『ニュー・アース』省察⑭ ‐ 私たちのペインボディはどこから来るのか
第五章 ペインボディ――私たちがひきずる過去の古い痛み (後編)
さて、ペインボディの実態について、もう少し詳しく見てきます。
本書によれば、人はすべて、重い軽いなどの個人差はありますが、ペインボディを有して生まれてきます。
でも、赤ん坊の頃よりいつも幸せそうに見える子もいれば、大きな不安や不幸を抱えているように見える子もいますね。
実は私たち人間には、過去の人類の歴史上で蓄積されてきた様々な痛みが、“集団的”ペインボディとして影響しています。
重いペインボディを抱えて生まれてきた子は、そんな人類の苦痛の分け前をより多く受け持ってきていると言えるそうです。
そして赤ん坊が成長する中で、両親が放出したネガティブな感情は子に吸収され、子のペインボディが大きく育っていきます。
実際には、どんなに聡明な両親のもとで育ったとしても、感情的な痛みを感じることなく成長することなど不可能なのが人間というものだと、エックハルト・トール氏…。
子供というのは、強いネガティブな感情に触れたとき、多くの場合どうすることもできず、唯一の防衛メカニズムとして「感じないこと」を選択してしまいます。
そしてこの防衛メカニズムは、その子供が成人してからも維持されていることが多い。
「感じないこと」を選択したために本人が認識していない過去の痛みが、ネガティブなエネルギー場を形成したまま、人は無意識の中で人生を送るケースがほとんどです。
本来は、ネガティブな感情が湧いた時には、きちんと向き合ってその正体を突き止め、受け入れ、そして手放すというプロセスを経ることが肝要です。
そうでないと、その感情は解消されることなく、感情的な痛みがずっと残り続けます。
子供に対しては、できればそばにいる大人がそれを理解し、まっすぐに向き合うよう愛情と共感をもって指導できれば良いのですが…
残念ながら、重いペインボディが世代から世代へ受け継がれてしまっているのが実情でしょう。
話はいったん大きく逸れますが、この世界がすべて“周波数”で出来ている、ということをどこかで聞いたことがあるでしょうか。
どんなに強固に見える物質も、感情のような目に見えないものも、すべてエネルギーで出来ており、世界は周波数の振動によって成り立っている、と。
ペインボディも例外ではなく、特定の周波数で振動している生き物のようなエネルギーとされています。
そして生きていく”糧”として、同じ周波数で振動するネガティブなエネルギーのみを嗜好します。
不幸な状況、ネガティブな思考を糧にしようと、可能であれば本人だけではなく周りの誰かにも手を伸ばし、わざわざ挑発してその人のペインボディのスイッチを入れようとさえします。
身近な家族やパートナー同士でペインボディが活性化すると、お互いにエネルギーを補完しあえ、好都合。
ペインボディにとっては痛みが喜び、不幸が大好物。
ほんの些細なことからもネガティブな思考を発生させ、それをペインボディに食べさせて肥やし、強大化したペインボディは本人の頭の声を乗っ取ってさらに多くの思考を生み出す ― 絵に描いたような悪循環です。
配偶者やパートナーが突然別人のようになり、考えられない形相で喚き散らしたり、暴力を振るったりするケースをよく見聞きするでしょう。
それは、本人を通してペインボディが活動している状況なのです。
アルコールはさらに無意識度を高めるので、過剰摂取はよりペインボディに乗っ取られる機会を作り出します。
酔いが醒める、あるいはペインボディが満腹になると、ペインボディは休眠状態に入り、我に返った本人は自分が起こしたことを心底後悔するかもしれません。
しかしながら、自分の中に自分とは別者のペインボディが居るということを認識できない限り、それを引き離すことは出来ず、同じことを繰り返してしまいます。
一般的なペインボディは活動期と休眠期を繰り返すものですが、一部には常時糧を求める、決して休眠しない重いペインボディの持ち主も存在します。
常に世の中と”対決”や”非難”で反応しようと構え、どこまでも不幸に飢えている人々。
彼らは比較的ささいなことにも大爆発するのですが、本人が自分の抱えているものに気づけていないため、そんな自分が不幸だとも苦しんでいるとも思っていない。
自分が反応する周囲の出来事や状況、それらへの不満や不快感が、実は本人の不幸や痛みそのものにも関わらず、です。
現代では、実は娯楽産業やメディアもペインボディの育成と拡散に貢献しています。
人々を嫌な気分にさせる暴力映画やテレビ、ネガティブなニュースを選んで取り上げるマスコミ。
暴力を美化したり正当化することも日常茶飯です。
その多くが、人々の不幸依存症を煽り、ペインボディを肥えさせ、世界のエゴイスティックな意識を増幅させてしまっています。
それ以外に集団としてのペインボディについて、この章ではいくつか例が挙げられています。
まずは、女性。
古代文明の多くでは女性は敬われ尊重されてきたのに、それが歴史上ある段階で恐れの対象になり、暴力的に無力化されてきました。
聖なる女性性が悪魔的とされ、魔女狩りという凶行を数百年続けたキリスト教を筆頭に、多くの文明や宗教で女性的側面が抑圧され、その結果世界は完全にバランスを崩して今に至ります。
なぜこんなことが起こってしまったのか?
著者は、男性のなかで発達したエゴが、女性性を脅威と感じ、それを無力化してきたと指摘します。
さらに、エゴは男性という形を通じてのみ、地球を支配できると知っていた、と…。
男性の方が比較的エゴが深く根を下ろし、簡単に成長するそうで、そのせいでこの地球上ではエゴが圧倒的優位を獲得するに至ってしまいました。
そんなこんなで、すべての女性は、何千年も貶められ抑圧されてきた痛みを集団的ペインボディとして分かち持っています。
その上でも著者は、意識の目覚めを経験する人が増えた現在では、エゴの根付きが浅かった女性の方から、エゴによる支配が緩みだしていると述べています。
集団的ペインボディとしては、性別に次いで様々な国や地域、人種についての例が挙げられています。
例えば中東は集団的ペインボディがあまりに強力なため、暴力と報復という狂気の際限のない悪循環から抜け出せない、とか。
ペインボディは重いけれども今はそれほど活性化していない国々では別の方法で集団的感情的な痛みの感覚を鈍らせようとしていて、たとえば日本やドイツでは仕事によって、別の国々ではアルコールへの寛容さによって、緩和が図られているとか。
中国も重いペインボディを持っているけれども、人民が広く太極拳を実践することにより心を鎮められており、ペインボディが緩和されているのだろうとか。
人種面からは、何世紀も迫害されてきたユダヤ人は顕著に集団的な人種的ペインボディを持っているし、アメリカの先住民と黒人も当然激しいペインボディを保持しているとあります。
そしてアメリカについては、この2つの人種のペインボディがそれらのみに留まらず、暴力や抑圧や残虐な行動は加害者へも影響し、アメリカ人全体のペインボディの一部となっている、とも述べられています。
それらを記述した上で、著者はこう、この章を結んでいます。
光をもたらすための行動とは…?
重い宿題ですね。。。