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フィクトセクシュアルだからなんだってんだ。

はじめに


 こんにちは、うちうみと申します。まずは一言ご注意を。ここでは恋愛感情を持たないアロマンティック(aロマ)、性的魅力を感じないアセクシュアル(aセク)、そして二次元の相手に恋愛感情を抱くフィクトロマンティック(fロマ)、性的魅力を感じるフィクトセクシュアル(fセク)についての話をします。こんな人もいるんだなという軽い気持ちで読んでもらって構いませんが、生理的に嫌悪感を抱く方の閲覧はお勧めしておりません。

 さてタイトル荒ぶってますね。はっきりした主張とか考えがあるわけじゃないのだけれど、fロマfセクaロマaセクとしての生活の中で、色々思うところがあったので徒然書き留めてみようかなと思った次第です。書き出したら思ったよりまとまりは無いし、ネガティブになりました。

fセクfロマお相手公表問題について

 aロマaセクfロマfセクの自分について文章にしたのは、自分でもよくわかっていなかったから整理するためでした。iPhoneのメモに書き終えた時、長文で驚きました。私は彼に出会い、セクシャリティーを自覚するまでこんなに色々あったのか、と。それからふと、私と同じように感じている人はいるのかな?と気になったのです。SNS続けられないズボラな私なので、なんか文章をポイってするだけがいいなと思い、ここに行き着きました。
 ですが、投稿してから、どうも他のfセクさんたちは彼の名前を隠しているようだぞ?と気づきました。もともと自分用に書いていたものだし、がっつり彼の名前出しちゃったよ。もしかしてマナー違反だったのかしら。
 確かに同担拒否のように、自分と同じキャラを好きだとわかったら嫌な人もいるでしょう。3次元での恋愛なら、彼と付き合える人は1人で、他に付き合っている人がいれば、それは「浮気」や「セフレ」、「二股」になってしまいます(あくまで現代日本の、それも私が知る範囲での捉えられ方です。ポリアモリーの方を否定する意図はないです。) 。でも、フィクトセクシュアルの場合、そういう当然のルールは当てはまりません。だって、2次元の相手の同意を得てるわけじゃないし、相手のただ一人の特別になることはできない。
 「作品のキャラクター」と「恋人の彼」を別物と考える人もいる。恋人の彼は私だけのもので、他の人の彼は別の存在。そのキャラクターを愛している人の分だけ、それぞれのキャラクターが個別に存在している。これなら、恋人のただ一人の特別になれるかも、と思ったけれど、そのキャラクターに恋している人すべてがその考え方じゃないと成立しないね。そう考える人もいれば、キャラクターは1人だけで、その恋人は自分だけ。そのキャラクターに恋している他人はライバルであったり、キャラクターに言い寄ってくる邪魔者っていう考えの人もいるんじゃないかな。
 前者の「キャラクターが個別に存在しているタイプ」なら恋人のただ一人の特別になれるかも、と思ったのだけれど。その人の視野だけならそれでいい。でも、俯瞰的に見れば、そのキャラクターに恋している人すべてがその考え方じゃないと成立しない。私はまだ自分がどちらのタイプなのかよくわからないから、ちゃんと考えていかなきゃなと思う。どっちかって言うと前者な気はする。
 何が言いたいかというと、「彼の名前出しちゃまずかったかな、とビビってる」ってこと。私の想い人の名前を出したことで傷ついたり、嫌な思いをした人がいたら本当に申し訳ないです。これからはそういう配慮も学んでいきたい(反省・自戒)

 とはいっても、好きな人のことを隠さなきゃいけないってなんか変な気もする(急な逆ギレ)。だって三次元で恋愛してる人は、相手が誰なのかをネット上で公表しても問題ないよね?大声で叫んだって誰も咎めないよね?街中でイチャイチャしてたって、ひどいマナー違反にはならないよね?(限度はあるだろうし、健全な関係に限るんだろうけど)。Twitterでカップルアカウントを作ってもいいし、LINEのアイコンで匂わせてもいい。それになんの意味があるのかいまいちわからないけど笑。でも、自由に公表できるものだよね。なのに、fセクfロマになると急に肩身が狭くなる。別に法律で禁じられているわけではないし、マナー違反でも無いけれど、周りからの目を思うと中々言えないものだなと思う。変な人・気持ち悪い人と思われたくない。
 先に書いた通り、性愛の対象が二次元だから、"被り"が発生しうる。それを目の当たりにすると私たち当事者がショックを受けるから、お互い様で公表せず隠しているのかもしれない。だから、自由に公表できる権利を!とか社会が変われ!っていうつもりはないよ。なんか自由に愛を叫べないのが悲しくなっちゃったから吐き出してみただけです。

