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劇団四季 ゴースト&レディ 観劇感想記録

先日、何回目かの観劇をしてきて、もう残りのチケットは無い状態になったのであらためて振り返りながらこの作品の感想とかをつらつらと残していこうかと思います。駄文です。解釈違ってたらごめんなさい。

最初に言いますが、このミュージカル「ゴースト&レディ」は大傑作です。
オリジナルの演目でここまで好きになれる作品を作り上げてくれたことに感謝しかありません。
よく人に劇団四季で観るならオススメは?と聞かれるときに
『劇団四季で一番多く見たのは「キャッツ」、一番楽しいのは「アラジン」、一番凄いのは「アナ雪」』と説明するんですが(個人の感想ですよ)
一番好きなのはこの「ゴースト&レディ」になったかもしれません。
…いやでもキャッツも大好きすぎるので一番は言い過ぎかぁ




ゴーストアンドレディとは

原作は漫画、藤田和日郎先生(「うしおととら」「からくりサーカス」など)の描いた「黒博物館 ゴースト アンド レディ」となります。上下巻の2巻構成。

実在した人物、フローレンス・ナイチンゲールと
実在する都市伝説、ドルーリー・レーン劇場の幽霊「灰色の男」"Man in Grey"ことグレイとの物語。

ナイチンゲールが劇場に足を運び、幽霊であるグレイに「私を殺して」とお願いするところから物語が始まり、ナイチンゲールの生涯を辿るように舞台はクリミア戦争に移っていきます。

子供の頃から藤田和日郎先生の漫画と一緒に育ってきた世代としてはもうこの漫画も大好きで。もう面白い、面白い。
上下巻の2巻なのに短さを感じず、冒険あり奮闘ありドラマあり戦闘あり、要素盛り盛りのボリューム満点、隙のない構成に面白さ、さらに感動も。
読んだことがない人はまず電子書籍でも何でも良いので手に取って読んでもらいたい漫画です。

そして読み終わったら是非ナイチンゲールの生涯と、灰色の男についてをwikipediaでも良いので読んでみてください。


今後の公演について

東京公演は2024年11月11日が千秋楽となり、なんともう残りの期間は全席完売。端っこすら残ってない…。のでもう観たくても観れませんが、この大反響からか名古屋・大阪公演が決定しました。

名古屋・大阪でも大いに盛り上がってもらって、また東京に戻ってきて欲しいなぁ、という気持ちです。名古屋は観に行くかもしれないけど、やっぱり東京に戻ってきて欲しいなぁ。


ゴースト&レディの感想とか色々


ここからは強いネタバレばっかり

なのでミュージカル「ゴースト&レディ」を観ていない人や漫画未読の人は引き返すことを推奨します。




5月に最初に観た時、めーっちゃくちゃに感動して大興奮だったんです。
グレイが凄い、フローがめちゃ凄い、デオンも痺れる。
原作の良さを知っていたから絶対ミュージカルも好きになる確信めいたものは持っていたんですが、やっぱりミュージカルになると楽曲が好みじゃなかったらどうしよう、とか色々不安はありました。

それは杞憂で、観た後にすぐ次の観劇予定を追加するくらい凄いものを観ました。
ただ、原作と違うところがある
舞台化にあたって「全部が全部原作のままなんてことにはならない」と最初から思ってはいたんだけれども、まぁここは仕方ないよねっていう所は別に良いんだけど、ここは変える必要あったの?という所が小骨のように引っかかっていた。公演プログラムの先生のインタビューとかを読んで、勝手に変えられた訳ではないと知るまですごいモヤモヤする気持ちはありました。

そして2回、3回…と見ていくと、そのたびに新しい発見があり、感動があって、あれれ?当初納得いかない~と感じていた所も、いやいや、ミュージカルなら確かにこの方が良いとか感じられるようになるんだから勝手なものですね…。


※本投稿ではキャストの人については言及しません。主演は全組み合わせ観ました。さすがにどのキャストも強すぎて良すぎました。
 

楽曲について

良すぎですよ~。良すぎますよ~。語彙なくなりますよ~。ほんと好き。
クリミアに行く決心をする『走る雲を追いかけて』がすっごく気持ち良いし耳に残るしなんて良い曲なんだ~と思ってたんですが、観劇を重ねていって歌詞も噛みしめていったり、リプライズも聞いていくとどの曲も良い~。
サウンドトラックはマストバイですよ…。


