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【感想】ミュージカル刀剣乱舞 陸奥一蓮(配信)
鑑賞情報
2024年5月6日(月)18:30 @大千秋楽配信
日常会話で使うミュージカル刀剣乱舞
ミュージカル刀剣乱舞には多くの作品があり、数多の名セリフがある。印象的なセリフは日常会話に用いられるものだ。きっと各家庭にそれぞれの御用達セリフがあることだろう。私がよく用いるものは、例えば以下である。
「髪の毛が口に入った」(三百年の子守唄のどっちか、蜻蛉切。2部MC中)
髪の毛が口に入った時に使う。「この力……危険だ!」(三百年の子守唄、蜻蛉切)
眠いのに無理して何かをしようとするときなどに使う。「うん、いい笑顔だ。……一緒に笑ってあげることくらいはできると思うんだ。……僕でもね。……それだけだよ」(三百年の子守唄、にっかり青江)
人を笑わせてやりたいとき、先に大声で笑ってから使う。「左様。とても儚い」(公演も男士も忘れた)
何かが壊れたときなどに使う。
どうして陸奥一蓮の感想記事の最初に、今作とは関係ない話を置いたのだと困惑する人もいるだろう。私は三百年の子守唄が好きだと主張したいわけではない(好きだけども)。すなわち、今作で印象的だったセリフも、家庭内で使うかもしれない。忘れないうちにメモしておきたいので、このくだりを記事のいちばん上にした。しかし、すでにうろ覚えなので、間違いもあることだろう。
「しゃらくせえ……」(三日月宗近)
鶴丸のセリフでもある。心配されたときに使う。「感情に支配されると隙ができるぞ」(鶴丸国永)
感情に支配されそうになっている人に使う。私は感情に支配されがちなので、自戒のためでっかく壁に貼るなどしておきたい。「♪微笑みではぐらかさないで」(加州清光)
笑ってごまかされたくないときに使う。「あと、随分と筆まめで、直筆の書状が……ッ」(鶴丸国永)
いつの間にかひとりになっていたときに使う。
と、色々書いてきたが、会話というのはそのときにふと心に浮かぶもので成りたつ。このメモは役に立たないかもしれない。それでも、メモが終わって満足したので、いつものフォーマットに戻る。
登場人物
三日月宗近(黒羽麻璃央)
三日月、ほんとうにいる……! 久しぶりに本公演で肉体を見たよ……! パリ山以来では?(阿津賀志山異聞パリ公演) 今作でも部隊に編成はされてなかったし、いるというか、いるけどいないというか。
開始1時間半経って、「まだ刀剣乱舞やらないね」「そりゃあ三日月が合流してからでしょう」という話をしたのだが、三日月不在のまま「とうけんらん……ッ! 強く強く(強く強く)……」と聞いたことのないアレンジverが流れ始め、「え!? 三日月いないが始まっちゃった!? いや(三日月)いる! 上に!? なんだ!? セリフ……! いや歌……? 歌だ!!(Cメロだ!!)」と大忙しになった。
相変わらず歌がうまいし、久しぶりの出陣でも変わらずに三日月宗近で、よかったなあ。役者さんてすごいな。
あと、三日月が作中で弥彦に唐突に救済されていて、私は泣いた。三日月が救われる時が来るとはまったく思っていなかったのだ。三百年の子守唄では同じ三条派の石切丸も、赤子の頃から育ててきた信康に「あまり、無理をするな」って言われていたなあ。子どもに救われる神様たちだ(石切丸は物理的にも敵の攻撃から守られていた)。
ソロの「月は見ている/聞いている/忘れぬぞ」という歌。天体に寄せて自らの振る舞いを歌っているものと思う。月は光を受けて放つだけだと言うが、それでもお前は美しいよ……本当に、三日月宗近は、限りなく優しく、優しさからの寄り添いのために何度も死に出会い、きっと数えきれないほど傷ついて、摩耗してつるつるになっちゃって、涙も出なくなったのかなあ……と思うなどした。
今作では過去作における伝言の回収がよかった。パライソ鶴丸の「しゃらくせえ」も、東京心覚平将門の「負けた者に寄り添いすぎると……」も、物部や水心子経由でちゃんと三日月に伝わっていた/伝わったとわかったこと。特に、私は将門公が歴代人間の中でも特に好きなので、あそこで言いっぱなしの人にさせられなくてよかったなあと思う。
三日月が本丸にいないのは折れたはずの歌仙兼定を探しているから、とは明言されていない気がするのだけれども、まあそうなのかなと思っている。としたら、(大侵寇でわかった)三日月宗近がもつタイムループパワーを、自本丸の破壊刀剣の探索に流用しているということ? そのへんはまた後の公演で明らかになるだろうか。(しかし、すでに初期刀が折れているとしたら、もし大侵寇をするにしてもどう描かれるのだろう?)
