どうやって「詩人」を仕事にできたんですか?と聞かれて。
どうやって「詩人」を仕事にできたんですか?と聞かれて、詩人が仕事になるまでの自分の過去を振り返って考えてみた。
小さな幸運や人との巡り合わせの連続があって今に至ってるので、8〜9割くらいは「運」だと思った。
もしも、
趣味や特技がたくさんあって充実した日々を過ごしていたなら「筆ペン」や「筆文字」にハマることもなかっただろうし、自分の気持ちを口で伝えるのが上手だったら詩を書こうと思ってなかっただろう。
20歳くらいまで何も取り柄のない自分で生きてきたのは、運がよかった。
もしも、
初めて書いた詩を友達にプレゼントした時に
「キモっ」て反応だったり馬鹿にされたりしてたら
その時点で詩を書くのを辞めてただろうし、
自分の詩に涙を流してくれたあの人がいなかったら
詩を書き続けてなかっただろう。
詩をプレゼントばかりしてた頃、
親友が「お金をもらって書く責任感が成長につながるはず」と初めて作品にお金を出してくれなかったら、いつか詩人を仕事にしようとも思ってなかっただろう。
素敵な友達がそばにいてくれた。
運がよかった。
保育専門学校の進路相談で
「保育士じゃなくて物書きになりたい」と言った自分を「そんなに甘い世界じゃないと思う」と先生が止めてくれなかったら保育士にもなってないだろうし、今の「自分」も「詩太」もなかっただろう。
それくらい6年間保育士として働いた時間は自分にとってとても大切だった。
素敵な先生と出会えた。
運がよかった。
保育士として素敵な先輩や後輩と出会えた。
子どもたちから大切なことを学べた。
運がよかった。
副業時代、
「いつか詩人を本業にしたい」という気持ちがあやふやになってた頃、初対面のお客さんから
「甘いね。“いつか”じゃなくて“いつまでに”って決めないと。」と厳しく言ってもらえてなかったら、まだズルズルと副業のままだったかもしれない。
その出会いがあったから、
1年半後に詩人を本業にできた。
詩人が本業になって乗りに乗ってた頃、
アトリエに訪ねてきた初対面のお客さんから
ポストカードを見て「メッセージ性が強すぎるね。」と言われなかったら、自分の作品を疑わず今でも長い詩を書いてただろうし、その後、絵を描こうとも思わなかっただろう。
時に厳しく伝えてくれる人に出会えた。
運がよかった。
星の数ほどたくさんの作家や作品がある世界で
自分の作品と出会い好きだと言ってくれる人がいなかったら、今日まで描き続けてこられなかっただろう。
自分の作品を見つけてくれた人がいた。
好きだと伝えてくれる人がいた。
運がよかった。
もしも、
今書いた出来事のどれか一つでも欠けていたらそれはそれで全く違う人生を歩んでいただろうけど、
自分は、詩人・画家として生きている今の人生で良かったなと思えているので、とても幸せ者なんだと思う。
運がよかった。本当に。