2年目奮闘記7月30日
社報に、2年目奮闘記を書かねばならない。
出版社の社報ってもうみんな目が肥えてるからハードルが高いと勝手に感じてしまう。過去のを読んでも、みんな個性が強めな文章を書いているし。テンションも人による。
という訳で、今回は裏の2年目奮闘記。
2年目は雑誌に異動してまいりました、うちこです。右も左もわからぬまま、1年目のごとく奮闘しております。企画を考え、依頼をして、原稿を整理し、レイアウトをしてもらって、無事校了までもっていく。先輩の後ろで、すべての過程にへぇ〜と思っていられた時はあっという間に、(具体的には1ヶ月で過ぎ)、実地でやりながら体で覚えている日々です。
あれもこれも面白いし、とても楽しい。そう100%純粋にただ言っていたのは昨日まででした。
校了を終えて、念のためにと印刷所に確認させていただいた原稿に誤りが見つかったのです。そのとき私は休みをとっていて、1年ぶりに会う友人と遊んでいたところでした。一瞬で血の気が引き、混乱のままに先輩に電話をかけました。どうしよう、という不安だけが脳内を埋め尽くし、同じ行を繰り返し辿ってしまって読み進められません。
途中は省きますが、先輩が赤字を直してくださり、他の修正も加えてくださって無事に印刷にまわることになりました。
本当に怖くって情けなくて申し訳なくて仕方がなくて……。でも夜になったら、それだけではなく、自分が不甲斐なくてたまらなく、久しぶりに悔しくて泣きました。
今回の記事は、自分なんてと謙遜される方に一生懸命にお願いしてようやく承諾くださったものでした。力不足を感じながらも原稿に頭を抱えて、先輩に尽力いただいてようやくできて。本人確認もご自宅まで伺って、時間をかけました。いい内容だと感じていたので思い入れあったし、良いものにしたかった。懸命にがんばってやった、そのつもりでした。
それでも最後の赤字は、こんなにも私が完成!と思った原稿は直しが必要なレベルだったことが明らかで、胸に刺さりました。突きつけられた現実が苦しくって、情けない。
そして何より、度重なる修正を前にして、ちょっと面倒くさいと思った瞬間があったのではないかと、自分だけは知っている手抜きの記憶が何より痛かったです。わたしの終盤の修正は、原稿をより良くするものではなくて、ただの文字数合わせにすぎませんでした。
あんなに、頑張ろうって思ったのに。
編集者の仕事って楽しいと、ただ100%の気持ちではなくなって、それと同じくらい怖いという気持ちが生まれました。世に出す、最後のジャッジを担っているのって、本当に怖いですし、責任が重いものだと感じました。
自分に対する過信が綺麗さっぱり消えたところで、改めて2年目、奮闘していきたいと思います。どうぞご指導くださいませ。