特別展示「バグのとなりで」ぬけがらメトリを見に行ってきた(再掲)
今わたしが一番気になるラボ、橋田朋子研究室は早稲田大学基幹理工学部表現工学科の研究室。
自由なものづくりで、既存のものに新たな価値を見出し提案する作品を数多く生み出しています。
中高の同級生がそのラボに所属していると知り、いつか研究作品を生で見れたらな~と思って連絡したところ、8月から11月に作品展示があると教えてくれました。
というわけで行ってきたのがこちら。
「わたしのからだは心になる?展」
特別展示「バグのとなりで」
友人(森田)の作品はこちら
https://twitter.com/mari_mori_ta/status/1720638356642828618?s=20
動画でも詳しく説明してくれています。かわいい。
【ぬけがらメトリの紹介】
「バグ」をテーマに制作された作品。モノに半透明の覆いを被せた状態で3Dスキャンを行うと、モノの表面が覆いに貼り付き、中身が空っぽになった「ぬけがら」のようなデータが出来る現象を利用したものです。展示ブースではりんごのぬけがらの例や、アイスのぬけがらの標本などが飾られています。
ということで下記は展示を見に行った日のことと感想諸々を書き連ねています。
所感
0.再会
ぬけがらメトリの作者、森田との再会は6年ぶり。お互い大学院生になりました。会うまでは久しぶりで緊張していましたが、会った瞬間、中学の私たちに戻りました。
1.私たちの思い出
昔の記憶は「一部の映像だけ覚えていて、細部については記憶から抜けてしまっている」ということがほとんどです。
そんな昔の記憶は、さながらぬけがらのよう。私たちは中学生のぬけがらを見ながら、思い出話に花を咲かせました。
中学の私たちと言えば、お互いセーラーの襟を直す関係でした。
物理的に制服の付け襟が立ち上がりやすく、肩をなでるようにして襟を直していました。たぶん私が直されることが多かったと思います。
もう少しわかりやすい話をすると、お互い高身長で背の順が近く、なんとなく感覚が合う仲だったんじゃないかなと思います。教室の端の柱の間でよく話していました。
2.ぬけがらについて
抜け殻
[意味]
①へビ・セミなどの,脱皮したあとの殻。
②中身のなくなったあとのもの。また、人がうつろな状態であること。
3.フォトグラメトリとバグ
フォトグラメトリとは3Dプリンタのスキャン・モデリングに使われる、写真からリアルな3DCGを生成する技術です。
光を透過したり反射するものの検出を苦手としており、半透明のポリ袋などの覆いをかぶせたものをスキャンしても、覆いが貼り付いたようなものとしてデータが生成されてしまいます。「そのままの姿をモデリングする」という本来の目的が達成できないというバグが生じます。
4.ぬけがらという価値創造
作者はフォトグラメトリのバグとして生じる「半透明の覆いが貼り付いたもの」を布にプリントして、3Dデータの形状に合わせて硬化し、「ぬけがら」と名付けて価値を生み出しました。そして、ぬけがらの生成を目的とした手法を「ぬけがらメトリ」と称しています。布の下に実体があるようで、実は表面に描かれただけの布。
かつてのバグ由来の独特のぼやけが、妙なリアリティを生んでいます。
こうして作者はバグに役割を与え、ぬけがらメトリとして生まれ変わらせることに成功しました。バグはバグでなくなったのです。
5.ぬけがらの標本とコメント
展示ブースでは、ぬけがらが標本のように飾られていました。
採集日、採集場所とコメントが付いていたのですが、あまりにも森田らしさ全開だったので「森田だー!」と叫びそうになりました。そもそも命名から森田の感覚が表れています。ぬけがらは漢字よりひらがなの方がかわいいし、ゆるさや不完全な様にマッチしています。フォトグラメトリから来たメトリも、ひらがなよりカタカナの方が技術手法だと分かりやすいです。
擬人化を得意とし、ゆるさを持ったジワジワくる面白さ、あの頃から変わらない森田のセンスを、プリントの裏ではなく都心の大きな展示会で見られる日が来るとは感慨深いです。
