【ポンポコ製菓顛末記】 #51 信じることには偽りが多く疑うことには真理が多い
お山の大将のポンポコ製菓の会長、あくまでも自己チュウのM埼広報マネジャー。このような「全能感」のオトナが他社との取引きに絡んでくるとややこしい。困ったもんだと言っていられなくなる。
そろそろ、いいですか?
一般に広告や協賛という取引、契約においてはスポンサーと契約者の間で明確にルールが決まっている。消費者、顧客の目に触れるシーンはスポンサーとしては独占したいので、基本的に1業種1社というのがこの手の契約の原則、常識だ。人気のある広告、協賛を取るためにスポンサーは高い契約金を支払い早く決める、時に入札ということもある。その代わり決まったら独占して競合を入れないというのが契約者とのルールだ。
ところが人気のある売り手市場の広告や物件だと売り手としては出来るだけ多く契約を取りたい。1業種1社ではなくもっと契約が取れるからだ。
だからTV広告の場合はCM枠をきめ細かく細分化して、出来るだけこのルールに触れないようにTV局は売り方を変えている。例えば同じ番組提供でトヨタと日産は共存できないが、本編が終わって次の番組までの間なら競合も入れられるというような具合だ。
テーマパーク協賛も同様だ。パビリオン協賛したら同業種の競合は入れない。しかし売り手側はパビリオンがダメなら、レストランはどうだ、お土産ショップはどうだと、あの手この手と知恵を出して1社でも多くスポンサー料を取ろうと工夫する。
ポンポコ製菓は子供向けテーマパーク・モウモウ社のパビリオン協賛をしていた。年間それなりの協賛金を支払っているので広報広告効果を発揮するために競合は当然入れたくない。しかも当初成功するかどうか解らないリスクがかなりあったので、パビリオン以外の如何なる場所にも競合は入れないという約束で契約した。先方も何とか契約を取り付けたかったので、この厳しい条件をのんで契約した。
ところがフタを開けてみると大人気となり、競合各社が我も我もと後から協賛を希望した。テーマパーク社は欲が出て、パビリオンは入れないが、ベンチならどうか、ワゴン販売ならどうかと当初の約束の条件見直しを要求、打診してきた(恐る恐る)。
先方の担当営業が当社の窓口マネジャーをとおして打診してきたので、私は当初の約束を変える、譲歩するつもりはないと返した。ところが、それで一件落着、引きさがると思ったら、先方の営業、また競合の交渉窓口の代理店(コンコン広告社)がなんだ、かんだと文句いってきた。しかも、都度都度相手によって言っていることが微妙に2転3転して、本当にそんなこと言っているのか、真相が解らなくなった。
そこで人づて、また聞きだと良く解らない、埒が明かないので、一同を集めて事の真相を突き詰め、ハッキリさせようと提案した。
当社の会議室にテーマパーク社の常務と担当営業、競合社の窓口代理店営業、そして当社の窓口マネジャーと私が集まり、まず事の顛末を時系列に整理した。ファシリテーターは私がなって、何月何日に誰が何を言ったか、聞いたかを、ホワイトボードに一つ一つ書き出した。
私は、どういうつもりで、どのように発言したかを正確に聞き取り、皆が確認できるように時系列順に詳細に書いた。話のやり取りで矛盾している場合は、その矛盾点も明らかにし担当者に確認した。
そのように進めていくうちに、各人が都合の良いように解釈したり、都合の悪いことは端折ったり、隠したりしていることが洗い出された。皆さんウソはいっていないが微妙にニュアンスが異なるので、真相をその場で全員で確認できるようになった。言ってみれば事の子細が白日の下にさらされたのだ。
そのうちに、互いに非難するようになってきた。曰く「そんなことは言っていない!!」 「そんなつもりではない!!」 「なんだ、失礼だろう!!」・・・
互いに激しく言い合うので、私は口をはさまずほっといて、好きに発言させた。15分か20分、バトルが続いた。頃合いを見て、私は言った。
そろそろ、いいですか?
