ClexaCon2017パネルメモと写真

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2017年3月にラスベガスで初開催された ClexaCon(クレクサコン)に参加しました。(Sep18/2017)

ClexaConは「LGBTQウーメンとアライのためのメディア&エンタメ・コンベンション」です。(コンベンションの有名どころはサンディエゴのComicConとか。)アライ(ally)とはマイノリティの味方のことです。たとえば、異性愛者は同性愛者のアライになれますし、心身の障害を抱えていない人は抱えている人のアライになれます。少なくとも日本でのアライはその意味のはずです。女性による女性のためのイベントですが、アライであればシスでもトランスでも、男性も、どんなジェンダーアイデンティティでも参加できます。

ClexaConテーマには「メディアクリエイターがよりポジティブなLGBTQコンテンツをプロデュース・配信できるように力添えし、LGBTQコミュニティがよりよいレプリゼンテーションを推進できるよう援助するための教育リソースを提供すること。メディアにおける可視化向上のための基礎を固めつつ、LGBTQウーメンが伝えたいストーリーの制作にもっと参加してもらうこと」などがあります。
つまり、ドラマ『ハンドレッド(The100)』においてクラーク・グリフィンとレクサのカップル(クレクサ)の悲劇的展開にもあるように(ネタバレゴメン)、そもそもアメリカTV界において高確率でレズビアンキャラが殺されてしまうことに(その展開がパターン化してしまっていることに)「いいかげんにしろ」ということで始まったコンベンションです。(私は未見の超人気ship) 

プログラム内容としては、各ゲストとのサイン会・写真撮影会、プロの脚本作りワークショップ、ゲストを招いた様々なパネル(トーク)、ショートフィルムフェスティバル、各ベンダーの物販、コスプレコンテストなどがあります。
2017年のゲストは、
・エミリー・アンドラス(『ロスト・ガール』『ワイノナ・アープ』製作総指揮P)
・レイチェル・スカーステン(『ロスト・ガール』Lost Girl、『REIGN/クイーン・メアリー』など)
・キャサリン・バレルとドミニクPC(『ワイノナ・アープ』Wynonna EarpのWayHaught 読み:ウェイホット)
・イリース・バーマンとナターシャ・ネゴバンリス(『Carmilla』シリーズのHollstein 読み:ホルスティーン)
・ミシェル・クルージとリン・チェン(『素顔の私を見つめて…』Saving Face)
・エイミー・アッカー(『エンジェル』Angel、『PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット』)
・サラ・シャヒ(『Lの世界』The L Word、同『POI』)Rootshaw
など。余談ですが、当時、Wynonna Earpはまだ未見で、ゲストの中でよく知っていたのが、『Angel』(『Buffy the Vampire Slayer』スポンオフ)で大好きだったエイミー(POIは未見です)。

ClexaConを一言でいうなら、天国でした。思い思いの服装で、周りの目は気にならず(みんなLGBTQやアライでそれぞれの番組が好きなオタクだから)、決めつけたり批判的な人もおらず、フレンドリー。自分を偽らずに居られる空間だったので。普段から自分を偽っていないつもりの私でも、大げさではなく、セクシャリティを含めてすべてにおいて視点が変わりました。今後、少しでも興味があるなら、LGBTQ+なら特に、一度と言わず参加を真剣に検討することをお勧めします。(2018年追記:他の国でもこのようなイベントを開催しているかもしれませんね)

で、そのパネルが個人的にとっても興味深かったので、箇条書きゆえ見てもなんのこっちゃ、だと思いますが、今更ながらメモを置いておこうと思います(理解できた範囲で)。

「GL101:百合と少女愛アニメや漫画入門」
百合と少女愛の違い、王道アニメと漫画シリーズ、伝統的な言い回し、オススメなどの基礎について (国による基準の違いが面白かった)
・スライドでの紹介例は、「セーラームーン」「Girl Friend」「青い花」「ささめきこと」「NTR」「ラブライブ!」「ラブライブサンシャイン」「ストロベリー・パニック」「Citrus」「魔法少女まどかマギカ」など。
・米国ではキス以上ありが「百合」、キスなしの淡い恋、友達以上なのが「少女愛」カテゴリー。だから「ラブライブ!」も少女愛カテゴリー。サンシャインは「超ゲイ」カテゴリー(百合)。つまり「ストパニ」は超ゲイカテゴリー。百合。

 「視覚化とアセクシャル」
・アセクシャルは相手に性的魅力を感じない。
・アセクシャルは反社会的なわけではない。
・アセクシャルでもみんな同じではない。
・『ビッグバンセオリー』のシェルドン、『デクスター』のデクスター、など男性キャラが目立つ中、2012年『Dr. House ハウス』シーズン8に登場した患者、ケイラは「アセクシャルらしくない」普通のブロンドの女性として演じられた。
・2年前までアセクシヤルは病気認定されていた。(米国?)
(途中退出のためこれだけ)

「クィアベイティング(視聴率稼ぎの釣り)vsクィア・サブテキスト」
(120人以上参加の立ち見。途中参加のためこれだけ。)
・テレタビーズUKはテレタビーズが意味をなさないというクレームで、USでは彼らはゲイなのか?一体なんなのか?というクレームがあった。
・ディズニーヴィランズにみるクィアコーディング (Queercoding)。
・クィアは悪役になりがち。
 
