僕が東京パラリンピックを目指す訳 第2回 ~妖精達からの撤退戦、そして玉入れと王者の資質について~
NHKのスタジオ。カメラは僕がコロナウイルスに対して殺意を覚えた瞬間を写した。「せっかく美女が2人もいるのに隣がオジサンですみません」と大越キャスターが優しい声をかけてくださる。「いやいやそんな、恐縮です!(ホントだよ、美女に挟まれたいよ!)」内心を隠し笑顔をつくって応える僕。視覚で素敵さを感知できない僕にとって切な過ぎる時間が過ぎた。
副島 キャスターと元フェアリージャパンの畠山さん。大変お綺麗なお姉さん二人(と事前に聞かされている)と共演させていただいたのに、握手すらできないのはもちろん、悲しみのソーシャルディスタンス。コロナウイルスへの怒りはオリパラ延期決定の時以上だ。
きゃつら(コロナウイルス)め・・・。とは言えお仕事なので全力営業スマイル!の写真↓
コロナウイルスへの怒りを必死に抑えつつ、一生懸命に熱弁をふるった。
パラリンピックの持つ真の魅力とは?そして今だからこそのの意義とは?
内容はコチラ↓
後日ラジオで大越キャスターがとてもわかりやすく説明してくださったもの。私がご本人と直接お話させていただいたのはほんの短い時間にも関らず、思いをくみ取っていただけて、その事実だけでも出演した甲斐があったと思う。
今回はそんな番組内でマセソン美季さんが出題してくださったクイズについて改めて考えてみたい。
【クイズ】小学2年生のあるクラス。生徒の中には車いすを使う男の子がいる。このクラスは運動会で玉入れに出ることに。車いすを使う男の子は“投げるのは得意”と自信満々だけど・・・。練習をやってみると、地面に手が届かず、球を拾えないことがわかった。どんなルールにすれば全員で楽しく競い合えるだろうか?玉を渡す係をつける?それとも?公平性を含めて、あなたならどうする?
(回答を思いついた方はコメント欄にどうぞ)
控えめに言ってこれはかなり難しい。ちなみに僕が立場毎に極めて主観的に考えるとこうなる↓
ケース1:僕が車いすの少年だったら。
A:「欠席します!」
危ないしだるいので欠場を希望するかも。というか実際に障がいを理由に体育祭の棒倒しを欠席した記憶が。
ケース2:僕が少年のクラスメイトだったら。
A:「はい先生、僕が玉を拾って○○くんに渡します!」
「投げるのは得意じゃないし好きでもないから、やりたい子がいるならいくらでも手伝うよ。
ケース3:僕が担任の先生だったら。
A:「みんなすまん!今年の玉入れは中止にします!」
なんか妙な事をして保護者に怒られたりしたら嫌だし。
・・・なんてテレビでは言えないよね。そして考えた末、本番中こう答えた。
「ルールは決めません。みんなに話し合ってもらいます(キリッ☆)。」
・・・逃げた訳じゃないよ?実はちゃんと根拠があった。
僕は普段から選手活動の合間をぬって、学校やイベントで講演、トークショー、ワークショップ等を行っている。テーマは障がい者水泳に限らず、多様性の重要性、ソーシャルインクルージョン、夢と進路についてなど様々だ。その中でもとりわけ数多く登壇させていただいているのが「スポーツこころのプロジェクト」。
仲間と協力することの大切さを身体で感じ、逆境を乗り越えることや夢の大切さについて考えることで子どもたちに笑顔になってもらおう、というJFA(日本サッカー協会)が主催する事業だ。僕はこのプロジェクトに「夢先生」として登録されていて、全国各地で話をする機会をいただいている。
この事業ではクラス単位での授業をアクティビティと講演の2段構成で行う。最初にまず子供達と一緒に体育館でゲームをするのだが、この時まさにクイズと同じような状況になる。つまり目が見えない僕をいかにゲームに参加させるか。ゲームはどれも全員で協力しないとクリアできないものになっていて、内容はその時々で選んでいるのだが、僕の場合、一工夫しないと参加すら危ういものが多い。
