ヌードを撮ってもらうということ
秘めフォトに参加した。
私は、一過性のものに対して、ちょっと抵抗がある。
一過性のお祭り、盛り上がり、テンション、勢いで乗り切る感じ。
そうゆうことは、実は、私の外側のエネルギーの得意分野であり、私は、それを、まやかしだと思っているところがある。ここも、解きほぐして行きたい「コミットメント」。
でもね、たまにはこうゆう盛り上がりも、いいかもしれない。そう思える、本当にスペシャルな、秘密の部活。
女性たちは衣を脱いでいくことで、心も脱いで行き、その命そのもののエネルギーで空間が満たされていく。
三浦さんのまっすぐな視線と、周りを取り囲む他の女性たちの歓声により、撮られている一人は、どんどん美しくなっていく。
頬は紅潮し、そのたびに、素敵なショットが残されていく。
コンセプトは、自分史上最高にセクシーな一枚を撮る、ということ。カメラマンは三浦さんという、多方面に凄腕な男性。
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撮り終わるころ、ふと頭に浮かんだのは、「SEXY」とは、何か、ということ。
人によって、SEXYとか、「素敵」とか、そういった感覚というものは違っている。
特に、SEXYの場合は、男性と女性では、大きく違うだろう。
正直、三浦さんにとっては、私は、さほど魅力的に映らなかったんだろうな。と思う。息子を一時保育に預けて、池袋のスタジオにいったけれど、きっと三浦さんの感性と、私の存在感は、相性がいまいちだったと思う。意を決して参加した女性たちとの時間は、楽しかったし、撮られるということは、とてもとてもいい経験だったけれど、もう一度いくことはないかもしれない。(あるかもしれない)
でも三浦さんの仕事に対する情熱には、尊敬しかない。どうやって、あのエネルギーを維持しているのだろう。どうしてあんなにパワフルになれるのだろう。
もしかしたら、こうやって、女性の写真を撮ることで、彼自身もエネルギーをチャージしているところがあるのかもしれない。
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写真について。
誰が、どんな眼差しを、誰に向けるか、で、立ち上がるエネルギーは変わる。
撮る側の感性、感覚と、撮られる側の持ち味の相性。
写真っていうのは、毎回、毎回、一期一会のお見合いみたいなもの。
だから、やはり、誰にどんな風にレンズ越しに見つめられたかで、被写体は変化するということは、まぎれもない事実だろうと思う。
そして、三浦さんも、ものすごくエネルギーを出して撮影してくださっていた。写真を撮る、しかも誰かのヌードを撮る、本気で向き合う、ということは、それ相応の、価値があること、試合のようなものだと感じた。
たくさん、たくさん、撮られる経験をすることで、楽しむことで、もう一度、、原点を見つめてみたい。