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15歳で諦め、観念してよかったこと。

オイラはこれまで幾度となく
こんなご質問をいただくことがありました。

「つぶゆみさんて育った環境はあまりよくないのに
どうして結婚もお仕事も子育てもうまくいってるの?」
(わかりやすくストレートに書いてますが実際はもっとソフトに聞いてくださいます。そしてそんなこと聞かれて大丈夫?と優しいご心配もいただきますが、オイラこういう質問全然いけちゃうみたいで、そうだよね〜ってなって普通に回答します。)


そうなんですよね👀

巷では育った環境や親の財力などで子どもの将来、生涯年収とか、あともっというと離婚や虐待があるとそれを繰り返しちゃうとかね。よく聞きますよね。(なかなかの暴論ですよね。素直な子ほど信じちゃうからね。)

オイラは当てはまってないのでそりゃ質問したいよね。


で、時々ちょびっとライブや記事で話したりはしてたのですが

オイラは肉体的精神的DV、貧乏、親の離婚、ネグレクト、が揃った家で育ちました。詳しくはライブでは割愛しましたが、自分で自分の世話ができるようになるまでは身なりも汚い時期もあったし、いつも緊張しながら生活してました。

助けてくれようとした大人もいたと思いますが、基本改善されることはありませんでした。あれってとっても複雑で実際問題難しいことだったと思います。親も別にやりたくてやってるんじゃないんですよね、あれ。心が弱かったとは思います。特に父なんかは命式的にみてもとても繊細な帝旺で、努力家なところもあったし、ただいかんせんちょっとねじ曲がっちゃったプライドと、バブル崩壊が合わさっちゃってタイミングが悪い意味でばっちりだったね、と思います。だからって許されないと思いますけどね。

ただ、オイラは今も五体満足で生きていますし、屋根のある家で高校も出してもらいましたので、まだまだ恵まれてた方だと思います。もっとひどい環境はいくらでもあると思います。

そんな私も小6くらいで世の中のことがもう少し見えるようになってきて、どうやら勉強が出来るとか弁がたつということが強みとして使えるぞ、ということに気づき、中学で行動範囲が広がり友達もできたのを機に自分の居場所というものを自分なりに得ることができるようになりました。今は違うかもしれないけど、勉強ができてよかったなと感じる場面は結構ありました。(義務教育制度があるから、勉強は教科書の範囲ならさせてもらえるし、勉強苦手じゃないなら、自分なりに努力してみるのはアリだと思います。進学の補助なども今はいろいろ情報あるからね。どうにも難しいことがないわけじゃないけど…💦)

で、部活なんかでもいろいろ充実した成果を得て
引退した中3の秋とかかな?

学校帰りにお友達のおうちに何人かで遊びにいった時のことです。
こたつに入ってたと思います。(オイラ自分は貧乏なんだけどお友達のおうちはしっかりして裕福なおうちが多かった(不思議なんだけど))

そのおうちもやっぱりとても大きくて素敵なおうちでね。
そこで、お茶とかごはんを食べさせてもらったのかな。
その時にふと、思ったんです。

『この世には自力で手に入れることが
どうやっても難しいことがある。』

『今の私がこれを自力で手に入れられることはないだろう』

って思ったんです。なんか急に。漠然と。
文字で書くとなかなか絶望的な感じありますが、なんかばーーーーっとずーーーんと入ってきたので、ショックというより、あれこれどうする?感の方が強かったのかなぁ?