fロマfセクというラベルが私のどこまでを表してくれるのか

 こうやって色々考えると、fセクfロマってめんどくさいよね。異常だって言われるのが怖くて、カミングアウトできない。恋心はホンモノなのに三次元での恋愛とは違いがある(性質上仕方ないけど)。むしろ恋心なんて抱かなければ楽なのにって思うこともあった。実際にはね、aセクaロマっていうだけでも大変なことはあって、楽じゃないのはわかってる。今NHKでやってるドラマ「恋せぬふたり」観てると、めちゃくちゃ共感するし、これ面倒なんだよね、やめて欲しいよねっていう事案が多すぎる。aセクaロマはもちろん大変なんだけど、でも、周りから気持ち悪いって思われることはないんじゃないかなぁ。異常だとか理解できないだとか人間として何か足りないって言われる事はあるかもだけど(こんなこと言う奴はマジでくそくらえ)、「恋しない=気持ち悪い」ではないよね?なのにキャラクターに恋してる、ってなると急に気持ち悪いと思われる。悲しいね。被害妄想、自意識過剰なのかもしれないけど。
 っていうかさ、私は二次元にしか恋しなくて、三次元へは恋しないわけよ。これってfロマfセクaロマaセクって言うの?fセクfロマだけで足りるの?これが未だにはっきりわかんなくてモヤモヤする。二次元にも三次元にも恋するよって言う人もfロマfセクって呼ばれるなら、それは私とは違う、そのラベル(fロマfセク)だけじゃ私のセクシャリティーを表しきないって思うのよね。aセクaロマのラベルも必要になる。正直、二次元三次元どっちにも恋するのであれば、セクシャルマイノリティーではないのではないかと思う。その対象が同性だったりしたら別だけどね。それとも、普通は二次元に恋心なんて全く抱かないのかな。

fロマfセクがセクマイであることを知ってほしい 

なんかウダウダ書いてますけど、ずるいな、羨ましいなっていう嫉妬です。「三次元で恋愛する」という大技をやってのけながら、二次元の恋まで手に入れるなんて…ずるい!っていう。醜い感情であることは認めるけど、これもfセクfロマが世間一般に知られていないことに一因があるんじゃないかと思う。二次元に恋愛感情を抱くことに「Fセクfロマ」というラベルがあることを知らないから、気持ち悪がられたり、馬鹿にされたりするんじゃないかなぁ。内心でキモッて思うのは自由なんだけど、そういうセクシャルマイノリティーがあるって知ってたら、表に出すのはやめとこうってならないかな?例えば友人がゲイだとカミングアウトされた時。内心では(マジか。ちょっと生理的に受け付けられないなぁ。でもゲイってセクシャルマイノリティーってやつだよな。キモいって言うと問題になりそうだから黙っておこう。良い友達だったけど、距離おこうかな。)と思っていても、実際口には出さないで、「そうなんだ。びっくりはしたけど、応援してるよ。話してくれてありがとう。みんなには黙っておくね。」とか言うんじゃないかな。書いといてあれだけど、めっちゃ性格悪いやつだな、こいつ笑。こいつの思っていることが「差別」なんだよね。私たちfセクfロマはまだ明確な差別の段階にすら達していない。いわば潜在的差別ってところかな。(言葉は適当です。ちゃんと勉強したいな)
 まとめると、セクマイと認識されると、表立っての言葉が多少柔らかくなる気がする。根本的に差別が解消できたわけではないだろうけど、日常で強く否定されることは減るんじゃないかなぁ。
 「aセクaロマfセクfロマ」っていう言葉でわざわざ捉える必要もないくらい浸透するのが理想だけども、まずはfセクfロマがセクシャルマイノリティーであることを周知させたいな。LGBTはすでにこの周知の段階をクリアしつつあるよね。人権差別の問題も絡んできて、彼らを守らなければっていう動きは世界的に活発だし。まだ知られていない実情はたくさんあるんだろうけど、セクマイであるという認知は進んだよね。
 私は異常でもないし、自分のセクシャリティーを気持ち悪いとも思わない。fセクfロマというセクシャリティーがちゃんとあるって知ったから。それまでは、なんで普通に彼氏を作れないんだろう、恋できないんだろう、私って人として何か足りていないのかな、って辛かったけど、自分のセクシャリティーを認知してから、すごく気持ちが楽になった。私はfセクfロマの人間です、三次元には恋できませんって言えるようになったから。というわけで、fセクfロマがもっと社会に知られてほしいなと思う今日この頃です。