「早期のゲイTV番組から現在のTV。レズビアンの広告やキャラの扱い」
(一番大きいホール。『Gilmore Girls』などの人気番組製作関係者によるパネル)
・『The100』でクレサが殺されたからクレクサコン(ClexaCon)ができた。
・ゲイキャラクターを描くことは昔は許されていなかった。
・2004年でもレズビアンキャラは煙たがられた。
・「もうすでに1つゲイの番組あるから」と断られたこともあった。1つずつしかだめなわけ?
・ネットワークのご機嫌とりをしなきゃならない。
・レズビアンのシーンを撮る際、たとえば、キス→寝転がる→ベッドで膝つく、といった具合に、その都度オンエアできるように変えなければいけなかった。ベッドで膝をつくのはいいけど、ベッドに寝るとノーが出た。(会場爆笑) ブラはどうか?タンクトップで見せるのは?など細かく注文に沿うようにしていった。
・LGBTキャラでも、(異性愛者と変わらない)普通の人として描写を心がけている(し、そうしたい)。
・エレン・デジェネレスのカムアウトで勢いづくかと期待したけど、だめで、当時のバックラッシュに驚いたし、しばらくゲイキャラ登場についてはおとなしくなった。
・配信型の番組には現政権の影響は出ないと思う。なぜなら視聴者はコンテンツを求めているから。
・コンテンツを作る側はお金のためにやってない (人もいる)。
・配信型だと見たい番組を見られるから若年層にはオススメ(カムアウトしていない家族と一緒に見られなくて困るなどの点で)。そしてLGBT番組をオススメする時はその部分を伏せて説明すればいい!
・コンテンツを作る人がいて、(ネットワークにかけあって、) パイロット版をなんとかして作る人がいて、視聴者に応えるサイクルがある。
・レズビアンの方がターゲット層が増えた (ゲイ男性の需要が主にゲイ男性だけなのに対して、レズビアンは女性やシスヘテ男性にもあるから)。

「みんなの協力が必要:メディアにおけるアライたち」
(それまで聞く機会がなかったので、海外のアライたちのスタンスを聞けると期待していたら、パネリストたちは「嬉しいけど、アライなのに、これはこうだと示してしまうことに不安を覚える」「あくまで私の見解は」と各々言っていたのが印象的だった。)
・アライとは各プラットフォームを駆使して、人の声を広げられること、(でしゃばらず)黙る時を分かっていること。
・『The Good Wife』のカリンダの描写について。彼女のフレキシブルなセクシャリティ(セクシャリティの問いに"I'm flexible"と答えたキャラ)
・当事者の声を代弁してしまわないこと、置き換えないこと、声(意見)を遮らないこと。
・昔は役者が(偏見を恐れるなどの理由で)LGBTの役を避けていた。
・クレクサのくだり、非当事者が問題が見えていない状態で「これでいい」と決めつけてしまう衝撃。権利(entitlement)の感覚問題。
・シスヘテロ(自認している性と身体が一致している異性愛者)からの目線で描いた「これでいいんだよね」(が見られるが、してはいけない)。
・色んな理由で番組からキャラを消すことがあるが、「LGBTだからいいか」はキャラが死ぬ理由としては、最低。
・クリエイティブに対して責任を持たないといけない時代。
・教養があるのにアライであることの意味をわかってない人たちがいる。
・アライとしては、当事者個人がどう思うか、感じるかを知りたいと思う。
・ノーマライズしてしまうことの恐れ。
・「特権があると、(訴えを起こす当事者などに)攻撃されてると感じる」人たち
・アライはどのマイノリティにも必要。


・自分の経験をシェアしなきゃいけないはずはない。
・Straight white person (白人特権階級) やアライと認識していないゆえに、耳を傾けていない人たちにも気づいてもらえるように発信の仕方を変えたりする。
・ツイッターでロムしてる人への影響。その流れを見てる人が(当事者で)不要に傷つくかもしれない。「あなたがその立場ならどう思う?」と建設的に会話を進めるようにする。
・1人じゃなくて大勢のアライが、いればいるほど良い。
・リアルではありえない、実在しない空間(ストーリー)でのLGBTキャラをどう思う?という問いに「SFや魔法ものや弁護士などでLGBTが活躍すると視聴者は「こんなこともできるんだ」と思えるので、必ずしも非現実的だとか悪いことではない。TVなどのジャンルはこれからの社会的な位置を描くことが可能(たとえば『スタートレック』)。
・そういうキャラを当事者が書かなきゃいけない状況であるべきではない(誰が書いても正しく描けるべき)。
・HIVポジティブのゲイ男性が、昔あったリアリティ番組『Real world: San Francisco』に出演して以来、ゲイに対するメディアでのイメージがそれ以前よりもポジティブに変わった。
・当事者の声を代弁せずそのまま届けること。
・当事者の割合とメディアでの扱いに差がある。
・統計に現れていない、変化してきているリアルの環境もあって、歓迎する人たちも増えている。(このコメントは娘さんと一緒に参加していたお母さんによるもので、感激して私が泣きました)

このほかに、参加できなかった「有色人種のLGBTQレプリゼンテーション」パネルがあり、最終日に追加で第2回目を開催していたほど大人気でした。(スケジュール組の問題で全部を見ることは不可能。)次回のClexaCon2018は、パネルの内容もゲストも更に充実して参加者数も増えるでしょう。Speed-datingをもじったSpeed-friendingなんてイベントもあるくらいです(1人で参加しても友達ができるよ)。私としては、有色人種の参加者がもっと増えると良いなと思います。
ClexaCon2017写真はこちら

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嬉しいです。ありがとうございます