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SAOアリシゼーションと「終わりなきトゥルーマン・ショー」-22.剣の巨人感想

今回は、ソードアートオンラインアリシゼーションの第22話「剣の巨人」を見て、アドミニストレータの発言にとても興味深いものがあったので、そちらを含めた感想を書いていきます!

1.はじめに

やはり、SAOの一番の魅力といったら、あの緻密な近未来感ですよね。
未来技術の話ではありますが、最新の研究や開発を見ると数十年後にはもしかしたら...と思ってしまう緻密な近未来感がたまらなく面白い。
今回のフラクトライト型フルダイブVRというのは、心の科学的にも技術的にも先は見えませんが、絶対にないとは言い切れません。
そんなSAOだからこそ、近未来の社会や価値観を学べる良い教材だと思って、思考の食べ物にしてる私ですが、今回の最新話はシビれましたね。
私がどこにシビれたのか、順を追って説明していくので、是非最後まで拝読ください

2.最高司祭クイネラの発言

まず、冒頭にも言ったとおり、シビれたのはアドミニストレータ改め最高司祭クイネラの発言です。

このクイネラのキリトに対する返しは、さすが伊達に悠久の年月を生きているだけないなと、本当にシビれました。
キリトは「向こう側」から来た人間です。「向こう側」というのは言わずもがな現実世界。しかし、どうでしょう、クイネラにとっては「こちら側」の世界こそが正真正銘の「現実世界」であり、決して仮想ではありません。
ゲームの中で生まれ育った存在というのは、SAOにはたまに出てきて、アインクラッドのユイちゃんや、オーグマーのユナ、亜種的ではありますが、実生活が寝たきりだったアルヴヘイムのユウキも、彼らにとっては「仮想世界」こそが「現実世界」だったでしょう。

特に、アリシゼーションはフラクトライト技術を用いた「人間」がNPCとしているわけですから、それはもう彼ら彼女らにしてみたら、我々が生まれたときに「この世界は仮想世界かもしれない」なんて疑わないのと全く同じようにリアリティを持って生きているわけです。

ここで、先ほどの発言にもどりましょう。

「自分たちの世界がより上位の存在に創造されたものである可能性を常に意識し、世界がリセットされないように、上位者の気にいる方向にのみ進むよう努力してるの?」

こんな風に上位者に気に入る方向にのみ進む人間は、神話の世界にしか出てきません。特に科学革命が起き、神は死んで、人間至上主義が跳梁跋扈している現代において、我々人間はクイネラと同じくらい傲慢で自分勝手です。
「剣の巨人」は核兵器なようなものです。アドミニストレータは現代の我々です。アンダーワールドにとっての地球人は、地球人にとっての創造神です。
現代において、神の名を語れば、非科学的だと言われるかも知れませんが、時計の歯車をいくら内部から研究しても、それを作ったものも、見ている上位者の存在も見えるわけがありません。同じ理屈で、この世に神がいないということを論証することは原理上不可能なのであって、科学的だの非科学的だのの次元ではありません。

このように考えていくと、このクイネラの発言は、暗にキリトや視聴者に「アンダーワールドと現実世界は本質的に何も変わらない」ことを示唆しているのです。
まさに、「終わりなきトゥルーマン・ショー」です。

3.「終わりなきトゥルーマン・ショー」

みなさん、「トゥルーマン・ショー」という映画はご存じですか?
1998年のアメリカ映画です。あらすじとしては、離島シーヘブンで保険会社に勤め、普通の生活をしていたトゥルーマン・バーバングのお話。実は、生まれたときから全ての生活風景を全世界に生中継されており、離島シーヘブンは巨大なセット、トゥルーマン以外の登場人物は家族も友人も隣人もみんな役者だったという物語です。
この中で、異変に気づき、巨大セットから脱出を試みるのですが、エンディングでテレビの世界から外に出て、「やったー!」で終わりなんですね。

落合陽一さんと、清水高志さんと、上妻世海さんの鼎談本『脱近代宣言』の中で、この映画が「終わらない」と仮定した世界が、テクノロジーが発展し、脱近代化した世界のカフェオレ的(現実と虚構の区別がない)世界観だと指摘されていたのが、私的にとても印象深かったのですが、

今回、SAOA22話のクイネラの発言を聞いたとき、「まさにこれだ!終わらないトゥルーマン・ショーだ!」と思いました。
アドミニストレータの世界は、上位者の存在から監視されている実験場の箱庭です。しかし、キリトのいる世界はどうでしょうか?メタ的ではありますが、作品にはオーディエンスがいますし、作者がいます。更に言えば、そのオーディエンスである我々視聴者は?上位者がいるのでしょうか?
我々も「終わりなきトゥルーマン・ショー」のレイヤーの中の一つなのかもしれません。

4.臨場感こそ作品の至高-敵が正しいアニメは神アニメ-

敵キャラにも愛らしい部分があり、信念があり、考えがあり、自由意志で自立思考しているように思える、魂があるように思える作品はどれも素晴らしいモノばかりですが、SAOのクイネラにも同じ節がありますよね。
「人間はわかり合えない」なんて話がありますが、理論的帰結は前提条件が異なれば結論も異なります。信念が強ければ強いほど、リスペクトは払えても同じ考えを持つことはありません。
「正義の反対は悪ではなく、別の正義だ」なんて話がありますが、作品の重みは臨場感・VR感に顕われます。純粋な二項対立と勧善懲悪では決して生まれないリアリティこそが、作品の"厚み"へと昇華します。

5.最後に


虚構だ現実だ仮想だではなく、リアリティこそがリアルを語る上で重要なのです。そういった意味で、SAOは本当に素晴らしい。
アリシゼーションは全4クールだそうなので、まだ半分といったところですが、アドミニストレータ編はそろそろ終わりそうなので、今後どういう展開になるのか、キリトとアドミニストレータはわかり合えるのか、とても楽しみに見ていこうと思います。

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