流れは毎回同じ。まずはトライ!そして失敗・・・そこから僕にできることできないことも含めて、みんなでクリアするための対策を話し合っていく。みんなは思い思いにアイデアを口にし、いろんな方法を手あたり次第に試す。僕は時においてきぼりにされたり、匍匐前進させられたり、背中で床を這いずり回らされたりしつつ(時々ちょっと辛いこともある)、みんなをファシリテートしていく。最終的には彼らなりの答えにたどり着き、全員で力を合わせてゲームをクリアする。みんなで達成感を味わう瞬間だ。
そのプロセスは千差万別で、毎回驚かされるし、とても楽しい。正解は一つじゃないんだということを改めて思い知らされる。
みんなが普通にできることを何かの事情でできない人がいる。その状況に対して本人をまじえてみんなで相談し、解決策を探す。そして協力して課題をクリアする。普段の学校生活ではなかなかできない経験だろう。
このプロジェクトには色んなアスリートが参加している。子どもたちからすればJリーガーやオリンピアンが一緒に遊んでくれた方が嬉しいのかもしれない。生意気な子らからは「なんでウチの学校は見えないオジサンなんだよ!」というクレームもあるだろうが、それに対しては「うっせー!俺様と遊んだ方がタメになるから我慢しろ!」と強気に言い返しておきたい。
なぜ正解を教えるのではなく、敢えて失敗を繰り返してでも考えさせるのか。それは人によって状況や望みが違うからだ。
クイズに戻る。例えばこの少年が障がいを負ったばかりなのか、生まれつきなのか、どんなキャラクターなのか。それだけでも正解は変わってくる。例えばみんなが同じように地面に座るルールにしたとする。みんなと一緒になって嬉しいという子もいれば、そんなのはみんなに悪いからやめてくれ、と思う子もいるだろう。
これは社会においても同じことが言える。多くの施設や組織が「こういう人が来たらこうしましょう」というルールを定めることに注力している傾向がある。もちろんリスク軽減や安全性の面からある程度は必要なのだが、実際には、それぞれに必要な対応というのは微妙に違うので、あくまでその都度ヒアリングして可能な対応を検討してほしい。
これは僕自身が障がい当事者になって初めて気が付いた価値観だが、正解を探してルールを設定し、それに安心して思考停止に陥るのは危険な思考の落とし穴だ。一人でも多くの子どもに「考える習慣」を身に着けてほしいと思う。
そして話し合う際にもう一つ重要な観点がある。「本人も参加すること」である。自分ばかりがいい思いをするような方法は取るべきではないし、無理なお願いを強引に通そうとするのもよくないだろう。
話し合いに本人が参加するとなると、場合によっては周囲の率直な意見に傷つくこともあるだろうし、納得できない結果に終わり憤りを覚えるかもしれない。だが、それと向き合っていくことも社会で自立していく上で必要な経験だと僕は感じている。当事者が歩み寄りのスキルを身に着けることもまた重要だと思っている。自戒も含めて。
・・・そういうわけで、玉入れについて重度視覚障がい当事者2名で話合ってみた。
富田「:つーかさ、そもそも俺らの場合、見えないっていう前提があるから投げてもどうせ入らんし、指示もらって拾って渡すに徹するのがいいんじゃね?這いつくばればいけるっしょ?」
木村:「いやー、これが受傷経緯の違いっすかね、僕は見えなくても投げますよ。『お前ら、俺様に玉をよこせ!』って感じっす(笑)」
富田:「そのメンタリティは認めるけど・・・。さすがに戦力外だし迷惑だからやめとけよ・・・。」
そんなとても有意義なディスカッションのおかげもあって、「やっぱり正解なんてない。敢えてルールは決めず、みんなで話し合っていくこと自体を学びとして、オーダーメイドユニバーサル玉入れを創り上げていくべきなんだ!」というのが僕の最終的な回答になったのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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