冠婚葬祭と重度発達障害(お通夜編)
昔、障害児先輩ママさん達から「重度発達障害の子供がいたら冠婚葬祭もいけない。預ける先がないから、ショート先の充実を」という陳情を見たことがあった。
私は、そうなんだ💦梅子さんがいたら、葬式も難しいんだ…泣
と学習した。
もし、我が家にも葬式という行事ができたら、どうなるんだろう…と不安に思ったことを覚えている。
そして、案の定、そのXデーが我が家にもきた。
私の父方の祖母(梅子さんからすればひいばあちゃん)が亡くなった。
祖母は、私には優しかったが、典型的なペアレント・モンスターだった。
しかし、梅子さんが生まれてからは入院生活をしていて、会ったこともなかった。
その祖母が老衰で亡くなったと私の母から聞かされた。
さて、梅子さんをどうするか…と思ったけれど、当時、療育で指示に従うことができるようになっていたので、そのまま、夜になってお通夜の会場に連れていった。
梅子さんは、全く知らない場所(葬儀社が用意してくれた場所)に連れてこられたが、家族全員がいたので黙って祖母の寝ている部屋に入ることができた。
祖母は、眠っているかのように安置されていた。
小さくなったな…と思いながら、見つめていた。
綺麗な大島紬を着ていたのを覚えている。
後から聞くと、私の母の計らいだった。
梅子さんは、私の隣でチラチラ祖母を見ていた。
しばらくして母から親類に「末期の水を…」ということでお通夜が始まった。
私たち家族は親類の座っている後ろに座り、順番が来るのを待っていた。
実は、私は行事が非常に苦手でお手前が分からず、いつも緊張してしまう。
だから、極力後方にいて、他の人がしている動きを目で見て完コピするようにしている。
(この辺りから梅子さんが重度発達障害者だということを忘れている私)
そして、とうとう私たち家族の順番が来た。
最初に主人と長女(当時中学生か高校生くらい)が末期の水をあげにいった。
後方からでは、どうやっているのかよく見えないけれど大体、手順は覚えた。
そして、無事、終わり席に帰ってきた。
ラスト、私と梅子さんだけになった。
私は梅子さんを連れながら、祖母の隣にいき座った。
まずは、私から葉っぱに水をつけて、祖母の口付近に水を垂らした。
葉っぱから落ちた水滴は、祖母の唇を濡らした。
その時、小さい時に可愛がってもらったことを思い出していた。
ありがとうしか言葉が出ない。
そう伝えると、葉っぱを梅子さんに渡して介助しながら葉っぱを水につけさせた。
梅子さんは水に濡れた葉っぱを持って、同じように祖母の口の辺りに水滴を落とすように模倣してくれた。
内心「おお〜!やるじゃないか!!!梅子よ!」と心の中で叫んでいた。
梅子さんの垂らした水滴が祖母の唇の上に綺麗に落ちた。
その水滴が唇をつたうのを静かに見ていた私。
おもむろに梅子さんが一言…
「いただきま〜〜〜す♪」
…(゚ω゚)
その瞬間、私たちの後方でドッと笑いが起きた。
速攻で私が振り返ると静まりかえり、親戚一同が下を向いて口を塞いで肩を振るわせていた。
その更に後方では、旦那氏と長女が声を上げずにお腹抱えて爆笑していた。
この時、ようやく冒頭で書いた「発達障害の子供がいると冠婚葬祭もいけない…とはこのことか???」とも思いながらも、なんか違う気もした。
慌てた私は「確かに、そうだけれど!!!」と安っぽい漫才のツッコミ担当を梅子さんにしてしまった。
とりあえず、梅子さんを連れて元の席に戻り、末期の水は終了し、そのままお通夜の行事を終えた。
ちなみに旦那氏と長女から、「みんなお通夜なのにめっちゃ笑ってたで」と聞かされたので「知ってる」とだけ答えた。
私は居心地が悪かったので帰ることにした。
梅子さんを連れて、祖母のそばに行き、「今日は帰るわ。また明日、くるな。」と亡骸に報告しようとしたら、祖母の口角がかすかに上がっていて笑っているように見えた。
あれ?っと思ったので、あらゆる角度から祖母の顔を観察したが、どの角度から見ても笑っているようにしか見えなかった。
亡骸も笑わせる重度発達障害者💦
冠婚葬祭には難しいはずだわ…と学んだ。
(お葬式編に続く)
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