私がツイ廃ヲタク絵師だった頃の話をしよう
大学3年生だったか4年生一年目のときだったか、(あの辺は時空が歪んでいたのであんまり覚えていないんだけど、)あのときの私は寝ても覚めてもずっとTwitterランドにいた。今思い出して、あまりに幸せな日々だったなと思い出に浸っている。
まだXとかリポストとかインプレッション稼ぎとかそんなの知らない時代、フリートの有る無しで一喜一憂していたあの平和な時代。
私はいくつかあるアカウントの中で、ファンアートをあげたり推しや作品について語り合う垢のところにずーっといた。そこはまさに楽園だった。
新しいイベントやカードお披露目のたびにタイムラインが大盛り上がりして、金曜ロードショーを観ながら実況ツイートして、ホールニューワールドの鳥の鳴き声を文字起こししたりした。
素敵な絵師や文字書きやコスプレイヤーの作品を自分の持ちうる語彙力で褒め称えたり、宝石のような美しい言葉で自分の絵を褒めてもらえたり、お互いの絵柄のイメソンを考えたりした。
仲良くなった相互フォロワーと何時間も電話して、いろんな知見や解釈を得たり、ぬい連れて一緒にお出かけしたり、イベントいったりヌン茶したり。
何気ない内容のツイートに空リプして絡みにいってみたり、深夜寝れない時に覗いてみれば誰かが絶対いて、なんならいつも通り推しに発狂してて安心したりとかした。
引きこもって推しを描くこと自体、それを描いている間中、集中して推しに対しての解釈を膨らませていられて楽しいのだけど、私はそれと同じくらい、外に出て推しという存在を通して色々な交流をするのが楽しかった。
私はそれまで一人黙々系ヲタクだったので、誰かと一緒に推しコンテンツで盛り上がる楽しさを知った。
なんか怖いと思っていたTwitterも、優しい人と最高の作品と大変助かる解釈に囲まれて、あのTLにいるときは他の悲しいニュースを目に入れずに済んだ。
でも物事には変化がつきものだ。
かつてTLを盛り上げていた人たちも、進学や就活、気分、それぞれの都合で見かけなくなったり、新しい推しを見つけてそれ用の別のアカウントに転生していった。
寂しい。寂しいけど、よく考えたらあの時から2-3年経っているんだから、そりゃそうだよなと思う。
かくいう私も、一年くらい浮上しなかったり、アカウントを変えたり、他の人から見たら私も、いなくなってしまった人の一人なんだろう。
他人には寂しいと言っておきながら私も勝手な人間である。でもいうてもSNSなのだから、この感じの軽やかさと流動性が、多くの人にとっては普通なのかもしれない。有為転変生々流転諸行無常。そういうものなのだ。
今になって思い返すと、あの日々の尊さとか愛おしさとか、当時よりも増して感じられる。
あのときはとにかく時間に追われていたし、溜まっていく、返せてないリプを煩わしく思った日も正直あった。
もっと推しを魅力的に表現したいとか、普通にもっと絵が上手くなりたいとか、ついつい向上心が湧いてしまって、現状を最高と思うのは二の次になってしまっていた。
あの時の私のイラストは、今見ると拙くて、技術力は成長した今のままでありたいんだけど、それでも、なによりも情熱と楽しさを感じていたあの日々に戻りたいとも思う。
そこまで考えて、そんな風に思える日々を過ごせて、私は幸せ者なのだなと気づいた。
今でも一緒に出かけたり仲良くしてくれる人たちがいる。その人たちのことはより一層大事にしたい。
かつて仲良くしてくれた仲間たちも、それぞれ幸せに暮らしていて欲しいと心から願っている。
あとね、ヲタク特有アクティブパワー‼︎を間近で見ていたので、自費出版本を作ったり、グッズ作ったり、何かを企画してみたりすることを抵抗なくやれるんだ。それになにより、あのとき心血注いでイラストを描きまくって、色んな人に褒め称えてもらってパワーアップしたおかげで、仕事としてのイラスト依頼を自信持って引き受けられるようになった。
色んな意味で、あの日々は糧になっている。
ヲタクでよかった!!!!!
過ぎてしまった日々も、なくなるわけではない。
私が思い出しさえすれば、ずっとずっと心の中にあり続けて、励まし続けてくれる。
親愛なるヲタク仲間たちに愛を込めて。
さばたろうより