二次元に恋した私が多様性を考える

 今までの話にも繋がることだと思うのだけど、多様性とはお互いを分かり合えるのではなく、お互いを認め合えることだそうですね。「みんな違ってみんないい」の「いい」は、称賛の「良い(存在)」ではなく、許可の「(存在しても)良い」なんじゃないかな。最終的には「(形はどうあれ、存在しているだけで)良い」になれば世界は平和。これに近いのが、「オタクに優しいギャル」じゃないかなという仮説を打ち立てたい。

ひょんなことからクラスギャルにfロマfセクであることがバレたオタクだったが、ギャルは意外にも受け入れてくれた。
「好きな人、二次元なの?ウケる。」
「やっぱ変だよね…」
「別に変じゃないっしょ。だって好きなんでしょ?じゃ、いーじゃん。好きな気持ちは止められないよね。わかる〜。」
「あ、ありがとう。てっきり気持ち悪いって言われるかと思った。」
「え〜?言うわけないじゃん。だって悪いことしてないでしょ?もし浮気とか不倫してるんだったら止めるけどさ。てかあたしも初恋は忍○まの土○先生だったし。そんな感じっしょ?バカだからゲイとかそういうのあんま知らんけど、自由に恋したら良いと思う。」
「アニメとか観てたんだ。意外」
「子供の時は見るに決まってるじゃん。」

みたいな会話をギャルとしたい。そんで

「じゃ、じゃあ今はどんなアニメ見て
「あーごめん、今は観ない。その時間あったらネイルしたいんだよね。」
「あっ、そうだよね。なんか盛り上がっちゃってごめん。」
「なんで謝ってんのぉ?あたしネイリストになりたくてさ。夢なんだ。そーだ!今度爪貸してよ。練習台!」
「うん、いいよ。応援したい。じゃあ、夏休みね」
「りょ!」

ってな感じでさ。優しい世界だ。みんな違ってみんな良いだ。ギャル像が古くて申し訳ない笑。ギャルって良いジャンルだよね、好き。
つまりさ、多様性って、他人に共感したり理解するんじゃなくて、そういう人もいるよね〜、良いんじゃない?精神なのではないだろうか。

おわりに

 まとまりのないことを書いてしまったな。自分のセクシャリティーを自覚したら人生が楽しくなってきて、自分に自信が持てた。私は何か足りないわけではない、不良品ではない、そういうセクシャリティーなんだ。その分の時間と労力を他のことに費やせばいい。私の人生は私の自由に生きていい。そしたら、もっと楽しく、そして楽に生きたいっていう欲が出た。だからこんなことを書いているのだと思う。
 世界よ変われ、もっと私が生きやすく変われって願っても、当事者が受け身じゃ変わらない。でもどうやって変えればいい?私はあくまでaロマaセクfロマfセクからの視点でしか物事を見れないけれど、他にもセクシャリティはあって。なんならセクシャリティー以外にも差別や問題は山積みだ。貧困や環境問題、人種差別など、セクマイよりももっと辛い環境に身を置いている人はたくさんいる。でも、さっき言ったように私にわかるのは私のセクシャリティーが社会生活を送る上で不自由に感ずることだけ。じゃ、やっぱりそこから取り組むしかないよね?
 全員が辛くない社会にするにはどうしたらいいんだろうね。これから、勉強したり、自分を見つめ直したり、動いたり、やることがたくさんだ。でも自分が楽しく生きるためだからそんなに苦ではないかな。気を付けたいのは権利を声高に主張するだけにはならないということ。多様性を重じてこの世界に自分がもっと楽に生きられる、周りの人もそれで我慢することがない、そんな居場所を作ることが目標かな。

それはそれとして、fロマfセクな自分個人として、彼との中を深めたいな。次はそこのところをちょっと考えてまとめてみようかな。ポジティブにね。

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