舞台装置について

言うまでもなく、この舞台でも舞台装置は凄い工夫に満ちている!
劇団四季の凄いところの、あくまで1要素として、「暗転」がほぼ無い、っていうのがあると思います。
場面はころころ変わるのに暗転がなく、その都度、目の前でダイナミックに変わっていく。劇場がお墓になり馬車になり、その後フローの実家になる。なんでぇ?の連続ですよね。
劇団四季のこの仕掛けはいつも好きです。
バケ子みたいなイリュージョン?トリックも色々と使われてましたね。幽体離脱はちょっと使いすぎかと思ったんですけど、グレイの体を銃弾がすり抜けたり、フローの胸にナイフが突き刺さるシーンは最初全然仕掛けが分からずビックリしました。こういうのも没入体験につながっていくんですね。


グレイについて

何でもする凄い役。主演もやれば狂言回しもやり、歌は当然のように極上、ゴーストダンスやアイリッシュダンスもやれば殺陣もやるし、剣持ったまま側転するし空も飛ぶ。原作と違って笑顔も見せちゃう。マジで凄い。逆に何をやってないんだ?
もう人気要素もりもりですね。
その派手な立ち回りとは裏腹にビジュアルは頭から足まで鈍いような灰色で、色彩豪華な舞台の上でこのキャラだけ目立たない淡い色、ハッキリと他とは違う存在なんだと認識できます。

ちなみにグレイを認識できるのはフロー、ホール、後々のボブだけなので他のキャストはグレイに反応しない(※)し、グレイの方を見ません。目線すら送らない。それで動き回るのにぶつからないのも地味すごポイントですよね。
(※)グレイに後ろに立たれた看護婦やイタズラされた兵は寒気を感じる演技をします。芸こま!


フローについて

一番最初に舞台が始まり、登場してきたフローを見た感想は「あぁ、ビジュアルは原作じゃなくて実際のナイチンゲールに寄せたのね」なんですけど、不思議すぎる。その後に髪型を変えて衣装を変えていくと何だか原作のフローに見えてくる。髪色は違うのにフローそのもの。何で?

この役はもう、歌が凄すぎて…。分かり切ってたことなんですけど。
一幕からずっと歌が良いのは当然なんですけど、キャストの時点で知っていたんですけど、その中でも決心したシーンとか以外では、あえて抑えて歌っているようにずっと感じるんですよね。言ってしまうと、歌声はすごく綺麗だけど、どこか弱いような。

「フローレンス・ナイチンゲールが…弱い…だって?」(下巻・239ページ)
クライマックスで大爆発するんですよ。それも段階的にギアを上げて。
え?まだ上がるの~!?というそれまでが嘘かのような歌で圧倒します。
歌で人を圧倒できるんですね。知ってます。
この舞台、生霊という設定は明示的には無くて影で表現されたりするんですが、クライマックスシーンは、そんな影なんか出さなくても分かるよね?と言わんばかりの声量が、見えないはずの生霊を表現してくれます。
抑えつけられていたフローの生霊がホールを圧倒する様が見られるんですよ。歌だけでこんな表現ができる人がいるの!?って初見のときにまさに度肝を抜かれました。

私が死んでも 誰かが 歩くでしょうこの道を
すべてを捧げて 私が 信じたこの道を

ここはもう観劇するたびに涙腺ポイントですね。

というように、歌はもうそりゃ凄いんですけども、細やかな演技、仕草や表情も良いんですよね。原作のフロー大好き人間としては、舞台ではどうしてもフローを目で追ってしまうんですが、舞台の良いところって、この時あのキャラはどうしてるのか?が見えるところでもあると思っていて。
原作の漫画だと描写されていない所、例えばグレイの過去回想中はフローはどのように受け取っているのか。フローは劇中だとその時、下手袖⇒2階部分⇒上手袖と現れるんですが、過去の回想を見ながらこんな表情をしてるんだ、というのも(台詞も無いんですが)フローらしい演技をしていて。そこを追いかける楽しみが舞台ならではだな~って思いながら楽しんでます。


