スマホにかこまれて
今やスマホは必需品だ。子供から大人まで使いこなす。
でも私はあまり使いこなせていない。子供に教えてもらうこともしばしば。
便利は不便ということもある。便利だけれど何か物足りない。何が物足りないのかはっきり言葉にできないけれどなんというか全て流れて消えてしまう気がしている。
デジタル化して簡素化されているはずなのにあいかわらず仕事量は変わらない。みんな遅くまで働いている。むしろ働き過ぎに思える。働きたくないわけじゃない。時々とても徒労に感じてしまう。
スマホがあれば待ち合わせも簡単にできるし、約束の確認も謝罪もできる。とても便利だ。こんなめんどくさい事を考えてしまうのは老害の始まりかもしれない。
でもそうではなくしていきたい。みんなが楽して友人や家族との時間を優先できるといいなと思う。
子供が生まれてからも夫は毎日残業だった。近所に知り合いのいない私は追い詰められた。夫だけが頼りなのに毎日疲れた顔で帰宅する夫に頼れなかった。
当時はスマホがなかったから毎日散歩ついでに図書館で本を借りた。
子供を寝かしつけてこそこそと読むその時間だけが私の時間だった。
今は便利なスマホがあり、何でも楽しめる。Twitterをはじめていろんなママの本音が知れた。安心と共感の嵐だった。
いろんな家族の形があっていいことも悪いことも日々積み重なっていく。その中で毎日手探りで最善を探して選択する。
何が正解はわからない。きっと死ぬまでわからない。でも私はずっと幸せだ。
友人に恵まれ、いいことも悪いことも話せて一緒に喜んだり悲しんだり怒ったりする。子供もとてもかわいい。大事なことやものがどんどん増えていく。
子育てしながら亡くなった母を思う。今となれば母は本当はもっといろんなところにでかけたりいろんなものを見たかったのでないかと思う。年々、内向的で愚痴っぽくなる父にうんざりしていたのではないだろうか?
ホントのところはもうわからないけど。
父は虚栄心のかたまりだと思う。他人にばかにされるのを極端に嫌う。昭和の男って感じだ。本当の父はとても気が小さく優しいはずだけど男だからと気を張っていたように思う。冗談も通じない。振り返るとしんどい。
この年になってみてやっと父を一人の人間として見れるようになった。それまでは父という存在だった。友人もおらず酒もタバコもやらない。真面目ではあるけれど窮屈でもある。
だらしないよりマシかもしれないけど、父と二人では会話も続かない。そんな父も体をこわして入退院を繰り返している。
次はいつ会えるかもわからない。こんなに便利なスマホがあるのに電話一つかける勇気のない自分がいる。後悔しても知らないよと言われる。わかっている。それでもできない。
便利な世の中で言い訳ができなくて息苦しくなってる。優しい言葉を紡ぐ事ができる気がしないんだ。大人になれないよ。