その場は気まずい雰囲気となり、沈黙が走った。真相はテーマパークのモウモウ社常務が業績を上げたいがために当社、競合社双方に先走っていい顔をしたのが原因だった。しかし競合社はもう出店の準備を進めており、このままでは3社共振り上げたこぶしの落としどころが無い。そこで、折衷案として私は競合社に期間限定、1回限りのワゴン販売を許可した。そしてテーマパークのモウモウ社常務には厳重注意した。
「下方比較」は報酬、「上方比較」は損失
この例はM埼広報マネジャーの自己チュウとは違い、皆わが社の為と思って一生懸命に仕事した結果だ。しかし、根っこが自己チューであることに変わりはない。個人主義、自己中心主義が、自社中心主義になっただけで本質は変わりない。
自分に都合の良いように解釈したり、都合の悪いことは隠したり、言わなかったり、聞かないふりをして、歪曲する。結果、真相とは似ても似つかないほうに事を誘導する。
読者の周りにもこの類のトラブルは多いだろう。
そしてこれを日常茶飯事。信条としている業界、人種がいる。
そう、マスコミだ。
ジャーナリストの窪田順生氏は以下のように述べる。
゛日本人はマスコミと政府を信用する、珍しい国だ。そして、マスコミの連中もその信用をいいことに?そもそも気に入らないやつを落とし込む前提で取材する。都合の良い発言を取りつなげて、全く異なる印象の文、発言を創る。
マスコミというのは取材して得た情報を面白おかしくしく切り取ることが仕事だ。「マスコミ=正義」だからだ。権力の暴走を監視して、不正を正すという社会的意義のある、お仕事をしている(と思っている)マスコミには、「正義を実現するには、多少荒っぽいことをしてもいい」という慢心がある。その荒っぽいことのひとつが、「切り取り」ではないかと思っている。最近の上川外相大臣発言を例に挙げるまでもなく日常茶飯事だ。”
私も実体験したことがある。
ポンポコ製菓で広報部長をしていた時にある商品の回収事件があった。それをマスコミ各社が執拗に取材してきた。なんとか当社の非のウラを取ろうと必死であった。私のところにも土日も構わず何度も問い合わせがあった。
ある地方TV局の電話取材を受けていて、先方の誘導尋問で常識外の検査方法があるような発言を私がしたとき、電話口の向こうで「オーッ!!」という雄叫びが上がった。スタッフがしてやったりと思ったのだろう。ところが次の質問で、それは業界では珍しくなく、日常茶飯事で行っていて、従来から何ら問題ありませんよ、と説明すると、電話口の向こうで「エーッ、チェッ!!」という落胆の声が上がった。そんなものである。
何故、マスコミの信条はそうなのか。
それは庶民が喜ぶからだ、と作家の橘玲氏は説明する。
ヒトは徹底的に社会的な動物として「設計」され進化してきた。集団社会で生き残るために「目立たたず目立つ」ことを常とし、他との比較の中で脳は無意識に「下方比較」は報酬を、「上方比較」は損失を感じる。所謂自分より下位と比較すると脳の報酬部分が、逆に上位と比較する脳の損失部分が活性化するそうだ。
マスコミはここに漬け込む。下方比較は「お涙頂戴」で煽り、上方比較には正義の鉄拳を下す。共にポピュリズム的に庶民の受けが良いのだ。
お涙頂戴はTV取材でよくある、取材者が涙を浮かべると急にズームアップする、あの類だ。同席するタレントはそれを見て共に泣く。TVは涙が大好きだ。
正義の鉄拳は文春砲を代表に年がら年中だし、特に昨今はSNSにより名前を明かさず、ノーリスクでこの鉄拳を下せるので、なおさらだ。
読者の皆さんはそんなことは無いと思われるかもしれないが、本音のところでは思い当たる節があると思う。
だからマスコミのみならず、SNSも、日頃の対人関係も事の真相をよ~くわきまえなければならない。
みなウソはいってないが、真相は別のところにある。それは自分で確かめなければならないことが、ほとんどである。
福沢諭吉も述べている
゛信じることには偽りが多く疑うことには真理が多い。凡そ古来の文明は疑いという道を通って心理の奥に到達した。
とはいっても物事を軽々しく信じたり疑ってはいけない。それには取捨選択のための判断力が必要だ。学問とはそのためにある。”
もし、疑わしいなと感じたら、私が行った当該者全員を一堂に集め、一つ一つ全員でその場で確認するのも一計である。何故ならその場で即答で確認すれば、辻褄合わせの猶予を得ることもできず、まして持ち帰って検討しますというような事も出来ない。私は何回かこの方法で社内の課題解決をしてきた。大体誰かが一方的に悪いということは無く、互いのチョットしたやりすぎ、無配慮がほとんどである。それにはやはりリアル会議が良い、相手が見えないと言葉が横柄になったり表情が掴めないからだ。リアル・コミュニケーションは効率以上に得るものがある。
ちなみに先走ったテーマパークのモウモウ社常務は後日早期退職した。退職挨拶に私のところに訪れた折、事情を聴くとワンマン経営者との方針の違いから用済みの処遇を受けたという。当社を裏切ってまで自社の為に尽くしたのに最後はそのような処遇である。非常に悔しそうで忸怩たる思いの様子であった。
サラリーマンの悲哀である。