今見てるこのお家みたいな環境での体験は、私の家ではどうやっても体験はできないから、実体験として経験することが不可能だ。
そしてそこで育まれる価値観を私がこれから自力で手に入れることはできない。

と思ったのですね。

だいたいお腹すいてたし、だいたいお金なかったし
いつもどこかで緊張していて明日はどうなるかな?ってわからない暮らしでは

経験から育まれるもの、価値観、
人を疑わない心とかね、

そういうものを
今わたしと仲良くしてくれてる
友達のように身につけることが

これは難しいことだぞ。

ってなんかすっごい思ったのです。

でね、豊かなおうちが多かったので友達もね、皆やさしかったのです。
当たり前にとても優しくて分け与える心もあれば受け取る心も許可も当たり前に持っていて、

この価値観には
叶わないなって
思ったのですね。

自分がそうなりたいと思っても、これは太刀打ちできないレベルでオイラに足りないもので、そして自力でこれから経験できるものではない。と思いました。
(不可能はないと思ってるけど、その時のオイラには無理だと判断できた)うちの親からこれを学ぶことが事実として不可能だったんでね。


努力したらね、得られないものはないって思うじゃないですか、そう思いたい。

でも、ここに関しては
『備わるものでもある』ってなんか決定的に感じちゃったんですね。
根本のところでスタートが違うって思いました。

そう思ったら

だから、私はこういう人から
学んでいくしかない。

って思ったのです。

観念したんですね。
これを自力でやって与えて
自分に備えていくことを頑張るのは無理だ。と、降参しました。

おそらく近いものは得られる。努力したらなんとでもできる。
でも、きっと根本のところの豊かな価値観というものを手に入れるのを
一人でやるのは無理。

と漠然と感じたんだと思います。

それまでは、結婚なんてしないで
一人でしっかり働いて、お金も貯めて人生どうにかなるかな?とか
いつかもう少しよくなっていくかな?とか思ってたり、
なんなら家のことも少しはよくできるだろうか?なんて考えていました。

でもそれじゃだめだと思ったんですね。

一人であがいてもダメだ。
一人で苦労してでもやっていくとか、家族背負うとか決めちゃだめだ。
まず先に自分が幸せにならないとだめだ。

って思ったんです(オイラの性格的に。頑張れる人もいると思うもちろん。実際そういうすごい人は世の中にたくさんいる。でもオイラの性格的には無理だなと思っただけ。)。

それで、幸せそうに見える人を見て、学んでいこうって思いました。
そうして私もこっちに行きたいって思ったんですよね。

こういう家庭で暮らしてみたいって、憧れはあったけど、
無理だと思ってたのを、スッと願いに入れていけたんだと思います。

だからここでね、
結婚するなら大事に育てられた人がいいっていうのも決めました。
ギャンブルしない、暴力なし、タバコ吸わない、怒らない、とかいろいろ条件決めました🤣

一人で頑張る設定のままだと傷の舐め合いになって共倒れするっていうのも感じていたんだと思います。そういう大人がいるのも実際に見ていたし、だから大事に育てられた人と結婚しようと思いました。自分は「ない」が当たり前で育ったから、そうじゃない価値観の人とじゃないとダメだって思ったんですよね。そもそも子どもの育て方わかんないかも、とか思ったりもしました🤣

そこからオラっ!と方向転換して、大学はさっさと諦めて就職するのに地元で一番でかい企業に入ると決めました。そこに入るのには高校で成績トップにいればいいんで、偏差値低い商業科にしました。なんなら簿記の資格もとれるし、と思ってそこに入って日商簿記準2級もとりました。(あの頃って準2級があって、日商簿記準2級持ってたらそれで大学入れてくれるところがあって、先生からお前大学いけよって何回も勧められましたが、親に金まじでないんだわ。試験受ける金もそもそもないって断りました。最後まで進路心配してくれたおじいちゃん先生3人くらいいて、今でも大好きです)。

田舎の企業は必ず一校につき一人女子の事務員の高卒とるってわかってたんですけど、高校入ってすぐにそれ先生に確認したのを覚えてます🤣(我ながらなかなかの性格…😇)で、その通りにトップで求人好きなの選べて、無事入社したら、今の夫がいてくれて、20歳で結婚しました。

もちろん、結婚後がいっつも順風満帆だったかというとそんなことないです。
喧嘩もするし、子育てでオイラのもともとの価値観と夫のそれとの差に悩んだこともたくさんあります。葛藤もしまくるし、自分の育ちを恨んだこともあります。

