『天使と眼棺(ひつぎ)』
朝、目を覚ますと所定の位置にメガネがなく背中に硬い感触がある時ほど恐ろしいことはない。俺は手探りでスマホのカメラを起動させる。
事故や災害で大切なメガネを失ってしまった時にはスマホのカメラ機能が役に立つ。たとえ50センチ先を判別できない視力でも、カメラ越しの映像は視界を鮮明に映し出してくれるのだ。
メガネを探すためファインダーを背後に向けると、そこには銃を構えた覆面男が映っていた。
「ア、アニョハセヨ~?」
「……」
向けられた銃口を咄嗟に払う。
耳朶をかすめた銃弾が祭壇の写真立てを砕く。
再び突き出された拳銃のグリップをスマホの尻で打つ。
寝床から転がり落ちながら、覆面が取り落とした拳銃を拾い、目の前で斜めに構える。
静止した時間にカランコロンと心地よい音が響く。
拳銃だと思ったそれはソユンのガラガラだった。
「……」
「……」
時は動き出す。
先に拳銃を拾ったのは覆面。
構え、狙い、撃つ。
その三動作で俺は死ぬだろう。
だが、首を捻るのは一動作だ。
覆面は、顔を上下反転させて白目を剥いた。
俺はスマホをかざして目をすがめる。
パシャリ、首筋に彫られた「十字架」を調査局に送信する。
この街には心当たりが多すぎるので、犯人探しは背広組に任せる。それより大切なのは、同じ布団で寝ていたはずのソユンの行方だ。
寝室、リビング、キッチン、祭壇の間。スマホをかざして「メガネメガネ」しながら室内をクリアリングするが呼びかけに返事はない。こうしている間にも共用通路を渡る硬い足音が近づいてくる。
その時、ベランダから物音がした。
スマホを向けると、いたずらでメガネを破壊して隠れていた二歳の天使がいた。パシャリ、メガネ記念日。
「ソユン、鬼ごっこだ」
俺は絶望と安堵が入り混じった顔で彼女を抱きかかえる。エルゴを装着し終わった時点で玄関が蹴破られ、俺たちはベランダ越しに階下へ飛び込んだ。
「お邪魔します。上の伊東です。メガネもってませんか?」
(つづく)