そもそも3Dスキャンの失敗データをぬけがらと形容したところに森田を感じます。熟考の末捻り出したなら見当違いで申し訳ないですが、「なんかこれぬけがらみたいじゃな~い?」からこの作品が生まれたところを想像してしまいます。教室で一人の机に集まって、藁半紙に色んなぬけがらを挙げて笑う光景が容易に想像できます。
バグによって生成された、求めていたものとは異なる要らないデータに名前を付け、「ぬけがら」という空っぽなものに命を吹き込む森田さん。かわいらしく遊び心ある展示で作品へと昇華していて素晴らしいです。
6.アイスのぬけがら
標本の中に棒つきアイスのぬけがらがありました。棒だけ本物を使っています。さすがに水色の四角では伝わりづらかったのでしょう。
この棒つきアイスという着眼点、かなりいいなと思いました。
それは溶けてしまう前のわずかな時間を切り取っているという点ももちろんなのですが、棒つきアイスの起源をご存じでしょうか。
それは昔、少年がジュースを外に置いていたら、翌朝の寒さでマドラーごと凍ってしまったことから生まれました。
まさにバグから生まれた新しい価値。ジュースをジュースのまま保存したつもりが、別のものになってしまったという事例から、棒つきアイスは誕生したのです。
その瞬間が3Dプリンタを介して新たにぬけがらになっているのですから趣深いものです。輪廻ですね。
7.採集前のぬけがら
展示では標本が飾られていましたが、採集時の様子の写真があったら見たかったなあと思います。お皿の上のアイスのぬけがらをピンセットで掴む森田。見たかったです。「一口かじられたたい焼きが脱皮し始めたら、食べ歩きしてた人もびっくりするよね~。」とか言いながら街角で採集している姿、動画で見たかったです。あんこも脱皮するなんて、ぬけがら博士もびっくりでしょう。本物のりんごの少し離れたところにりんごのぬけがらがあったら、生きているみたいでかわいいかもしれません。
8.あくまで布として捉えてみる
ぬけがらを布として捉えてみると、新たな発見がありました。
本物は、「ない」とも言えるし、「ある」とも言えます。
モノをそのままスキャンすると本物に近いものが作れます。一方、半透明の覆いを被せてスキャンすると覆いが貼りついてモノの要素が少しぼやけます。この、「本物に近いデータをそのまま物体として3Dプリントしたもの」と「覆いが貼りついたデータを布にプリントして形状を整えて硬化したもの」を比較して考えてみましょう。
そのままスキャンした前者は確かに本物のようでしょう。
しかし後者は布に出力することで「モノがぼやけているのは、布(=覆い)が被さっていて中が透けているから」という言い訳ができます。「布の下は本物かもしれない」という、無いものへの信頼が生まれる可能性があります。
ともすれば、ぼやけを許容できる分、そのままスキャンする方法よりも後者の方が「本物がある」と感じるかもしれません。前者には解像度の限界がありますが、後者はたとえ解像度が悪くても布のせいにして本物の存在をにおわせることが出来ます。4節では「バグはバグでなくなった」と述べましたが、バグだった成分が、認知における補完能力に良い働きかけをしてくれる可能性があるのではないでしょうか。
半透明の覆いを加えた入力と布への出力によって、
スキャンの層を一段上げ、実体の層の情報も絡めとる「ぬけがらメトリ」。
考える余白と奥行きを持った、非常に豊かな作品です。
9.よく知っている抜け殻
きっと森田の言うぬけがらは2節にある意味のうち「中身がなくなったあとのもの」を指すのではないかなと思います。「不要になった」というニュアンスはあまりなく、あくまで価値として提案しているように思います。ヤドカリのお引越しによって貝が一旦担当を降りるようなかんじ。貝には貝で価値があります。
対して、よく聞くのは「へビ・セミなどの,脱皮したあとの殻。」であり、水分がない殻の状態。カラカラしわしわで萎んでいます。THE 抜け殻。THE 不要。
もし「抜け殻メトリ」を作るならば、出力時に70%程度サイズを縮小して出力し、よりシワシワに折りたたんでみてもよいのかなと思いました。素人意見です。
