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三秋縋 さくらのまち感想

読みました。
感想文的なnoteはあまり書きたくなかったのですが、あまりにも思うことが多すぎてこれは書き出すべきだろうなと思ったので書きます。ネタバレ大量に含みます。誤字あったらすいません


まずとにかく新作嬉しすぎる。
好きな世界観を味わえる小説がふえるというだけで現実逃避先が増えるため人生が楽になるのは確かなので大喜びで購入した。そして購入したその日の間にすべて読んだ。

読んでるときにいちばん思ったことは「これ陰謀が本当だった世界線のNHKにようこそでは?」ということなのだが、読み終えてもなおNHKにようこそらしさを秘めていたように思える。
さくらのまちの自殺志願者を救う制度であるプロンプターという制度だが、あれはまさに『陰謀』そのものだ。正直言って、こいつの存在がさくらのまちの結末を引き出した完全な原因の一つだ。この陰謀が、主人公含む登場人物たちを騙し、殺してきたと言っても過言ではない。
NHKにようこそで主人公の佐藤がヒロインの岬ちゃんのことを「陰謀なんじゃね!?」と疑い何度も自殺未遂らしきことをし続けているように、疑いは自殺を引き起こしてしまうものだ。NHKようこそは陰謀など存在しなかったため、いい感じに終わることができたのだが。
さくらのまちでは登場人物たちが「全員自分のサクラだ」としか思えなくなり、自殺していった。ただそれだけの話。それだけだ。
さくらのまちは、まさに、そういう世界で生きたそういう人たちの話というだけなのだ。あんな結末になっても仕方ないだろう。
救いがない。三秋縋作品は全て読んでいるのだが、今ままでで一番後味が悪いのは確かというか、少なくとも気持ちが良くなる話ではない。君の話が出来が良すぎる話だとしたら、このさくらのまちは出来が悪すぎた話といってもいいだろう。

全体的な印象はそれだけだ。
読書はゲームではないのだから読者からすればただそれを見ていることしかできない。その淡々とした雰囲気が、まさに三秋縋という感じがしてよかった。全体的に漂う冬の薄暗い部屋の匂いというか、古臭い街並みの雰囲気が常にあって、その安定感とストーリーの不穏さが、やはり私は好きだと思う。


私は女なので性別上三秋縋作品を読む時はいつもヒロインに感情移入してしまうことが多いのだが、今回のヒロインはあまりにも欠点がない。ヒロインとしては100%すぎる。三秋縋のヒロインは基本的にどこかで弱みを見せていると思っているのだが、今回のヒロインにはそれがなかった。絶対に弱みを見せず、最終的に死という一番綺麗な形で終わるという、素晴らしいヒロインだった。私はこのようなヒロインにはなれない、と思った。こんなに素晴らしいヒロインが書けるものか、こんな素晴らしいヒロインに、なれるものかと。
ヒロインの素晴らしさは三秋縋作品では一番よかったと思う。

そして主人公。
今まで通りの三秋縋の主人公、といえばそうなのだが、今回は本当に主人公の方に感情移入しやすかったと思う(ヒロインに感情移入できなかったからだろうが)。恋する寄生虫のように三人称視点なのが良かったのか、程よくしか語らない主人公のおかげで私なら、と言う考えが上手いように浮かぶようになっている。今まで通りの「あ、その気持ちわかるわ」みたいな気持ちに加え、「ここ私はこうする」という私の視点としても楽しめるように感情を引き出してくれるなと思った。いい感じに感情移入できるしいい感じに客観的にもなれる、というと一番しっくりくる。そんな書き方だった。
あとシンプルに文章が上手くなっている。今までだと読んでいて「ここもう少し書いて欲しかった」だとか思うようなシーンがあったのだが、今回は素晴らしくまとめられていて良かった。



今回はジャンルがミステリーなのもあり、本格的(と言っていいのだろうか?)ではないものの、全体的に答え合わせをしているような雰囲気が漂っていた。ミステリーとしては単調すぎると思ったが、“三秋縋のミステリー”としては完璧と言ってもいい。三秋縋の作風であるどうしようもなく、ただ目の前に現れた現実という答えを受け止めることしかできない主人公。そして、その主人公をどうも他人と思えない『私たち』のリアリティをさくらのまちというミステリーに溶け込ませてきたな、と思った。
私は三秋縋の書く話はギャルゲーの主人公の話だと思っているのだが、君の話とそして今回のさくらのまちはギャルゲーの主人公というか、ギャルゲーのプレイヤー/プレイヤーだった人の話」として書いていたように思える。それは成長だと思うし、そのリアリティが私たちにこうして心に釘を刺してくるのだと思う。
三秋縋の書く話は少なからず世間的には陰キャ(無キャとも言ってもいいかもしれない)にあたる人たちの性格や感情、そして言葉を小説に落としてそんな自分自身を『そこにいる』と知らしめている話なのは今までも今回も変わりはない。

いつまでもプレイヤーにしかなれない現実を生きている“なんでもない私たち”を小説に落とし込むことで“なにか”にしてくれる小説を書いてくれているのが三秋縋のいいところだ。
なんでもない私を、なにかだと教えてくれてくれるような話。そんな話を私は今までもこれからも求めるのだろう。

最後に、さくらのまち、とてもいい話だった。

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