのような街づくりが求められるのだろうか。神山町の長年にわたるアートへの取り組みや人々の生活を注意深く観察することで、そのヒントを探りたい。

→ 次回  03 徳島県神山町
② 移住と交流が育むコミュニティの姿


リサーチメンバー (徳島県神山町取材 2018.10/1〜2)
主催
井上学、林正樹、竹下あゆみ、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)


このプロジェクトについて

「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。

2018年は、いままさに注目を集めている都市や地域を訪れ、その土地固有の魅力を見つけ出す「Field Research(フィールドリサーチ)」を実施。訪問先は、“世界最先端の電子国家”ことエストニアの首都タリン、世界の“食都”と呼び声高いデンマークのコペンハーゲン、そして、アートと移住の取り組みで注目を集める徳島県神山町です。

その場所ごとの環境や文化、そこに住まう人々の息吹、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、街づくりの未来を探っていきます。

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