音楽は言語である。
音楽は言語である。
どちらも思いを表現する手段であり、同じ目的を持っている。
他と対話することができ、読むことも書くこともできる。笑わせ、喜ばせ、悲しませ、怒らせ、感動させ、考えさせ、悩ませる力を持っている。
そしてそれらは1人にも、大勢にも伝えられる。
「音楽」というものはスポーツや学問のように誰かに教わり、技術や知識として得るものではない。
もっと自然な存在である。
言葉を話すのと同様に音楽も自然であり「楽」なものである。
人間が言葉を話せるようになる過程には、沢山の失敗が当たり前に存在する。
何も話せないところから周りの人間を真似て周りの人間と話し、一文字ずつ、一言ずつ失敗を繰り返しながら話せるようになっていく。
周りの人間とはいわば話すことのプロであり、プロの真似をし、プロとの会話で失敗する事で人間は言語を習得していく。
これが何を意味するのか。
音楽も同じである。
誰しも何も表現できないところから、プロの真似をして少しずつ音楽というものを会得していく。
赤ん坊が最初に単語を話す時、周りの人間は完璧な発音を求めない。
「なんとなくそれっぽく聞こえるような気がする」だけでもこれでもかというほど褒める。
褒められると更に他の言葉を離したくなる。
褒められる、話すの繰り返しである。
音楽においても最初から完璧な音やリズムの要素を求めてはいけない。
最初からできる人なんていないんだから。
「なんとなくそれっぽく聞こえるような気がする」音楽をしてみる。
第一言語の場合褒めるのは周りの人間だが、音楽の場合は自分でも音楽を認めることが褒めることに繋がる。
プロの音楽を用いて自分で自分の音楽を会得することができるわけだ。
例えば、音楽経験のない人間に音楽を教える場合、初めから最終形に近づけるような指導をするのは間違いである。
「もっとこうした方が良くなる」点は当然あるだろうが、それは最初の段階で言うべきことではない。
どんな状態であっても、「なんとなくそれっぽく聞こえるような気がする」のであれば、褒めることが必要である。
さらには褒めるだけでなく、自分と相手との対話が必要である。
言語習得において、対話をするのは「言語」だし、褒められるのには「言語」が使われる。
そのため、音楽では音楽で対話をし、音楽で褒めることが自然的な習得へと繋がる。
そうして自分のものとなった音楽は普段我々が読み書きするこの言語のように、自然に表現ができるものとなるのである。