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小学校4年生の時に母親から突然一緒に死なないかと言われた話
先生の家庭訪問が終わった後
急に母からねえ直樹一緒に死なないかと
言われた
子供ながらその時の気持ちは良く覚えてる
無性に恥ずかしかった
何故、自分がこんなにもダメな人間なのか
まともでは無いのかそんな気持ちでいっぱいだった
時はバブル絶頂期
両親は家で仕事をしてた
毎日、毎日仕事の事で喧嘩ばかりしてた
子供としては毎日、喧嘩してる
両親の元にいると
どうなるか?
落ち着きが無くなる
落ち着きが無くなるって事は
集中出来なくなり授業も頭が入らない
全く入らない
まあそんなこんなで
仕事が忙しい母親は父親にも良く殴られた
気持ちに余裕が無くなり
子供を何かにつけて怒るようになった
子供の自分はあまりにも怒られ過ぎて
強制的に母親の話を聞かないように
怒られてる時は洋服の模様を見て過ごしてた
そんな癖が付いた自分は学校の授業も
聞かなくなり問題児になった
そりゃ勉強も出来ないわ
母親からしたら家庭教師も付けてるのに
なぜこの子は勉強が出来ないのかしらと
ショックを受ける
家庭訪問では先生から子供の事でお叱りを受ける
結果、一緒に死のうとなる
今、考えれば勉強出来ないのは
毎日、喧嘩をしてる両親のせいなんだけどね
そんなこんなで日本一馬鹿な高校卒業後
道路工事の警備員の仕事をするように
言っては悪いがそこと悪徳布団販売しか
面接で受からなかった
警備員の仕事をやって
辛かったと言えば辛かった
雨の土砂降りの中での旗振り
車から早く通せと怒鳴られる
一年くらいは続けた
まだその頃は実家にいたが
ある日母親と大喧嘩をして
実家を出る事になった
実家を出る事になったが
困った事に住む事ところが無い
さてどうしたもんか?
仕事を探してくうちに
新聞配達なら住み込みで働けて
しかも家賃0円
ラッキーこれしかない
実家を出る時に
母親が言ったことが今でも忘れられない
実家を出たら両親の有り難みが
分かるんだからね
ここから新聞配達を本格的にやる事に
まあ初めは辛かった身体が慣れない
1日に2回起きてする仕事だから
業務内容は朝刊、夕刊の配達
お客様への集金、営業など
やる事は沢山あったから
時間が過ぎるのはあっという間だった
今だから話せるが悪い人も沢山いた
集金のお金20万〜30万を持って逃げる人
借金まみれで働いてるからそう言う人もいる
営業で新規顧客を取ってきたが
実は契約は嘘で天ぷら営業
アルコール中毒で新聞を折り込みにいれながら
ビールを飲む先輩その後に配達
自転車での配達をしてたが
途中で寝てしましい遅延の連絡で
営業所の電話がパンクした
他にも奨学生制度を利用し
配達しながら学校に通う子などがいた
本当にこう言う子は偉いなって
尊敬してたら職場の女の子から相談された
実は1回大人の関係になったら
8万円くれるおじさんがいた
出会いは街中で会って声かけられた
結局、大人の関係になり8万円もらった
でも後悔してるから2度したく無い
それを聞いてそっか心に傷が付くから
もう辞めた方が良いよねって伝えた
数ヶ月後その女の子が急に仕事を
辞めると言い出した
本当にびっくりしてその理由を聞いた
実は数人のおじさんと身体の関係を
持つようになった
結果、月の収入が70万円を超えた
新聞配達馬鹿らしいから辞めるよ
僕は聞いた心の傷はどうなったの?
えっそんなもんはとっくに克服したよ
世の中金よりも大事なのはもんは無いでしょう
とっとと稼いて学費稼がないと
若いうちだけだから
身体使って稼げるのは
女で産まれたら利用するもんは利用しなきゃ
それを聞いて僕はこう答えた
でも心の傷は中々治らないよ
だから昔の人は若いうちの苦労は
買ってでもしろって言うじゃ無い
その子はこう答えた
時代遅れて遅れてる
金だけだよ裏切らないのは
僕はこう思った
そっか岩手から出てきて
頑張ってたのに都会に飲み込まれたんだ
もうあの頃の純情な君では無いんだね
仕事を続け3年が過ぎようとしてた
新聞配達の積立金も溜まってきて
僕は次のステップに進むようになった