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その一言が何でもできるほどの原動力になり、そしてその一言が相手を傷つける

おはようございます、皆さま。

言葉ってただで話せて、良い意味でも悪い意味でもパワーを持っていますよね。

皆さんも人生で一度は、一言にしびれた!一言が心の奥までジンと来た!そんな経験あると思います。

勿論、uchan自身ありますし、どんなシーンだったか思い直してみました。

・あれは大学生の部活時代、記録が掛かったゲーム終盤に信頼していた先輩から、

「決めてこい」と一言声掛けされました。

言われた瞬間、背中の真ん中から頭へ向けてゾクッとするような見えない力が走りました。

勿論今までスポーツやってて感動泣きとかはあったけど、それとはまた違う生きてるって感覚。

まさに自分の中に雷鳴が流れたって言ったほうが正しいでしょうか?

・次は社会人編、2年目でいつも自信なく、所長に遊び半分で質問攻めを喰らっていました。

ヨボヨボ返答していたuchanでしたが、横から先輩が

「あっとるんやから堂々と言えや!」と一喝。

自信なく日々を過ごしていた弱った自分の背中をバチんと、叩いてくれたかのような声掛けでした。

所長に返答してすぐ、人影のないところに行き、心の奥底にじんわりしたものがありました。

そして目頭が熱くなるほど心に響いていました。

他にも数個あるのですが、挙げすぎてもキリがない為、この辺で。

uchan自身のそんな経験をひっくるめ、共通点やポイントをあげてみました。

・弱っている時

・信頼されている時、信頼され始めた時

・尊敬する先輩から

まとめると、結局自分の想いにもあるのかな?

尊敬してる人からの一声って大きいんだなと。

自分自身が相手自身を好かないと、心も奥までは響かないのかなと思いました。

良いと思っていた話ばかりをしてきましたが、ここからは話が逆転。

その何気ない一言で心まで傷ついて、言った本人は忘れつつ、自分だけが被害者になっている時もあるかと思います。

被害者になっているだけって自分自身思っているかもしれませんが、相手を傷つける加害者になっているかもしれません。

大事なことは、被害者になろうが、加害者になろうが、なった瞬間に学ぶ・そして次に活かすことです。

相手がどうこうって言えます、でも相手を変えるって、この世のどの数式を解くことよりも難しいと思います。

だったら自分自身です、
自分が加害者になってしまったときは同じ失敗をしない、
自分が被害者になり体感した事は、相手へしない。

そう思う事、同じようなシーンで活用することが人としての成長と言えるのかなと思います。

賢いことに、人はただ食べるだけではありません。

生まれてくる時、死ぬ時は動物と同じでも、生きてる時って、考えて、発して、他の動物に比べ広がっている世界感が違います。

そんな神秘的な機会を貰ったのだからこそ、今日も人として生きようではありませんか?

ただ人として生きることが、何かの使命かもしれませんね。

以上、uchanでした。

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