デオンについて

シュバリエ デオンは原作でも史実でも性別不詳のキャラで有名だけど、このミュージカルではハッキリと女性とされている。
『呪いと栄光』に濃厚にデオンの中身が詰まっている。

哀れみはいらん 女はつまらん
父親に命じられた 息子として生きろ
~~~~~~~~~
しかし月日に 輝き奪われ 女だと見破られ 孤独な最後
~~~~~~~~~
もう一度 結末をやり直すのだ 名誉ある最期を 飾ってみせる

しかし今回は性別をハッキリさせることで魅力が増したように感じる。
「ゴーストアンドレディ」でも、同じ黒博物館シリーズの「三日月よ、怪物と踊れ」でも描写されているけど、あの時代、女性が強く生きるのが困難な時代だった。
ミュージカルの中でもフローの家族との対決でそれが描写されていたけど、それをより補強させるエピソードとしてデオンへの女性設定が足された気がしてる。
強く生きようとしたけど女性であることを見破られて惨めな最期だったと歌うデオンが、女性でも強く生きようとしてるフローを殺そうとする。

ゴーストが人間を殺すとチリになる、という原作に無い設定はグレイのためにあるものと思っていたけど、殺すことで名を残して最期を迎えようとするデオンのためにもあるんじゃないだろうか。
原作と違って名誉ある最期を望んでいるので、(原作では生き物の死ぬ瞬間の「絶望」が見たい、がモチベーションのキャラだった)
グレイの決闘にもきちんと受けるし、銃は使わないし、「もっと強くなれ」ということも言うのかな。(あれ、じゃあナイフ投げたのは何でだろう、まぁその後すぐ退いたのも望んでいた展開じゃなかったからなんだろう)


ホールについて

あの…あの…出番が少なすぎます…
ただ、それにしては存在感が凄いのはやっぱりキャストの強さだよねぇ。


オリジナルキャラについて

原作ではウィリアム・ラッセル等以外にも史実に沿ったキャラ(料理人のアレクシス・ソワイエは史実のキャラ)や他にもキャラは登場するんだけど、さすがにごちゃごちゃしすぎるのでオミットされるのは仕方ない。

そこでそれらのキャラをオミットした上で追加されたのが、フローの許嫁であるアレックスと、フローと共に奮闘する看護婦のエイミー。

アレックスに関しては、「なんか軍の中で君の悪い噂が広がってるらしいけど、まぁ君なら大丈夫っしょ!俺は国に帰るけど、がんばってくれ~」と言いながら退場していく最悪のキャラなんだけど(お前、「ぼくが君を守る」とか言ってなかったっけ???)
ミュージカルの中では非常に重要な役割を持っているという凄いキャラだと思う。

アレックスが最初に歌う「サムシング・フォー」。
原作だとフローの幼少期回想やグレイの回想でたびたび出てきて印象を残す『サムシング・フォー』を、ミュージカルでは印象を残させる役割としてアレックスが出てくる。
アレックスのサムシング・フォーは、ブローチと手袋と真珠のネックレスと指輪。どれ1つとしてフローが求めていないものであることが特徴的だった。

その後に再登場したアレックスがもう一度サムシング・フォーのリプライズをする。その時には「ぼくがきみを守るから」と言う。しかし、その直後の『不思議な絆』の最初で歌っている通り、フローが求めているのは守られることより前に進むこと。これもやっぱり的外れ。

そばにいてほしいのは
前に進む勇気 私にくれる人よ

こういった的外れの『サムシング・フォー』を繰り返すことで、最後の最後でグレイがリプライズする『サムシング・フォー』が劇的に活きてくる。そんなのありですか?ズルいですよ、エモすぎますよ。
しかも「かち合い弾」の代わりに出てきたのはナイチンゲールの象徴となるランプ。かつてグレイがフローに渡したランプを、フローは生涯(54年)大事に置いていた、とするとさらにエモいデス。

「リプライズ」はミュージカルでは非常に重要だと思っていて、
同じ曲を歌詞と状況を変えて使うことで心境の変化や成長、進展だったり、何か印象を深く残すために使われたりする。
大抵、同じ人が同じ曲をリプライズするような気がするけど、『サムシング・フォー』は最後の最後にグレイがリプライズする、そのためだけに存在するようなアレックス…。感動的なフィナーレはアレックスが居ることでより感動するんだった。最悪だけど悲しいキャラ。

