自分についた傷と向き合う
去年ザクっと書いたまま、長らく下書き状態で放置してあった。
せっかくなので公開しておこうと思う。
どうやら私はこれまで、自分についた傷に気付かないフリをしていたらしい。
ちょっと、というかかなり長い間、わからなかった。
これまでなんとも思っていないはずだったことを反芻してはようやく傷ついて、"これまで気づかなかった"という事実にも傷ついている。
私がこれまで「普通だ」と思っていたことが実は「異常」で、これまでに何度も気付けるタイミングがあったはずだったのに、私が普通だと思っているせいで気付かなかった。
というより、気づかないようにしていた、らしい。
どんな物事にも言えることだけれど、人はなんだって「はじめて経験したときのこと」が地盤になる。
次に経験したときそれが基礎になって、そうしてできた地盤と基礎に家を建てていく。
地盤と基礎がしっかりしていれば、地震や災害に強い家が建てられる。
でもそうじゃなければ、強度もいまいちで見た目もそれなりの家が建つ。
よそ様の家も自分の家も、地盤や基礎は見えないから比較もしづらいし、なかなか気づけるきっかけがない。
そして何かの拍子で気づいても、実感がなくて対処が難しい。
むずかしいな。
人間には、よくできているというべきか厄介というべきか、「許容範囲を超えたストレスから身を守るために忘れてしまう」という機能が備わっているらしい。
実現困難な欲求や苦痛な体験などを無意識の中に封じ込め忘れようとすることである。抑圧は意識より深い心の深部(前意識や無意識)にまで押し込められてしまう。そのため基本的には思い出せなくなってしまう。思い出すには努力が必要であり、それほど悪い観念でなければ簡単に思い出せるが(前意識からの思い出し)、強い抑圧は無意識にまで押しやられているので思い出すのは困難である。
これまで抑圧していたものに気付いてしまった以上はゆっくり向き合っていくしかないのかなと思うので、時間をかけて消化していけたらと思う。
時間かかるだろうなぁ。
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