見出し画像

【ポンポコ製菓顛末記】                   #20 GAFA欠如論

前回は緩い昭和のサラリーマンの仕事ぶりをご紹介した。とりわけ女子社員の極楽会社風景には驚かれただろう。
それでは高度成長を牽引した昭和のオジサンたちの実態はどうだったのか? 今も引きずる“いるか族”の姿だ。

 
 

そんなこと解るか!!


 
 現代の日本企業の生産性が上がらない、賃金が上がらない課題の根っこにデジタル化の遅れ、特に業務改善への遅れが取りざたされている。コロナ禍でそれが浮き彫りにされ、政府もデジタル庁開設や施政方針で対応を示している。
 しかし、監督官庁のトップがメールは見たことがないとか、PCに触ったことが無いなど、開き直って威張っている態度には唖然としてしまう。
 
 実は似たような風景はポンポコ製菓でも常時あった。
しかしそれはPC導入黎明期の30年前の話。当時はマイクロソフトのWindows開発前でPCもIBM製が全盛であった。表計算もExcelではなく、若い方は知らないだろうがマルチプランとかLotus1-2-3といったソフトが主流であった。
 コンピューターによる合理化はそれ以前からあったが、それはNASAのアポロ計画の動画で見るような大型コンピュータの話。机上で扱うパーソナルコンピュータなど当時のオジサンたちには関係ない、無縁の話だった。
 
 どれだけ、関係なかったか?
 
 まず、基本的に計算はソロバン。良くて電卓である。しかも卓上でキーボードから入力するとガチャガチャと大きな音がして計算結果が出てくるシロモノだ。人が入力するから入力ミスは当然ある。もちろん検算関数などプログラムされていないから何度も人手で検算するしかない。

 私が経理部にいた30年前のある時、残業をしていると隣の席の財務担当マネジャーがガチャガチャと電卓で計算していた。計算するたびに、手書きのノートに鉛筆で書き直していた。消しゴムで何度も消すものだから、白紙が真っ黒になってしまい、ヨコからチラッと覗くと判別が不可能な状態であった。
 その様が異常だったので、思わず「〇〇マネジャー、何しているんですか?」と聞いてしまった。すると曰く、「イヤ~ッ、生方君、暮れの賞与の資金繰りを計算しているんだけど、合わないんだよ。ちゃんと払えるかな、ワハハッ」。
思わず、ゾっとした。社員数千人の数億円のボーナス計算をマネジャーがたった一人のキタナイメモ書きと電卓計算で決めていたのである。
当時のコンピュータ化、合理化と言っても基本的に経理や財務、あるいは販売や原価計算と言った実績が主流。予算や資金計画は手計算であった。

 とはいえ、既にPCはあったのでそれを活用しない手は無かったのだが、オジサンは基本的に新しいことは受け付けない。教えても解らないこと、知らないことを開き直ってえばる。そんなこと解るか!!と言ってふんぞり返る。今のデジタル庁トップと同じだ。
 
 その頑固さはピカイチだ。一度覚えたことはテコでも譲らないのだ。
 
 PCも導入が進んだ数年後、今度は全国支店で同じようなExcel入力による事務処理があったので私は全国統合システムを導入し、省力化した。すると支店のオジサンは自分で築いたExcel表がシステムのアウトプットに代替されるのが気に入らない。システムから結果が出てきているのだからそれを使えば良いのに、見栄えが違うからと言ってもう一度Excelに結果を手入力して悦にいっていた。
そのような無駄なこと止めてくださいと何度も頼んでも、大きなお世話だと言ってきかなかった。
 
 その頑固さはツールだけでなく、人の扱いも同じ。
 
 同じころ慶応の商学部国際会計科卒の大卒女子が入社、経理部に配属された。経理担当マネジャーが彼女に最初に指示した仕事がカーボン紙での手書伝票作成だった。
 カーボン紙って、読者の皆さんはご存じだろうか?複写式手書き伝票は今でもあるかもしれないが、昔は自分で複写しなければならなかった。そのため手書きすると下の紙に複写されるように黒いカーボン紙をはさんで伝票作成をしたのだ。
 そのカーボン紙は手で持つと黒く汚れる。かの国際会計卒の女子はそんなものはもちろん見たことが無い。だから「スイマセン。これなんですか~?」と言ってキタナイものを触るようにカーボン紙を指ではさんでマネジャーに聞いた。(実際、キタナイ!) 
 するとマネジャーは使い方を教えて手書伝票作成を命令した。現場の仕事を覚える研修の一環ならば解らないまでもないが、本業としてこの単純事務作業を繰り返させたのだ。もちろん、彼女の学業は全く活かせない。
 それでも彼女は1年間、耐えに耐えた結果、退職した。当時のオジサンたちは、女子社員といったら嫁入り前の雑談ばかりのお気楽女子社員も国際会計学大卒も変わらなく映ったのだろう。というか、そういったポテンシャルを持つ人材をうまく使いこなせなかったのだと思う。
 
 概して大学院卒や学識を持った学生を日本企業は使いこなせない。入社式で大学で学んだことは一切忘れろ、などと暴言を吐く企業もあったくらいだ。
 
 知らないことを開き直ってえばることも、自らのやり方に固執するのも、その病巣の根っこは同じ、新しいことは受け付けないことだ。それが昭和のオジサンの特徴だ。
 
 但しポンポコ製菓は20年、30年前の話。“いるか族”の実態を見ると多くの会社は今も変わっていないようだ。失われた30年と見事に一致するではないか。
 

GAFA欠如論


 
 日本の賃金が上がらない理由として、「GAFA欠如論」というのがあるそうだ。アメリカが成長したのはGoogleやAppleがあったからで、日本はそのようなベンチャーが無かったからだと慰めているという。しかし名古屋商科大学ビジネススクールの原田 泰教授は、そのような屁理屈は言い逃れでコロナ禍のPCR検査目詰まり実態をみれば明らかだという。https://diamond.jp/articles/-/287848?page=1
 
 PCR検査の日本製自動検査機は海外各国で活用しているが、何故かおひざ元の日本は感染症学者も厚生労働省も複雑な手作業の精度に固執して導入を遅らせたそうだ。ようやく重い腰を上げてその後許可したそうだが、厚労省のスタンスはあくまでも現場の判断に任せると言った丸投げ状態。
 新しいことは受け付けない、自らのやり方に固執する、30年前のポンポコ製菓と何ら変わらない。生死にかかわる医療現場でもこのような体たらくだから、別に生き死に関わらない企業の業務改善、改革など推して知るべしである。
 
 しかし、年を重ねるごとに新しいことを受け付けないのは、古今東西どこにもある、人間の性だと思う。
 
 スペインの哲学者 オルテガ(1883~1957)は述べている。
「人間に対して為されえる最も根本的な区別は次の二つである。一つは自らに多くを要求して困難や義務を課す人。もう一つは自らに何ら特別な要求をせず、生きることも既存の繰り返しにすぎず、自己完成への努力をせずに、波の間に間にブイのように漂っている人である。」
 
 だから、新しいことを受け付けず“波の間に間にブイのように漂っている人”は別に昭和のオジサンだけではないのだ。
 にも関わらず、この30年間成長が止まっているのは日本だけである。GAFAがない欧州各国でも日本よりましだ。
 
 オルテガはこうも言っている。
「凡俗な人間とは自らに何も求めず、むしろ現状に満足して自己陶酔に陥っている人間である。」
 
次回この辺りをもう少しご紹介したい。


いいなと思ったら応援しよう!