10.人の顔のぬけがら
展示されていないものとして「人の顔のぬけがら」があるそうです。研究室でメンバーのぬけがらを各々が顔に当てて楽しんでいる写真を見せてもらいました。恐らく試作だったからなのでしょうが、ここでのぬけがらは硬化前のものでした。ぬけがらを当てる顔の凹凸によって微妙に表情を変えるため、それはそれで面白いものになっています。
ここで一度、勝手な自論における「ぬけがらと布」、「硬化前と硬化後」を整理します。個人の意見にすぎません。
ぬけがら:中身がなくなったあとのもの。
抜け殻:へビ・セミなどの,脱皮したあとの殻。不要になったもの。
布:奥に実体(本物)がある可能性を含んだもの。ぬけがらを含み、奥に実体がないとした場合が「ぬけがら」。
硬化前:立体情報を持たず形状は変容する布。
硬化後:立体情報を持ち形状は固定されている布。
自身の顔に他人の顔のぬけがらを被せるという行為の意味を考えてみます。
10.1狭義のぬけがら
上記の定義から、ありそうなことわざを作ってみました。
ことわざ
「他人のぬけがらを着る」
(硬化前のぬけがらとして)理想の要素を取り入れたとしても、自身の特徴によって如何様にもなる。結局は自分次第であること。
「他人のぬけがらを被る」
(硬化後のぬけがらとして)表面的に理想の姿になれたとしても、中身は変わらぬままであること。見た目に中身が追いついていないこと。
「他人のぬけがらを被る」は、「抜け殻」の意味を暗に含んでいたとしてもブラックな感じがしていいなと思います。黒胡椒みたいなパンチ力。元の持ち主からしたら要らないという程度のものなのでしょう。
10.2広義のぬけがら
人の顔×布(実体が存在する可能性を内包)についても考えてみます。
ただ、ぬけがらという言葉を使いたいので、布を広義のぬけがらとします。
かなり都合がよい話ですが、ぬけがらメトリによって生成されたものという点では同じですから、、ご容赦願います。
この場合、実体が存在する可能性もあるし、無い可能性も含んでいるというのがミソです。パペットマペットのあの黒子が、人の顔のぬけがらだった場合を想像してみてください。ぬけがらの奥に見える顔は、中の人物なのか、別人なのか、はたまた空洞なのか。
見えてるものが全てではないとも、見えてるものが全てとも取れ、
奥に在るという有と、空っぽという無を併せ持ち、その奥の存在すら曖昧な存在が出来上がります。
硬軟自由な性質を持って無と有を行き来する「ぬけがら」、だんだん仏教用語に見えてきました。
10.3人の顔のぬけがらの応用
(森田と話したことも含みます)
私は硬化前の、着ける人の顔の凹凸によって表情が変わるぬけがらに需要があるのではないかと思っています。
それは、外側と内側の要素が一体化するという特徴を持っており、新たなお面の形として提案されても良いくらい現代の多様性文化に合ったものと言えるのではないでしょうか。立体情報という余白は、「ぬけがら」という意味では、着ける人によって顔が変わるという遊びになります。「布」という意味では、布の奥に本物がいるような仕上がりになります。
布で覆われたプリキュアとして完成度の高いお面、面白そうです。そして生産コストも低いです。お面、ではないですね。おぬけがら誕生です。
最後に
ここまで長文駄文を読んでくださった方がもしいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。是非生で展示をご覧になってください。
もしご意見ご感想ございましたら、TwitterのDMでもLINEでもなんでもお待ちしております。
ちなみに私は認知神経科学系で嗅覚を扱った研究をしています。いつか香りを使って表現工学寄りの研究もしてみたいです。
展示特設サイト
「わたしのからだは心になる?展」
特別展示「バグのとなりで」(展示は終了しています)
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