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「ビビデバ/星街すいせい」の監督を悪役だと思っていませんか?

 
 ビビデバ、凄かったですね~!初見では鳥肌立ちまくりで、後半は感動のあまり涙が出ました。葱びーだまさん、擬態するメタによる最高のアニメーション、そしてストーリー。ツミキさんの何回聞いても飽きないキャッチーな楽曲と、韻踏みまくりの超気持ちいい歌詞。曲や映像は本編を見て皆さんが受け取った通りだと思うので、概要は割愛して、この素晴らしいビビデバの歌詞やストーリーを僕なりに解釈していこうと思います。

 

「シンデレラに対するアンチテーゼ」


 まず、「ビビデバ」の歌詞はシンデレラに対するアンチテーゼであることは言うまでもありません。冒頭の「奇跡願ってるだけの人生」や、サビの「おしゃまな馬車飛び乗って~」などからも、令和版シンデレラとしてのメッセージ性は否定できないでしょう。すいちゃんの行動力や性格を落とし込んだ、現代のシンデレラ。ガラスの靴を投げ捨てて自由気ままに踊るすいちゃんの姿は、アーティストとしてとても輝いて見えました。このように、ガラスの靴や魔法、着換えのようなシンデレラに登場する要素は、ビビデバを解釈する上で一番大事な要素だと考えます。

「ガラスの靴」


 映像や歌詞でも出ているガラスのシューズ(靴)は、ペロー童話やディズニー版のシンデレラの作中で「貧民が手に届かない最高級品」の代表として登場します。一方で現代におけるガラスの靴はかなり簡単に製造可能なため、「シンデレラみたいに綺麗な衣装だけど、割れやすくて窮屈なガラスの靴なんて誰も履かないよね」という、見栄えだけしか考えてない窮屈な衣装の代表として描かれることの方が多いように感じます。「ビビデバ」でも正にその代表例として描かれていますよね。MVの中でも、すいちゃんが「こんな靴で踊れるわけないでしょ!」と言っているように、激しいダンスを踊るにはとても実用的ではありません。実際コケましたし。
 

監督は違った世界の「星街すいせい」である


 では、監督が無理に履かせた「ガラスの靴」。これは本当に間違っているのでしょうか?すいちゃんは最初、「どうせコケるし、踊れるわけない」と失敗を恐れて監督に抗議していました。しかし、監督が強行した結果どうなりましたか?僕は初見でMVを見たとき、「ちゃんと踊れてるじゃん!」って思いました(思った直後にコケましたが…)。でも、一番難しくて激しいダンスはちゃんとガラスの靴を履いて踊れてましたよね。監督もにっこにこでした。最後の着地を失敗しただけ。これは当初のすいちゃんのイメージとは違っていたと思います。1:21秒あたりからの監督の演技は「あとちょっとなのに、なんでそこで失敗しちゃうかな~」と解釈できます。人間はあと少しで達成される目標が達成できない時に行き場のない憤りを感じ、できると思っていたからこそ悔しいと感じる生き物です。ただ一人、監督だけがガラスの靴を履いていても、踊れると信じていたのです。信じていたからこそ、このコンテを作った筈(監督はハイヒールを履いたことなど無く、無知なだけという話は置いておいて)。そして、やってみたら実際踊れたじゃありませんか。もし、「どうせ無理」と踊るのをやめていたらこのシーンは作れなかった。その事実を分かってしまったからこそ、ダンス後のすいちゃんは申し訳なさそうに謝っていたのだと思います。監督は自分のやりたいことを実現しているもう一人のクリエイターなのです。それこそ、星街すいせいと同じように。



王子さまは誰?

 結論から言います。ガラスの靴を履かせたのは監督です。なので、監督が王子様でしょう。王子様とは自分を彩って、舞台に上がらせてくれる存在。でも、それは王子様の望みなのです。シンデレラが魔法に出会えなかったなら?シンデレラの理想と王子様の理想が違ったなら?それを受け入れた童話のシンデレラにはなれない!という、「転生を断って星街すいせいとして移籍した」したすいちゃんならではの解釈だと思います。
 そして、MVの前半では監督が作りたい物語を実現する一つの道具として星街すいせいが踊る。しかし、後半ではすいちゃんは自分が監督になることを選んだわけです。マネージャーが殴られて、監督に立ち向かうために立ちあがり(1:40~)、一人の演者から監督と対等な「自分の物語を作る人」に成った。古い主人公は退場し、星街すいせいがこの世界の監督に成り代わる。衣装も監督に与えられたものではなく、自分で選んだ。ガラスの靴も捨てて、(売れないかもしれないけど)自分のやりたいことをする。(2:17~)の表情は、監督の思い描いていたシンデレラ(0:00~)では絶対にありえない表情です。
 また、衣装やカメラを自分で用意するのはすいちゃんの個人勢時代と重ねずにはいられません…。


最後に

 監督の作る世界から、私が作る世界で生きていく。星街すいせいではないVtuberになってではなく、星街すいせいとして自分を貫き通してきたすいちゃんにぴったりなMVでした。一方で、監督の作る世界はオリジナリティ溢れ、思い通りに作れたなら成功するだろうクリエイターの先駆者。シンデレラをプロデュースする王子様としての監督のことをどうしても嫌いになれませんでした。
最後に、ビビデバの製作に関わったすべての方に感謝。本当にありがとうございました。
そして、映像やアニメーションからビビデバを掘り下げている沼田友さんのnoteも必見です。僕には絶対にできなかったお話が書かれていて、非常に勉強になりました。


最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました!

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