加州清光(佐藤流司)
清光、トライアルの頃から間違いなく加州清光だったし、今なお進化し続ける清光だった。さすがです。
自由な三条派をまとめる隊長でもなく、新選組の気心知れた仲間たちと大暴れするでもない、フラットな一隊員として存在するところを見るのが新鮮でした。
加州清光は、山姥切国広とは違い、たくさんの知識をしっかり入れていくというより、周りの様子を見て合わせたり飛び出したり、現場力が高いんだな〜と思う。運用でカバーだ。「限界なんだけど」でありつつ、「聞いちゃいけないのかなって」と我慢しているところは、周りの感じをちゃんと見て自分をコントロールしてるんだなと思う。
昔この二振りを書かせてもらう機会があり、山姥切と加州が仲良くしていると嬉しいたちなので、大包平に「怠慢だ」と指摘された後に山姥切に差し入れを持っていきながら質問をするくだりがとても好きでした。疑問の呈示は意思疎通の第一歩ですからね。わたしは意思疎通が大好き。
ただ質問するだけじゃなくて、並んでごはんを食べるところがとてもいい。
清光の裸を見てしまったので、いずれ死ぬことが確定した。みんな見た? みんないずれ死ぬ? だよね、よかった。
2部も含めて。
清光のダンスの、ギュインって感じ? グワーッて感じ? が好き。みんなと同じ振りでも清光には清光のテンポみたいなものがあるな〜と思う。
2部MC(デュエット曲前)で、お話っぷりも仕草もかわいいのだけど、その中でもアイシャドウがかわいいな~ってずっと見てしまった。
蜂須賀虎徹(高橋健介)
「ふゆ、かい、だ。」! 幕末天狼傳名物の「不愉快だ」がかわいらしく静かにアレンジされていた……!
「この本丸の古参は物事をひとりで抱え込みすぎる」という文脈だった、それでいくと長曽祢さんも割と古参寄りということになるのだろうか?
水心子に鶴丸を追わせた山姥切に対して「優しいんだね」って言ってあげられるの、やはり蜂須賀本人がとても優しいからではないだろうか。蜂須賀は水心子が三日月を追っているのを知っているということを踏まえて。
蜂須賀のウィッグ、顔の横の髪の処理が変わりましたか? 天女感が増している気がする。
鶴丸国永(岡宮来夢)
鶴丸も何度見ても鶴丸ですごい。葵咲本義からずっと。今回は笑顔から真顔から冷酷な顔から痛みをこらえるような顔までいろんな顔が見られました。非常に嬉しい。百面相しても鶴丸は鶴丸だなあ。
今回は三日月宗近と楽しく過ごしていた初期の様子を見せてもらえた。鶴丸は、本丸の中では今に至るまで基本的には陽気でいてくれている(後輩指導が厳しめにしても)と思っている。その奥に、どんな大きく激しい怒りや落胆や、それらすら燃え落ちたあとの虚無が広がっているんだろうか。ワクワクするぜ。それでも桜を植え続けているんですか?
