ヒッチハイクの旅12日目。香川から大分へ。
ヒッチハイクの旅ももう終盤にさしかかった。
いよいよ今日は親友の待つ大分県に向かう。
(前回の記事はこちら)
*****************************************************************
朝5時半に起きて、教えてもらった坂出のうどん屋さんで朝うどんをした。
やっぱり讃岐うどんはおいしい。大好きだ。
そして高松駅に向かう。
かつて働いていたバイト先のカフェに寄りたかったのだ。
お世話になった店長と久しぶりに話した。
家族のように優しくしてくれる。
バイトでこんなに居心地のいい場所は初めてだった。
私もそんな場所をいつか自分で作りたいって思った場所だ。
埼玉の友人とはここでグッドラック!とお別れをして、
ヒッチハイクの旅にまた出る。
香川から愛媛へ横断して、フェリーで大分に渡る予定だ。
当時、ヒッチハイクで危ない目にあったらどうしようというのは考えていなかった。
あまり考えないようにしていたのかもしれない。
もし、何かあったらっていう理由でやりたいことを躊躇すれば、それはそこまでのモチベーションだったのだ。
当時の私にとってのヒッチハイク旅は、もし何かあったとしてもそれはそれで受け入れるっていう覚悟があった気がする。
自分の人生は自分で切り開いて進みたいっていう意思が強かった。
これからフランスに行くし、
日本でのヒッチハイクくらいは軽くこなしたいっていう思いがあった。
私の母親は私とは対照的に、臆病で心配性だ。だから心配もかけてしまったことは申し訳なく思ってる。
でも高校1年のときに父親を心筋梗塞で突然亡くした私は、
人生はいつ死ぬかわからない。やりたいことはすぐにやらなくてはいけないって胸に刻んでいたから、この旅も全くの躊躇なく行けたんだと思う。
この日はすごく風が強くて寒かった。
しかも私は酷い花粉症で、鼻水はすすってるし、涙は出るしで体調は絶不調(涙)。
持っていたマスクは風に飛ばされ、ダンボール看板は手の中でバタバタ暴れる。
寒すぎてお腹が痛くなってきて、近くにあったマックに緊急避難した。
元カレからもらったコーヒーチケットが役に立つ。
さすがだ。ありがとう。
コーヒーを飲んで気合を入れなおして、再びダンボールを持って立つが、
1時間くらい待っても拾ってもらえず、孤独に襲われそうになる。
何台かの車から頑張れって応援してくれたから、なんとかがんばれてた気がする。
すると、以前もヒッチハイカーを乗せたことのある優しいお兄さんが、わざわざ戻ってきてくれて、インターの所まで乗せてくれた。
お兄さんは独立して自分でビジネスをやってる人で、話も面白かった。
一回乗せちゃうと、最後までちゃんと到着したかすごく気になっちゃうから、乗せるのためらっちゃうんだよねー。と言いながらも、乗せてくれた優しいお人だ。ちょっと胸キュン。
インターで再びダンボールを掲げて立っていたら、30分くらい立っててライフゼロになりかけてたところを、
わざわざ戻ってきてくれたスーツが決まっているちょっと強面のおじさんが拾ってくれた。
車も見た目もイカツめな感じで少しビビったが、話した感じはすごくソフトだった。
しかも三豊市までの約束だったのに、愛媛の端っこの八幡浜港までわざわざ送ってくれた。(号泣)
すごく優しくて、ダンディなおじ様だった。
寒い日のヒッチハイクは本当に心が折れやすくなるからツラかった。
心が折れそうになったときは、前に仕事で一緒に厨房で奮闘した女の子が翼の折れたエンジェルを熱唱してくれて励ましてくれたのを思い出す。
なぜか翼の折れたエンジェルを聞くと再び頑張ろうとパワーが出てきたから不思議だ。あのときは辛かったときに何度も2人で爆笑して乗り切った。
助け合える仲間がいるって幸せだ。
優しい人達のお世話になりながら、
香川から愛媛の端っこまで行けて、ちゃんとフェリーに乗って大分に到着した。
別府港まで友達が迎えに来てくれて、
約1年ぶりに再会!
2011年の震災があったときに友人は、東京から地元の大分に帰ってしまったから、
それ以来ぶりだったから嬉しかった。
初めは大分が最終目的地だったのだけど、
香川で、かつてのバイト仲間がパン屋さんを長崎で開いてるよ。っていう情報を聞いて、長崎にも足を延ばすことにした。
この若さでもうお店を開いてるなんてさすがあの子だ!
私はそのお店に行きたくて堪らなくなった。
大分でゆっくり2泊してから、長崎に向った。
つづく
ここから先は
¥ 100
サポートありがとうございます! ピプオにチョコレートでも買ってあげます。