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年末年始スペシャル企画 内山昂輝・内田プロデューサー 年忘れ・新春放談 2021-2022 1

 現在ラジオ番組「内山昂輝うちやまこうきの1クール!」に出演、noteでは「内山昂輝のオドリバ」を執筆中の内山昂輝と、長年ラジオ番組を一緒にやってきた文化放送エクステンドの内田浩之うちだひろゆき社長こと内田プロデューサーが、noteに至るまでについて語りあう全6回の連載です。(※第1回は特別に無料配信します。)

                      文・構成 水野寛(Rocket Base)


第1回
内山昂輝と内田浩之の出会いと、「内山昂輝の1クール!」誕生のきっかけ、そして今に至る変遷を振り返る


■内山昂輝と内田浩之の出会い

内山昂輝(以下、内山)「お正月に原稿作成の休暇をとりたいので、それを逆手にとりまして、今回は年末年始スペシャル企画をやります。「内山昂輝の1クール!」のプロデューサーである内田さんとの対談です。私自身が対談とか座談会を読んだり聞いたりするのが好きだということも背景にあります。さて、まずは我々がいつどうやって出会ったのかを振り返ってみましょうか」

内田浩之社長(以下、内田)「内山さんと出会ったのは講談社さんのラジオ番組が最初ですね」

内山「オトヘン(『豊永利行・内山昂輝の週刊サウンドウィング 〜音羽編集部〜』)ですね、懐かしい。そもそも、あれはどうやって企画が始まったんでしたっけ」

内田「講談社さんとA&Gゾーンとで、何か一緒にやりましょうというところから始まりました。当時講談社さんが出してる『ARIA』(2010年創刊/2018年4月休刊)という雑誌があって」

内山「ありましたね」

内田「それが女性読者対象ということで男性声優のラジオを企画することになりまして、豊永利行さんと内山さんのラジオが始まりました。当時の内山さんはすごく人見知りでしたよね」

内山「当時はそうだったかも。元々の性格もあったけど、今と比べると業界に知り合いも少なかったから、お会いしたことのない方のトーク番組に出演するとか、出演したアニメの宣伝でいろんなメディアに出るとか、業界の当たり前のお仕事に苦戦した記憶があります。セリフのお仕事は全く問題なかったんですけど、バラエティっぽい内容だったりラジオへのゲスト出演なんかは、共演者の方々はすごい優しくしてくれるのに、勝手に人見知りを発揮して。それを思えば、今はかなり大人になっちゃったと思います。単に歳をとっただけともいえるけど。だから、オトヘンの最初もけっこう試行錯誤があったと思います」

内田「初対面の時は人見知りな感じのオーラが出てましたね」

内山「出てましたか。豊永さんと内山でやることが決まって、その後、文化放送の大きな会議室に関係する会社の方や番組スタッフの方々が集まって顔合わせしたのが、内田さんとの初遭遇の日だったと思います。確かにそこでもぎこちないムードはあったかも知れない。そこでみんなで自己紹介して、番組タイトルとか、どういう内容を話せそうかとかを確認して。それが2012年ですか。俺まだ大学生かな」

内田「大学生でした」

内山「大学4年生になる年ですね。当時はまだ声の仕事を卒業後も続けるかどうか、はっきりと決めてなかったと思うので、ラジオの経験も少なかったけど、まあとにかくやってみようかって感じだったんですかね。それで2012年、豊永さんとの番組が始まって。この番組ではどういうことやってましたっけ」

内田「基本的には『ARIA』の作品の紹介をしたりとか」

内山「プラスちょっとバラエティっぽい企画でしたかね。ラジオらしくふつおた紹介もあったし、いろんなバラエティコーナーがあって。あ、そうだ。冒頭でチョコボール開ける企画もやってた!」

内田「やってましたね」

内山「今やってる「1クール」とは結構毛色が違ったと思う。あと、謎にロケ企画もあったな。番組の雑誌を作るっていうのが先にあってのロケでしたっけ?」

内田「そうですそうです。雑誌を作るっていうのでやっぱりちょっとスタジオを出た方がネタも広がるなっていうのもあって、ロケをしましょうってなって1回目が高尾山にロケして」