大包平の傷口に手を突っ込むくだり、「痛いんだよ、傷を負えば」のあたりは静かだったのに、「周りが迷惑だ」で辛辣に突き放して終わるところがつらくて、そしていいなあ、と思いました。激昂しなくても大包平には伝わるのだ(大包平は聡い)。鶴丸はそれをわかって自らの言動をコントロールしている。
今回三日月宗近は弥彦に救われたと思う、鶴丸はいつ誰に救済してもらえるんだろうか。三日月宗近とあんなに楽しそうに仲良く過ごしていたのに、「『あの時』刀を交え」なかったがために(あの時っていつのこと?)、「俺にはもう(三日月に寄り添うことは)できねえからな」になって、審神者に向かって「折るか!」と口にするまでになってしまった。それでも、最後、”歌を詠みたいという気持ちがわかる”と言う鶴丸は、三日月宗近を案ずる気持ちを失ったり、彼を諦めたりしたわけではない、と思いたい。
水心子正秀(小西成弥)
水心子の迂闊キュートネスは健在だった。蜂須賀の微笑みを見るだに、水心子がいつも気を張っていることに周りは気づいているのだろうけど、そっと見守っているのだなと思う(cf. 清麿「どうか見守ってやってほしい」)。
どうしても気になる、水心子は「桜の方が、一本多い」で誰かが折れていると気がつかなかったのだろうか? もちろん、あのシーンの主眼は加州清光が内心で「やっぱり」と思うことだろうから、水心子が怪しむ様子を出すと話がごちゃごちゃしてしまうのだろうけど、賢い水心子が「やはり、新しい刀剣男士が顕現するたびに主が桜の木を植えているというのは、ただの噂なのだなあ」で済ませたのだろうかと疑問を感じる。その後も水心子は桜については触れない。やはり水心子はスルーしたのか、そこも物語の進行上のことなのか。
水心子が東京心覚からずっと気にしていた三日月宗近と、やっと直接会って話すことができたのはよかったと思う。結局三日月は本丸に帰っては来なかったし、三日月に頼まれた「これまでとこれからを繋ぐ」の意味も教えられてなかったけども(それについては、新々刀組は郷と違ってすぐ了解した様子だったので、聞く必要がなかったのかもしれない)。しかも鶴丸に怪我をさせられた状態でだったな。私は伊達双騎を見ていないのですが、風の便りに、鶴丸が顕現直後の大倶利伽羅を手合せでこっぴどく負かすらしいと聞いています。鶴丸、仲間を過度に傷つけがち(?)。そういえばパライソでは松井を心理的にボコボコにしていたかもしれない(松井は鶴丸を嫌いにはならなかったようだし、豊前は鶴丸のそれを肯定してくれた)。
水心子の話に戻ろう。
一部の最後で、山姥切の言う「約束」がわからなくて左右の蜂須賀と大包平をきょろきょろ窺っていたのがとても可愛かった。閉まりゆく幕の隙間からもきょろきょろが覗いていた。かわいい。
二部、やっぱダンスがうまいな〜! MCで懐かしい江おんすていじの箱を持ってきてくれたのが嬉しかった。グレーがかった衣装もシックで格好良かった。
大包平(松島勇之介)
どの公演を見ても声が大きくていいですね、大包平は。今作の「急に大きな声を出すなァ!」がよかった。セリフを思い出しながら書いていて思ったこと、大包平って声が大きいしいつも堂々としているけれど、けしていわゆる「態度が大きい」ではないのだよね。大包平のセリフを文字に起こすと、言葉遣いがきれいというか、けして下品ではない。「急にクソでかい声を……」とかいう言い方ではないということね。……たぶん「大きな声を」だったと思う。わたしの幻覚だったらごめん。
「急に大きな声を出すな」、字面だけなら七星剣が発してもいいセリフだなあ。実際交互にやってもらったら、全然雰囲気が違うね。
ええと、セリフの内容だけではない。大包平が周囲に対して払う敬意や、自らの非に気づいた瞬間に謝れる実直さや聡明さ、咄嗟に出る「誰もが自分の見たいものを見ている。当然のことだ」といった簡明な真実などから、育ちの良さと有能さの掛け合わせを感じる。幼稚な大声大暴れお兄さんではない。微妙なバランス感覚だ。そこに強大な自負(過去の主からの評価や、本刃の鍛錬等に基づく)が乗っかっているので、あの声量と立ち振る舞いになるんだろうなあ。鶯丸と議論してみたいところだ。
ちなみに、大包平自身は何を見たくて、何を見ているんでしょうね。
今作では、大包平が加州清光に「怠慢だ」と指摘することで物語が大きく動いたと感じる。江水散花雪では「当然、全員でだ!」をやってくれた。やはり大包平がいると、物語がグッと前に進むなあと思った。見ていて飽きることがない。ね、鶯丸。
山姥切国広(加藤大悟)
真剣乱舞祭の前節で傘貼りしながら歌うのを、現地で聞いたのが、マイ・ファースト・ミュ山姥切国広だった。なんって歌がうまいんでしょう! なんって山姥切国弘本刃でしょう!