でも、他のおうちでもそんなこと当たり前にあるって思えたし、
結婚したからって私のいろんなことが解決するわけじゃないですからね。結局そこで学んで身につけていかないといけないのは私自身だなといつも思います。

なのでもうとにかく観察してました。結婚後、会社で働いてる時も、人を観察してました。素敵だなと思うと、その人の言動や立ち居振る舞いをよく見てました。
夫の実家でも、あ、こういう時はこう、こういう捉え方、とかすごい勉強になってました。時々凹んだりもしながら笑

でね、「あなたはあなたのままでいい」
「私は私のままでいい」っていうものと、
この「諦め」とか「学ぶ」ってことは私の中では別物です。
「あなたはあなたのままでいい」
「私は私のままでいい」の、私ってどんな私なんだろうって思います。
私の中でそれは、本来の、自然な状態での、です。

15歳の私は、その時のしんどめの私のままでいいって死ぬほど言ってもらいたい気持ちもあったと思いますが、「この私」のままではおそらく限界があるということを感知して、それなら、私のままでいい、の「私」をそもそも変えていこうとしたんだと思います。「ない」が多い「私」ではなく。

私のままでいいって思えたからといって、
その時の「私」で居続けなきゃいけないわけじゃないですからね。
(変わらないでとか意味不明に言ってくる人って足引っ張りたい人かもしれないなって思います。と同時に、頑張れ!幸あれ!って思います。)


鑑定とかさせていただいてますと、私みたいに諦めたりほっぽり出したりできなくて、そこでなんとか頑張ろうとか、背負っていらっしゃったり(逃げ出せない環境もあると思う)、すでにもう絶望しちゃってそもそもこんなもんだと諦めてしまったり、望まないことが周りのためだとか、望むこと自体に疲れ果ててしまった人もいます。

それだけ、そこで踏ん張ろうって頑張ってきたんだなって思います。

でもね。もしオイラのやり方が、薄情だと思ったとしても、面白いなと
そんな選択していいの?と思えたら、やってみてください。

自分の価値観だけでどうにかしなくては、
というのを諦めてみるの面白いと思います。
どうにかしなくていいと思ってみてほしいです。
できないこともあるんです。

一回自分のそれまでの価値観で生きるの諦めて
理想とかね、尊敬できる人の
価値観をね、学んでみたらいいと思います。

もういいよって言ってあげることと似てるかもしれません。

成功してる人って口を揃えて
『環境が大事』『理想の環境に身を置け』っていうじゃないですか。

あれ本当だと私は実感してます。

そのために、

一度、「今の自分を一回諦める、降参してみる、観念してみる」
といいと思うんです。

それはとても前向きなことだと思うのです。

そもそもの人生を諦めたくなる時もあるし、私も今だに時々ぶり返して
やさぐれちゃうことがあるんですけど、でもやっぱり、
『幸せになること自体を諦めないための諦め』はすごい効果的なんです。

無理ですよ!もうやめます!
私こっちがいいです!!

って言ったっていいんです。

今の自分で頑張るレールを諦めてレールを乗り換えていいんですよね。

そこから展開する人生もあるんで。
一回想像してみると楽しいかも。

どんな選択肢とどんな展開があるのかな?と

今のやり方やレールで頑張りたい時もあると思います。
やりがいあったりとか、そこに意義を感じてる時とか。

学ぼうと思ったからって全部受け入れなきゃいけないわけでもないですからね。一回は鵜呑みにしてやってみるのおすすめする派ですけれども、最終的には自分にどれがフィットするか選んで採用することを決めるのは自分です。

でも、そうじゃなくて、つらいなー、どうしよっかな、みたいな時は
こういう切り替えはね、大いにありなんじゃないかなとそう思うんですよね。


私はやってよかったんで、もし合いそうなら、どうですか?
ていうおはなしです🤗

で、天中殺にもこれ使えるっていうところもお話ししたんですけど
そっちはまた別の機会にライブしようと思うので、それしてからまた書きますね!


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