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境界を造ることによる分断と、それを超える共有と

境界とは、一般的には「きょうかい」と読み、事物や領域などを分ける境目のことを言いますね。
土地や国境などが例として挙げられやすいですが、分野によってさまざまな用例があるようです。

ただ、いずれの場合もその境界を設定するのは人間です。
土地を区切るのも、国境を定めるのも、人間が勝手に線を引いてあちらとこちらを区別しようとしているだけ。

これは、人間が何かを識別しようとするときにどうしても必要になる概念なのは間違いありません。
でも、ある程度を超えると、その境界が高い壁となって、あちらとこちらを深く分断することになる。

そうなってみて初めて、その境界による不自然さや不安定さに気づき、そもそもの境界の意味を問うことになったりする。

以前のブログにも書いたかもしれませんが、私は割と欠かさず糸井重里さんの主宰している『ほぼ日』をチェックしています。
先週、そこで竹沢うるまさんという写真家が『境界|BOUNDARY』という写真集を出し、小さな展覧会を開いていることを知りました。

『ほぼ日』特集:写真家が向き合っているもの。004-竹沢うるま

世界を渡り歩いていることが日常だった写真家が、現在何をどのように感じているのかを対談形式で掘り下げている記事に、私は釘付けになりました。

この方が、これまでの写真家人生の多くを海外で過ごし、様々な国や地域で人種、宗教、イデオロギーによる境界を強く意識されてきたこと。
そんな中訪れたアイスランドで、原始の大地と一体化する感覚を得、境界など存在しない雄大な視点を写真で伝えようとしていること。
現在、世界的な感染拡大の影響で大切なご家族とは離れ離れ、遠く離れた別の国に暮らさざるを得ない状況に陥ってしまったこと。
この一年の気持ちの起伏、なぜ旅なのか、写真なのか…孤独な人と人が内面を共有するための「心の波紋」が自分の存在証明、という話…。

私もかつては一人でバックパックを背負って旅をしていた人間ですが、海外との行き来がこれほど不自由になった現在でも、幸か不幸か旅への渇望感はほとんどありません。
でも、この方の気持ち、自分を語る繊細な言葉がとても響いてきて、居ても立ってもいられずに閑散としているはずの時間を見計らい、写真展に向かいました。

実際に会場はとても空いていました。
広さもそれほど大きくもなく、その三方に選りすぐりの特大写真が掲げられている感じです。
いくつかの写真では、その中の空間に吸い込まれるような感覚を受けました。

ご本人も会場にいらっしゃって、写真への質問にとても丁寧に答えてくださいました。
その場に置いてあった写真集を1ページずつめくり…ああ、これが「心の波紋」…
境界というキーワードを介在させると、本当に言語化できない様々な思いが、時に渦のように、時にさざ波のように、私の心にも波紋を繰り広げてくる。
冒頭と最後に収録されている谷川俊太郎さんの詩が、さらに深みを加えてくれている。

今、私の手元にあるこの写真集は、その「心の波紋」を通して、境界というモノの有様をまた深く私に問いかけてくれています。
もちろん、人の心に巣食ってしまう境界に思いを馳せて…。

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そんなこんなもあって、なんだか物凄く忙しい一週間を過ごしてしまい、ブログがまた疎かになってしまっていましたね。
反省も込めて、MOMOYOさんの新刊を再度読もうと取り出し、何気なく表紙カバーを外したら…

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なんと、裏側にも綺麗な印刷とともに、メッセージが記されていたのですね。
ふふふ、全く気付いていませんでした!
少し得した気分です♪

≪巻頭写真:Photo by Markus Spiske on Unsplash≫

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Keiko Usami
長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。