内山「そうだそうだ、すごい!そんなことやってたんだなあ。今絶対やらないだろうなあ、俺。今の「1クール」みたいに、自分発信の内容が大半を占めるというよりは、オープニングトークはチョコボール開けたり、普通に2人の近況報告があったりして、その後にふつおたを紹介して、講談社さんの作品を紹介して、それに加えて構成作家とかスタッフが考えてくれたバラエティコーナーがあったり。あー、紹介する漫画を事務所に送ってもらって、家で読んだこととか思い出してきたー。だから、基本的に番組側が用意してくれたところにこちらが乗っかって、どう反応するかっていう形式だったかも。」

内田「雑誌を作るってことで、内山さんにその時初めて文を書いてもらうということになりました」

内山「雑誌を読むのは元々好きで、それでたしかラジオでも、講談社の女性ファッション誌を片っ端から読む企画をやってもらった気が。で、雑誌つくるならコラムコーナーが必要だと思って、それぞれ自分の好きなものについて文章を書くようなゾーンが必要じゃないですかねって意見して。そういうのとか、二人の交換日記とかも載せたんです。あれ毎日書くのは本当に大変だった。面倒な企画を考えちゃって、いまさら豊永くんに申し訳なくなってきた……。でも、この雑誌どうなったんですか? ちゃんと売れたんですか?ペイしたんですか?」

内田「売れました、売れました。おかげさまで。ちゃんとペイしました」


■「だめだったら1クールでやめさせてください」

内山「この番組は2年続いて、雑誌も2冊出して。スタジオを飛び出して高尾山にロケ行ったり、講談社で写真撮影したり、色々な企画をやりましたが、結局なんで終わったんでしたっけ?」

内田「何で終わったのかな。一定の目的を達したんじゃないですかね(笑)」

内山「その時は、終わるって言われて、ああそうなんだってシンプルに受け止めてたと思います。なんでだろう?とか、そういう業界や仕事のメカニズムみたいなことには本当無頓着でしたね。今は昔より知識や興味も増えたけど、当時は、そういうことは自分にはコントロールできないことだと思ってたし。で、2014年の3月に番組が終了して、少し間隔があいて2015年の1月から『内山昂輝の1クール』が始まる、と」

内田「僕はオトヘンが終わる時にやっぱり内山さんがラジオをやらないのはもったいないなと思ったんです。内山さんのトークもっと聴きたいなと思ったので。とは言っても元々、スタートした時の雰囲気も見てたから1人で喋るっていう感じでもないのかなと思い、相方探しを自分なりにしてたかなって感じです」

内山「1クールが始まるまでの間に、他の声優さんと一緒にご飯食べたりしましたよね」

内田「そうそうそう」

内山「櫻井(孝宏)さんと神谷(浩史)さん、置鮎(龍太郎)さんと内田さんの5人でご飯食べた日もあったし、櫻井さんと、あと浪川(大輔)さんが来てくれた日もあった」

内田「で、その頃も内山さんの相方をなかなか思いつかなかったので、内山さんにも誰か候補いないか聞きましたよね」

内山「ある日、誰とラジオやりたいですかっていうメールがきて考えてみたけど、豊永くんとは前の番組でやれることはやりきった感じがしたし、同時に彼はその頃、今も続いているけど、ソロの音楽活動に精力的に取り組んでいて、とにかく本当に多忙だった。だから他に誰かいないかなって考えてみたけど、「なにもアイディアが浮かばないです」って返信したと思います」

内田「言い方がすごく難しいんですけど内山さんのラジオトークってすごく面白いんですけど、何かA&Gとはジャンルが違ってて。多分御本人が聴いてらっしゃったラジオの世界があるから、それがラジオとはこうあるべきになっていたと思うのですが、そうすると別にアニラジを否定するという意味じゃないんですけど、内山さんのラジオの世界観とうまく合流できる声優さんが見つからなかったんですよね」

内山「その点はちょっと、ラジオに限らず苦しんだかもしれない。人見知りというのもベースにあったと思うけど、いわゆる「若くてフレッシュな男性声優」に求められるパーソナリティと自分の考え方が全然違った気がして、そのすり合わせみたいなことに時間がかかった感じがする」

内田「何だかんだでわっと盛り上がらなきゃいけないし」

内山「そうそう、罰ゲームで一発ギャグやる流れとか。この業界内には面白いラジオ企画とか、イベントでも魅力的なバラエティコーナーがあることは理解してるけど、安易に芸人さんの真似事をするようなバラエティ企画はよくないと思ってた。プロには基本的にかなわないし。その勝負に乗るなら徹底的にクオリティを高めるべきで、ぬるい劣化版はよくない。自分にはそういうのは無理だなっていう気持ちだった」

内田「本当にラジオを聴いてきた人ですからね」

(つづく)

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