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誰のため、何のために歌うのか

別に決めているわけではないが、最近は週末に映画館へ行くことが多くなった。家で予約をして、昼過ぎくらいに池袋で映画を観る。その後はジュンク堂とディスクユニオン(もしくはココナッツディスク)に寄ってから暗くなる前に帰るというのが定番のコースになりつつある。

そんな中、アレサ・フランクリンの『アメイジング・グレイス』をシネ・リーブル池袋で観賞した。正直に言うと前情報をほぼ調べていなくて、アレサの人生を追ったドキュメンタリー映画だとばかり思い込んでいたのだ。上映直前になって、ようやくアレサが1972年にゴスペルを歌ったコンサートフィルムであることを知った時、やっちまったと思わなかったと言えば嘘になる。それにしてもコンサートフィルムって観る時に独特な気構えが必要な気がするのは自分だけだろうか。

そんな杞憂もなんのその、実際には観ている途中からボロボロと涙が止まらなくなってしまった。アレサが歌い出すと会場の空気がガラッと変わるのがスクリーン越しに伝わってくるのが本当に凄い。というか、観客やコーラス隊が実際に身振り手振りだけじゃなく声を張り上げて「よくぞ言ってくれた!」的なリアクションをしているところが思いっきり映し出されるし、踊り出す人もちらほら。空気というより物理的にガンガン盛り上がっているのだ。特にクリーブランド牧師が思わず感極まって、席に座り込みハンカチで涙を抑えるところなんか思い出しただけでもグッときてしまう。会場にいる人たちはアレサが歌っていることに感動しているのではなく、アレサの歌そのものにやられてしまっているという事実。そのことにやられている自分。なんという感動の連鎖。そんな中、観客席にいる女の子が寝ちゃっている姿がチラッと映し出されているのも微笑ましい瞬間だ。

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もう一つ、この映画を観て良かったことがある。それは字幕がちゃんとついているのでゴスペルがどんなことを歌っているのかが分かることだ。この映画で歌われているゴスペルはいろんな内容を扱っているのだが、その底では共通して「生きるのが困難すぎて、マジでつらい」ということが流れていると思う。そして、その辛さをアレサがあの歌声で代弁してくれるのだ。その上、救いは必ずあることまで示してくれる。だから聴いている人々の感情があれほど解放されていくのだろう。

映画が進んでいく中、クリーブランド牧師が「これから演奏するのはポップスですが、誰の歌なのかを解釈することによって曲の意味合いは変わってきます(※1)」と前置きしてから演奏し始める曲がある。キャロル・キングの「You’ve Got a Friend(君の友だち)」だ。この楽曲は傑作アルバム『Tapestry(つづれおり)』にも収録されたキャロル・キングの代表曲の一つであり、ジェイムズ・テイラーがカヴァーして大ヒットもしている。まずはこの曲の歌詞を読んでみよう。

あなたが元気なく悩むとき / あなたが愛の慰めを望むとき / すべてうまく行かぬ時 / そっと目を閉じて、私のことを考えて / 私はすぐに飛んで行く / とても暗い夜さえも、私は明るくしてあげる / あなたが私の名を呼ぶだけで / 私はどこに居ようとも / あなたに逢いに飛んで行く / 冬でも、春でも、夏でも、秋でもかまわない / あなたが呼んでさえくれたなら / 私はすぐに飛んで行く / あなたには居る、友達が

孤独や困難に打ちひしがれる友人を慰め励ますこの楽曲は本当に素晴らしい、というか最高だ。だが、ここで一つの疑問も浮かび上がってくる。それはこの曲の中で友人へ語りかけているのは誰なのか、ということだ。だって、こんなに無私な人って実際に存在するのかね。自分もこんな人になれたらいいけど、実際には理想的すぎて難しい。しかし、ゴスペルを歌う人たちにとっては思い当たる人がいたのである。そう、「これはイエス・キリストの歌じゃん!」と彼らは解釈したのだ。映画内ではこの曲を「Take My Hand, Precious Lord(※2)」とのメドレーで歌われている。つまり「疲れ果てたこの手を取って欲しいと願う人々の視点」と「そんな人たちを救おうとするイエスの視点」の交差として二つの曲を繋げているのだ。いやぁ、よく出来てます。では、この曲のゴスペル的解釈はアレサによるものなのだろうか。

実は「You’ve Got a Friend」をアレサがコンサートで披露した前年の1971年、ダニー・ハサウェイとロバータ・フラックによって同曲のシングルが発売されているのだ。そして、同年にはダニー・ハサウェイの『ライヴ』も収録されている。このライヴではすでにゴスペル的な演奏に合わせて観客がシンガロングするという最高な展開が披露されるため、1971年の時点で「You’ve Got a Friend」のゴスペル解釈はされていたと考えていいだろう。なので、1972年にアレサがライヴで披露した時には演奏前の前置きでピンときていた観客は意外と多かったかもしれない。

しかし、キャロル・キングの楽曲をゴスペル的に解釈するという意味ではアレサの方がダニー・ハサウェイよりも先んじている。アレサが1967年にリリースした「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」がそうだ。これも本来であれば男性への愛情を歌ったもの(※3)を、主への信仰として再解釈している。そう考えると、むしろこんなにも普遍的でありつつ解釈の幅を持たせる楽曲を作り続けていたキャロル・キング恐るべし!ということなのかもしれない。

最後に「無私の人=イエス・キリスト」という存在について少しだけ。あなたは他人の為に完全な無私になれる人を具体的に思い浮かべることが出来るだろうか。私の場合は自分自身も含めて「いない」と言わざる得ない。仮にそんな存在がいると信じられること、そのことを他者と共有し確認し合えることが出来たら、きっとそれは大きな救いになるのだろう。対して、そんな存在を信じられない私は、信じきらず付かず離れず、ある程度は依存し合える人たちとの関係を折衷しながら生きていくしかないのだろう。なんか、実際それだって全然悪くないし、むしろ素敵なことのような気もしてきたけどね。

※1 ここは記憶で書いているので、あくまでそんなニュアンスだと思ってほしい。

※2 キング牧師が好きだった曲としても有名で、彼の葬儀ではマヘリア・ジャクソンが同曲を歌っている。

※3 この曲に出てくる「私の魂が遺失物取扱所にあった時 / あなたが来て、引き取ってくれたの」という歌詞が好きだ。これはゴフィンが書いたのだろうか。

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