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【ポンポコ製菓顛末記】                   #53 あ、自分それやりますよ

 ひとは「他人に都合よく(平気で)頼めるひと」と「そんなことは考えないひと」に大別される。
 ここに閉塞感満載の日本社会の根源と、その解決の糸口が見える。
 


社長、黙っていてください!!


 
 前回キャノン経営の華やかりしころの役員朝会の紹介をした。朝の役員定例会でランダムに経営課題を審議し、対応については役員陣が積極的に「それでは私がやりましょう」と申し出たそうだ。役員が会社経営を自分事と捉える雰囲気は社内にも伝播し活性化する。社長としても頼もしい限りだと思う。キャノン社内の諸事情は図り知れないが、外からは少なくともそう見える。
 
 そんなことはキャノンというエクセレント企業だから出来ること、普通はそうはいかない、と読者は思われるだろう。実際、日本の経営層の劣化はもう常識なので、確かにマジョリティ的にはそうかもしれない。しかし、大企業だから出来て、中小企業だからダメだと必ずしも言えない。ダメな大企業はゴマンとあるし(ポンポコ製菓のように)、中小企業でも立派な経営をしているところもある。

 事実、ポンポコ製菓の下請け工場で立派な経営をしている中小企業があった。
 
 私が経営企画室長時代、当社の生産体制の再構築のため、下請け工場の数社をヒアリングした。その中の1社の役員陣とミーティングを持った時のことだ。先方は社長はじめ、専務、常務と幹部が出席し会議を始めた。通常、この手の会議では部下が用意した資料を代表者が読んでつつがなく終わらせようとする。所謂国会答弁みたいなものだ。

 ところがこの会社は違っていた。

 最初の社長の説明が終わると、専務、常務が身を乗り出して、自社の優位性を熱く語りだした。私の質問に対しても、社長の対応を遮って皆、口角泡をとばし説明してくれた。最後は「社長黙っていてください!!」といって語るので、すっかり社長の影が薄くなってしまった。
皆、社長のつもりなのだ。
 
 この下請け工場は分相応の経営をして、自立していた。良くある本社の言いなりになったり、泣き付いたりする経営ではなかった。ポンポコ製菓の投資は大雑把なので機械設備を導入しても使用見込が立たなくなるとすぐ除却してしまう(もったいないことに)のだが、この会社は当社が除却した機械設備を安く買い、何年も使っていた。当社が1~2年しか使わなかった機械を、10年も20年も使っているのはザラであった。今で言う星野リゾートやファンドが破綻したホテルやリゾートを安く買いたたき再生しているのと同じで、非常に経営効率が良い。
 
 

あ、自分それやりますよ


 
似たような話をネット記事で読んだ。
 
 とうふや相模屋の話だ。

 「だいたいの場合、会社の会議で人の発言に『いやいや、そうは言うけれど、こういう点にも注意が必要じゃないか』とか、したり顔でツッコミを入れる人が、なんとなく『よく考えている、頭のいい人』みたいに見えるじゃないですか。うちの場合は、『あ、自分それやりますよ』とぱっと言うヤツがかっこいい、という雰囲気なんです(笑)」

 「やってみます、大丈夫です」と言うヤツのほうが、リスクを回避する人よりもかっこよく見える。当たり前のことだが、ではなぜリスク回避が選ばれがちかと言えば、不確定要素が高いことに挑む姿勢よりも、結果の数字で判断される、という意識が強いからだ。 相模屋の鳥越社長の話からとりあえずの答えを乱暴に言うと、まず「かっこいい人、いいヤツに、安心してなれる組織」であることが、正しい行動へと自らアクセルを踏み込むための前提条件だ。そのために「全体最適」「数字以外での評価」といった要素が必要になってくる、ということではないか。
 
 ものを怖がらなすぎたり、怖がりすぎたりするのは易しいが、正当にこわがることはなかなか難しい、と寺田寅彦は言う。リスクを回避し、無難につつがなく過ごす 或いは 他人、他組織を批判し指摘することに専念するよりも リスクを取りながらチャレンジする、というのは勇気がいることだ。それには結果がすべてと一刀両断しない組織、人間関係、雰囲気が必須だ。ここから好回転に回りだし、他人のことを少し考え、 「あ、自分それやりますよ」という気持ち、行動に変わり、他人や他組織や全体を自分事として考える指向になっていく
 
 紹介したポンポコ製菓の下請け工場も恐らくそういう組織なのだと思う。もちろん部下が頼もしいからと言って代表である社長が丸投げではだめだ。それではポンポコ製菓はじめ、よくある昭和の企業、社長だ。今や社長が一番会社のことを考え先導しなければならない。かといって社長一人ではダメで、会社全体で一丸となる。社長、役員、部長、課長、担当に至るまで、自らの責任範囲で自社の事業をとおしてよりよく社会に貢献することを考え、行動することだ。それこそ強い組織、企業となる。1両の機関車で引っ張る昔の列車よりほぼ全車両で牽引する新幹線のほうが力強い、あのスタイルだ。
 
 
 さて、「あ、自分それやりますよ」というこのとうふや相模屋やポンポコ製菓の頼もしい下請け工場のような組織、社員、あるいはキャノン朝会のような役員陣。それと「他人に都合よく(平気で」頼めるひと」と「そんなことは考えないひと」と何の関係があって、さらに日本社会の閉塞感とどうつながるのか?ということだ。
 
 それは利他の心、意識を少しでも持てるか、他人や社会とは互いに持ちつ持たれつで『お互い様だ』という風に考えられるか、否かと思う。
 
 長くなったので次回に続く。


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