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決して譲れないぜ この美学 〜落合陽一の計算機自然神社〜

 2024年11月9日の朝、通勤電車の中で適当にスマホを見ていた私の眼球に突如として謎の情報が流れ込んできた。それは「落合陽一、新たな神仏習合の神社を自ら神職となり創建する。」という奇怪な言葉だった。

 時間がない人には、ぜひ落合陽一の思想と神道と仏教が当然のように混合したステイトメントだけでも読んでみてほしい。めっちゃおもろいから。あと、そもそもなぜ神仏習合なのかの説明はすっ飛ばして、神道寄りの「ヌルの神様」と仏教寄りの「オブジェクト指向菩薩」というオリジナルキャラクターを同時に祀るという、なんとも欲張りさんなところも良い。そして、重要文化財の中にこんな珍奇な空間を作ってしまう心意気には感服しっぱなしである。許可した側も心が広すぎる。なんだか昭和の香りがほんのり漂ってくるようだ。
 この神社を創建した「日本文化伝承協会」というのも中々に何をやってるのかよく分からない団体で、なんか巫女をやたら推している。巫女検定をしたり巫女の育成に日々邁進してるっぽくて、記事内で舞を披露している綺麗な巫女さんは多分この団体に所属してる人だと思う。それもかなり面白いのだが、そこら辺を掘ってると切りが無いので気になる人は各自で調べてみてほしい。

 しかし、それらの魅力も私がもっとも気になっているポイントに比べてしまえば些末なことである。そう、落合陽一の前髪が烏帽子から垂れ下がっていることに比べれば。オフィスカジュアルが定着している世の中である。何をそんなことで騒いでいるのかと思った人もいるかもしれないが少し待ってほしい。とりあえず、陽一の格好を見てみてくれ。完全に着させられてるとしか言いようがない見事な神主スタイルである。この全てが制御され、崩しようのない服装でひときわ輝く遊び、それがこの前髪なのだ。おそらく誰かが優しく諭したかもしれない。「落合さん、その前髪なんですけど、もしかしたら烏帽子に入れちゃった方がいいかもしれないです。」、と。そうしたら陽一はきっとこう答えただろう。「いや、大丈夫です。」、って。そうやって陽一は不退転の決意で前髪を守り抜いたのだ。

 「ヌルの神様」とか「オブジェクト指向菩薩」のような訳の分からん足し算の空間で許された唯一の引き算。陽一の外見的特徴を1つずつ削ぎ落とした結果の終着点。つまり、「落合陽一とは前髪である」と言っても過言ではない。さっきから気安く下の名前を連呼してて大変申し訳ないが、その事実に気づてしまった私の陽一への親近感は最高潮に達している。
 普通に違うよ、という冷静な言葉なんて聞きたくないよ。だって私はこれからも陽一の前髪を注目し続けるって決めたんだから。

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