今回は、山姥切国広って鶴丸国永といるときこんなに気安い雰囲気になるんだなあ、というのが印象的でした。それでも鶴丸は山姥切の言いたいことを言わせないようにしたりしていたけどもね。
二度目の出陣で隊長を替わる時、鶴丸国永のやりたいことを明確に察していたし、自分にできる役割を自然に引き受けていた。(わたしもそういう人になりたい。)
水心子を鶴丸と行かせた時も同じで、水心子が三日月を追っているのを知っているからそちらに行かせた、しかも、水心子がうんと言いやすいだろう言い方を選んで。まさか囮(カット済み)になってもらおうと思ったわけではあるまい。山姥切国広、賢くて、優しい、手先が器用な反面とても口下手な刀、という印象だ。
大包平に続いて田村麻呂に「かもしれん!」をやるところはちょっと、山姥切はそういうこと言うかなあという気がした。悪ノリがすぎるような……個人的にはね。
山姥切が1部で歌う歌は好きなものが多い。江水散花雪の「花の雨 君の名残」がとても好きで、今回の「影ふたつ」もとてもよかった。
2部、清光とのデュエットで、かなり笑っていた……! 笑ってる……! 山姥切が……! 驚いたし、嬉しかったなあ。
阿弖流為(山本亨)
歴史の予習を全くせずに見てしまった。阿弖流為の発言や行動を見ていると、現実の戦の指導者たちに思いを馳せずにはいられない。どんな葛藤があれ、身内の犠牲があれ、戦をしたという事実は変わらない。
焚き火のシーン、歌が下手であるという演技って難しそう。
母禮(細見大輔)
歴史の予習をしなかったために、公演を見るまで存在を知らなかった人。モレ。とても声がいい。
坂上田村麻呂(三上市朗)
暑がりで寒がり。
途中の「計算ごとは苦手だ」「首を差し出せ、順番に斬ってやる」みたいなセリフ、たぶん細かいところは間違ってるが……、歌仙に似ていませんか。偶然ではなかろう。歌仙兼定の存在を匂わせたくてわざわざ? 関係のない人間でそんなことする? それとも関係があるんでしょうか?
場面
【一部】
水心子の「桜の方が、一本多い」で、ああ、この公演ではやっぱりそういう話をするのか、となりました。この本丸で折れている刀の話。初期刀の歌仙兼定なのだろうなあ、ということで歌仙前提で書いている。そう思って見ると、「この木、人見知りっぽいし」という加州の指摘がちょっと面白い。
清光の「ねえ」の歌、とてもかわいかった……かつ、(トライアルから出ているし古株感が強い)この清光にも知らないことがあるのだ、というのが印象的。
阿弖流為と母禮が手合せやら取っ組み合いやらをする微笑ましいシーンに溶け込んでくる、本丸初期の三日月と鶴丸の手合せ、そこに重なる山姥切の「影ふたつ」の歌、美しくて、ふたりとも楽しそうで、でも今はそんなふうではなくて、今はもうない過去にどうしようもなく涙が溢れた。山姥切はその頃のふたりを実際に知っている(手合せは見てないにしても)。曲調が、優しく明るく美しいのが、いっそう切なかった。とても好きなシーン。
上にも書いたのだけれど、弥彦と三日月のシーンもとても印象的だった。三日月をどうにかしようと水心子も頑張っている(鶴丸の言葉で言えば「寄り添って」いる)が、何も知らないはずの人間の子どもが、ぽんとそれをくれる……。終盤の平泉のシーンでも子どもが蓮の花を三日月に渡していて、それもまた小さな救いに私には見えた。藤原清衡が平泉に入った、という三日月が話していたと思う……調べると、阿津賀志山異聞やつはものどもがゆめのあとに出てきた泰衡は清衡の3代あと、ひ孫らしい。今作の、大きい方の人が清衡だとすると、蓮の花をくれたのは泰衡のおじいさんにあたる人なのかしらね(全然わからない)。
検非違使が強くて多いのはぜったい三日月宗近がLv99だからでしょといつも思っちゃう。
山姥切が約束を守って話してくれるから、次の本公演からは事情が明らかになるのではないかな。
最後のシーン、鶴丸が歌仙の桜の下で会って話した三日月宗近が鶴丸の幻覚だったのか、それとも過去の回想だったのかで人と意見が割れている。私は幻覚だったのだと思っている。その方がしんどくて好きだし、三日月がいなくなっても鶴丸の肩に花びらが乗っていたので。ただ、花びらは演出ではなく、あの回の偶然なのかもしれない。
