丁寧に生きるって難しいねっていうお話
久しぶりにnote書きます。
フジテレビでノイタミナというの深夜のアニメ枠があるんです。いいアニメをやってるので見る機会が多くて、「ノイタミナってどういう意味だろう?」「何語かな?」「魔法の呪文みたいだな。」とか思いながら、特に調べず、ほっといたんですね。
ノイタミナのアニメは映画で最初に東映とか松竹とかFOXとか出てくるみたいに、「ノイタミナ」って出てくるんです。で、今週ノイタミナアニメを見てるとき、唐突に気づいてしまったんです。「ノイタミナってAnimation逆から読んでるだけじゃね?」って。まあ、ネーミングなんてそんなものなのかもしれませんが、ノイタミナって言葉に対するわくわくした気持ちを返してほしい・・・と思った今週でした。
そんなこんなで今日は言葉の話です。落合陽一さんがすごく好きなんですが、頭がよすぎて、何言ってるかわかんないときが多いんですね。一昨年くらいに落合さんの「質量への憧憬」って言う個展があったんです。
「ふーん。なんか、かっこいい名前じゃん」とか一瞬思うんですが、よく考えるとおかしな日本語なんです。
質量ってモノの重さですよね、憧憬はあこがれ。モノの重さに対するあこがれって、意味わかんなくないですか?落合さんがこれを言ってたのが2年前。今年、別の落合さんの個展があって、その解説の中で落合さんご自身が「当時、質量への憧憬という言葉の意味をほとんど理解してもらえなかったけど、コロナ禍で唐突にみんなに理解された」とおっしゃっていました。
何を言ってるかというと、モノや、人や、空間やらを直接見たり、触れたり、持ったり、とにかく、そのリアルと対峙したときに感じるエモーショナルな感情って意味だったんです。コロナ禍になって、会いたい人に会えない、食事にも一緒に行けない、生のコンサートやスポーツなどの臨場感も味わえないという状況になって、初めて人はリアルに対するあこがれを認識したんですね。コロナの前にそんなことを言ってる落合陽一は何なんだろう・・・天才過ぎる。
で、今年の落合さんの個展のタイトルが「未知への追憶」です。
これも「ふーん」と流してしまいがちなんですが、よく考えると意味わかんないんです。未知って知らないもののことですよね?追憶っていうのは懐かしむってことです。知らないものを懐かしむってどういうこと?いまだに100%は理解できてないですが、この個展に行くとなんとなくわかるんです。落合さんの作品はメディアアートなので、かなり前衛的で見たことない新しい部類の芸術なんですが、作品を見てると、不思議とどうにも、温かい、懐かしい気持ちになるんです。この世界観を「未知への追憶」という言葉で表現した落合陽一、半端なく天才だなと思った次第でした。
落合陽一=難しいこと言うから、慎重に注意して発言を聞く!というフラグが立ってるので、落合さんの言葉関しては注意深く聞いて、「うん?」と立ち止まれる場面も多くなってきたのですが(それでも基本難しすぎて何言ってるかわからないことが多いです笑)、意識していないと、結構流してしまいがちなことが多くて、もっと丁寧に生きたいけど、丁寧に生きるって、ほんと難しいよなーというお話でした。
それでは、皆さんよい週末を!