ストーリーを変える
(昨晩の Game Changer ワークからの生成。みなさんに感謝m(_ _)m)
ストーリーを変える
今いるこの世界を変える
またはこの私の役を変える
には
観る(脱ストーリー)
まず 無自覚に関わっている 自覚しないで参加している やらされていること しょうがないこと あきらめてること 他人事 に気づくこと
(この時、自分は自分のセンターにいることを意識する)
つまり、いったん立ち止まって、舞台の外、ストーリーの外に出ること
なにもしないこと ただ観ること
感じる
次に、
舞台全体を、ストーリーを感じること
いろんな役に自分事として入ってみてもいい
(この時、自分は自分のセンターにいることを意識しつつ、前、後ろ、右、左、上、下へも意識を拡げる)
そしてストーリーとして何が生成するかを感じること
優れたストーリーはたとえ作者がいようと自律的に生成していく、役者が、舞台装置が、観客が相互に作用し、アドリブで即興も交えながら、イマココで生成していく。シャドウやゴースト、未だ視えざる役もそこに潜在的
にいたりする。過ぎた時間も変わってしまったりもする。サブストーリーが始まることもある。
(cf.ワールドワーク、シラノドベルジュラックに会いたい)
(つながる・悟る・つかむ・わかる)
何か大きいもの(これだ!、全体、ワンネス、大生命、いのち、宇宙、真理、かみさま、、、言葉にならないもの)につながって、わかる・つかむ・悟る・からだでわかる。これは一瞬かもしれない。
参画する(再ストーリー参加)
そこで、自らの役のセリフや所作も変わってくるだろう。
自らの意志で選択できる。
そしてストーリーを動かしていく/(自覚しながらも)ノっていく・動かされていく。
(この時、自分は大きな自分だ)
(U理論のまんまだな)
現実ストーリー コロナ
さて今の現実ストーリー、コロナの下で感じる無自覚の文脈はなんだろう?
一つに、
「死ぬのは怖い・嫌だ、生き延びるのが、サバイバルするのが大事だ」
があると思う
もちろん、当然、当たり前 の話 医療従事者にとっては使命
でも
「なんで生きるの?」
「死なないために生きるのよ」
じゃないよね
世界観として、
「命は、この身体が死んでも連なっていく、大きな流れだ。」
という前提ならどうなるだろう。
医療でも、延命第一でなく、
幸せに生きるを助ける
であれば 死の受容も大事だ。
とすれば、いたずらに死を怖がりすぎて、生きることが抑圧されすぎるくらいなら、死はしょうがないと受容することで、生きる力をもっとエンパワーすることができるし、助け合うことや、慮ることもできるんではないだろうか。
「死ぬのは怖い・嫌だけど、死ぬ確率は全員100%。子どもたちが歓び楽しく強く生きることを応援し、祝福するのが歓びだ」みたいな
つまり、致死率はそんなに高くないコロナウイルスを恐れ過ぎず、しかしお互いの配慮の中でそれぞれが判断する。情報はしっかりオープンにする。衛生面はもちろん配慮する。
そして改めて、構造としてある貧困格差をなんとかする(生態的社会的公正さ・再配分・・・)。大システムに依存しすぎる社会インフラの自律分散化にちゃんと取り組む。生命力を取り戻すことを大切にする。
コロナもまた「のさり」と感謝。現実のストーリーも変えられる
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