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期待しますか?

昨日知人と話していて、自分の思考の癖というか心の奥底に流れているベースとなる考え方みたいなものがものが改めて出てきた。


それは彼女が口にした「自分に期待しませんか?」という一言。



私は即座に「期待はしないなぁ」と答えた。
「自分に対して「信頼」はあるけれど「期待」はしていないと思うの」。

彼女は私のその答えに少しガッカリというか…
まるで私が未来を明るく捉えていない人間のように感じたかの様だった。

いやいや明るい未来はみてますよ。
どちらかというと楽観的なくらい(心の声)

私が何に反応したかというと、「期待」という言葉には私以外の誰かをアテにしているようなニュアンスが含まれていること。ちょっと人任せで受身な意味合いに反応したのだと思う。


そして期待という言葉がスムーズに出てきた彼女には、どこか心の奥底に誰かが救い出してくれるのではないだろうか…という期待があるのかもしれないな。と思いつつ。見守っていた。



以前の私は、
たくさんの期待をしていた。私以外の周りに対して。

でも、人は私の思い通りには動いてはくれない。
思い通りの流れになんてならない。

そのことに気付かされる出来事が
何度も何度も起こった。
それはいつも昇格や評価のタイミングだった。

簡単に思いどおりに欲しいものを手に入れる人がいるし
人を陥れてでもそのポジションを取る人もいた。
今思えば、マニピュレーターという人のタイプ。
なぜかいつも私はその人たちのターゲットだった。

その度に悔しかったり、腹を立てたり…
その怒りが違う事件を呼びよせてみたり(笑)
なんで私をちゃんとみてくれないの!!って心の中で叫んでいた。

だからといって(そのポジションを手に入れるために)
人を陥れる様なことは私にはできない。人を蹴落とす様なことはできない。
アピールする様なこともできない。


不器用な自分。
真っ直ぐに生きることを大切にする。
という方を優先した。



だから
その結果に納得する様になった。


ポジションを手に入れてできる事をやってみたかったけれど、
手に入らなかったから…


違う形で人に貢献する様なった。
そして喜んでもらえる事を知った。


そんなふうに期待することをやめて、
自分に対する「信頼」と「希望」で生きるようになったら
出来事に振り回されることが少なくなった。

自分の欲、人の欲。
欲が犯す過ちを知ることで
何が起こっているのかを判断する様になった。


だから
目の前にあることに一生懸命取り組んで
結果を受け入れる。

そこに満足するようになった。



おかげで今は穏やかで幸せよ。
そして期待ではなく「希望」を持っている。



期待しますか?


多くの期待は、
本当の幸せから遠ざけているかも?ね。


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