売らないブランド。自分だけの。
週末のたびに“縫う”ことにハマっています。
一度ミシンの前に座るともう、何かに取りつかれたかのようにひたすら縫う、縫う、縫う。
ここ半年ほどはパンツ作りに凝っていて、気づくとほぼ毎日、自作のパンツを履いて仕事に出かけているような気が。
図書館で良さそうかなーと思うソーイングの本を借りてきて、型紙をトレースし、好きなように丈を変え、シルエットを変えて。ほんのちょっとのこと・・・例えばポケット布を少し深く大きめに変えただけでも、グッと日常使いしやすい、お気に入りの服になったりします。
最近は本格的な夏に向けて、麻のパンツを鋭意制作中。生地屋の端切れコーナーで、細番手で目の積んだ、品のいい微光沢があるような麻生地を掘り出してきては、これならロングパンツいけるかなー、とか、もうちょっとボリューム出せるかなー、とか、日々やってます。
そんな私のミシン縫いの原点は、たぶん、これ↓。
もうボロッボロですが、およそ四十年前、小学生のころに勢いで縫った巾着袋です。さすがにリボンだけは(ちぎれたので)交換しましたが、恐ろしいことにいまだ現役、週末実家に帰るたびに下着などを入れるのに重宝しております。
洋裁だの編み物だのといったモノづくり好きの母の影響で、まだ幼い頃の実家には、端切れだの毛糸だのがいっぱい詰まった押し入れダンスがあったんですが。そのタンスの中のモノであれば、布でも糸でもレースでも毛糸でも、私が自由に使って良いことになっていたんですね。物心ついた時には針と糸を持たされていて、大きな裁ちばさみは体のサイズに合わないため、小さな糸切りバサミで布を切っては、針としつけ糸でリカちゃん人形の服を縫っておりました。そうとうアヴァンギャルド?なデザインでしたが。。。
その後、身体も大きくなって家にあった足踏みミシンを使えるようになった頃に思い立って縫ったのがこの巾着。今見ると、ミシン目が細かすぎたりして、なんでこうなる?とちょっと笑っちゃう出来栄えですが、足りない生地を切り替えで補ったり、いっちょまえに底マチを入れていたりと、型紙も作らず“ノリ”だけでよく作ったもんだと思います。
四十年、その間、専門学校に行ったり洋服の仕事をしたりしながら・・・結局またミシンの前に戻って来ちゃったなあ、と、少々感慨深かったりします。
作っても売ることはしないけど、自分だけの“UBAブランド”の服が一枚一枚増えていくのはちょっと楽しいです。そのうちオリジナルの『UBA』ネームでも作って縫い付けようかしらね。
目下の課題はカットソーの服作りです。これはかなり難しい。自分だけの究極のTシャツを作れるようになれたらいいんだけどなぁ。