さらに悲しいのはフローの強さを表現するために居るような、アレックスの添え物のように扱われる(ような気がしてるだけ!個人の感想です)エイミー…。
でもアレックスもエイミーも歌声がバチバチに良いから良いんだよねぇ~。(良いから良い)

アレックスはフローにそっけなくされた後、汚水を吸い上げたしっくいで出来た壁を触ったエイミーにハンカチを渡したり(エイミー、なんで壁を触ったの…?説明された直後だったじゃん…)
上手袖で花を渡したりしていてエイミーに求愛している描写がちょっとあります。


フィナーレについて

原作の最後が大好き人間なんです。なので観る前は「ここが違ってたら承知しねーぞ!」みたいな過激派だったんですが、すごい…すごい良い終わり方だった…。

原作ではフローは天国に行くけど、グレイは人を殺しているので天国には行けない。フローには光がさしているけど、グレイには影がかかっていて明確に区切られている。その上でフローに「一緒に来て欲しい」と誘われるのに対して「まだ観たい芝居がある」という返し。すぐに分かる明らかな嘘。
作中でもう見飽きたとグレイ自身が言っているんだから。
フローもすぐ察しての「バカ…」なんだと思うけど、すごく寂しい終わり方で大好きなんですよね。

ミュージカルでは「どうしてもやりたいことがある」と返す。「はぁ?」って一瞬なりかけるんだけど、これがミュージカルの冒頭にかかってくるんですよね。

残ってフローの活躍を描いた芝居を作り上げる。そうして出来たのがこの「ゴースト&レディ」であると。
そして『不思議な絆』のリプライズ。
一幕の最後に歌う『不思議な絆』を、二幕の最後にリプライズで持ってくるんです。上手すぎるでしょ!そして

またたく星 夜空にある限り
二人を結ぶ 不思議な絆

天国には行けなくても絆で結ばれているという終わり方。綺麗すぎる~!
その後には『偽善者と呼ばれても』の、フローの「私が死んでも誰かが歩くでしょうこの道を」の箇所のリプライズ。医療に従事している人たちへのリスペクトをふんだんに込めていると感じました。

そしてカーテンコールでハグですよ。(たまにバックハグだったりする。死にま~す)藤田和日郎先生の作品のカーテンコールですよ。


蛇足。過激派の妄想

ちなみにミュージカルは「ゴースト&レディ」
原作漫画は「ゴーストアンドレディ」
タイトルが違っている。つまり別物。
これは実際にあったのが「ゴーストアンドレディ」で、ミュージカルの方はグレイが執筆した舞台「ゴースト&レディ」だからという解釈が出来てしまう。

そう考えると、原作と舞台の違いを照らし合わせていくと、グレイが途端にメチャクチャ可愛いキャラになってしまうんですよね。

そもそも漫画のフローは狂気じみていて、アレックスとエイミーが退場したり同僚の看護婦が倒れても後悔はすれど、絶望なんかしないんですよ。(後悔する描写は漫画のラストにあります)
ただ、グレイ目線ではもうちょっと狂気性をマイルドにした女性にしたかったのか、それともあえて「絶望」をさせた上で「そんなのは絶望じゃねぇ」と自分をフローを救い上げる役にしたかったんじゃないか、とか色々考えてしまう。

悪漢に襲われるシーンは原作ではフローが自身で撃退するんだけど、グレイはそこには居合わせていないので詳細は知らないんですよ。「襲われたけど人が来て何とかなった」というのだけを聞いて、まさかフロー自身が撃退したと思わずにミュージカルのあの描写にしたんじゃないか、とか。

あまりにも当て馬すぎる許嫁役をオリキャラで追加しちゃったり。

倒れたフローに霊気を渡すシーンではキスまでしてますからね。
これはグレイが書きたかった舞台だから仕方ない。

この考え方はとても邪道なのは分かってるんですけど、こう考えると「原作と違う!」という強火な人でも、ついニヤニヤしてしまう。
なんだこの仕掛けは。天才の発明か…?なんて感じました。蛇足。

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