鶴丸が、珍しく嬉しそうに、笑顔で、たくさん喋って……ああ、やっぱり回想だったのかも……今の鶴丸が、「(三日月を)見つけたらどうする。折るか!」とか「俺にはもう、(三日月に寄り添うことは)できねえからな」とか言う鶴丸が、ふわっと現れた三日月に、あんなにご機嫌に饒舌になるとはあんまり思えなくなってきた……だからその鶴丸の振る舞いも含めて幻覚なのかなあ。わからん。まあ、わからなくても、いい、好きなシーン。つらくて、どうにもならない、同時にはりさけそうなほど美しい場面。
【二部】
全員にソロがあるって後から知りました!! なぜなら、大千秋楽の配信を見るまで一切ネタバレを見ずに来たため……。この公演のメンバーを知ったとき、人と一緒に「誰が2部ソロやんの?」と動揺したものですが、なんてことはない、全員だったのです。わー。
一曲目、予習はしていたけど、むっずかしい曲……! どんどん難しくなりませんか。カラオケに入れられぬ。
後で配信版を聞き直していて。サビ前の三日月ソロ「一人にさせないからどこだって迎えにゆく」。これ、一部を思い出して、「いや今回は三日月が迎えに”来られる”側だったじゃんかよ」とツッコミを入れた。そしてその後で、「ああ、でもやはり、これは三日月が歌うべき歌詞なのかも」と思った。過去に悲しい役割を背負わされた友たちを、何度も訪れて、何度も話をし、時に逃がそうと、時にただ寄り添おうとする、三日月の歌なんだ。二重になっているのだな。迎えにゆくのは三日月であり、三日月を迎えにゆく本丸の仲間(特に水心子正秀)。
組み合わせのわからない中だったので、加州がMCの「行ってもいい!?」からシームレスに歌い始めたときに(「えもう歌始まってる!!」)、横から山姥切が出てきて大喜びしました。この二振りが好きなんだ。後半の高いハモリ、とても美しかったです。どちらも歌がうまいし、しっかりと互いに身体を預けているような歌声の印象で、聞いていて気持ちが良かった。
そして鶴丸と三日月のデュエットでした、うわははは、夢か? ありがとうございます。爽やかでいい曲でした。どっちが風でどっちがアゲハなんだろう。(?) いや、アゲハは風に乗って飛ぶけど、羽ばたきで風を起こすから、どっちがどうとかないのかもね……。
すごくいい笑顔で……ふたりとも……一部があんな調子なのでたくさん楽しそうに歌ってくれてよかったと思いました。ステージの真ん中ですれ違うときにハグしてたのもよかった。千秋楽だもんね。
第三形態の炎舞、長袖でした!? もっと脱げるよね? と声に出して問いかけてしまった。すみません。でも肌が無闇に見えないことで歌やダンスに集中できるのはいいかも。
全体の感想
前作は脚本が私の好みに合わなかった。今作、三日月はじめ錚々たる顔ぶれで特に大事な話っぽいのにお話が好きじゃなかったらどうしようと、戦々恐々としていた。しっかり正座して見てもし苦手な話だったら嫌だなあというのと、単純にその日の時間配分がうまくいかず、前半はごはんを作りながら、後半は食べながら視聴しました。後で暇を見てもう一周はしたけど、シーンの見落としとかもあると思う。
今回のは、けっこう好きな話だったなと思いました。それは①伏線回収が多い(伏線回収は快感である)②しんどいシーンが多い(しんどいシーンが好きである)③好きなキャラが多め、だからかなあとも思うわけだけど。もちろん歌の良さとかもある。
作中で繰り返し歌われる、「この地に生まれ、この地で生き、この地を愛し、朽ち果てる」という歌。震災の被害を受けながらその地に留まる人々や、世界の各地で起きている戦乱を思わずにはいられなかった。
歌仙兼定がいずれ戻って来る可能性について考えている。鶴丸国永によると「けっして、見つからない」ということだが、三日月宗近が「探している」と言った以上、そのケリは必ず作中で付けられるはずだ(希望的観測)。ミュージカル刀剣乱舞が、初期刀五振りのうち一振りを、永遠に登場しないものとして固定するとも、個人的にはあまり考えられない。
それと、わざわざ名前がノイズで消されていた初鍛刀らしい枠の刀剣男士、についてもわからないことが多い。愛染国俊説をSNSで見かけたのだが、私には根拠がわかっていない。仮に、国俊がすでに顕現しているなら、桜の数的には折れていないはずだし、清光たちも国俊と普通に交流しているだろうに、明石国行だけが作中に登場していることが気になる(あるいは、歌仙兼定の件を前進させる作品において、明石国行も編成されるのだろうか)。個人的には、明石国行が欠かさず祭系のイベントに参加するのは、愛染のためなのではと思っていた、顕現していてもいなくても。
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