生きていたくなくなったら、生きてるもんの命を食らいやがれ。
自殺未遂の経験がある人となぜかよく親しくなる。辛い出来事があって本気で死のうとしたけれどなんやかんやあって死ななかった、神様に生かされた命なのでこれからは命を大切にして生きようと思っている、という話を、なぜかみんな僕の前で話し始める。自ら命を絶とうとすることは決して喜ばしいことではない。が、そういう経験をした人はどこか肝が据わっている。だから仲良くなれるのかもしれない。打ち明けられる総数だけでもかなり多いので、言わないだけで水面下ではもっと多いはずだ。僕自身には死にたいと思った経験は一度もない。だから本当のところは彼らの気持ちはわからない。僕は僕のような人間がどうやったらこの世界を生きられるのか模索するのに(いまも)必死だ。何もしなければ死ぬ状況を全力で回避しながら生き延びることに(いまも)必死だ。人生常時サバイバルだ。自分を生かすためにいろいろと頑張っている。僕のような人間がなんとか生き延びるためには、家を持たずに仕事を転々としたり、路上に座ってタロットを引いたり、空き家を改装してゲストハウスを作ったりしなければならなかった。「死にたい」なんて考えもしない。人一倍「生きたい」と思っているのでなんとかこうして生きている。「死にたい」と思った人の話は山ほど聞いても、「生きたい」とわざわざ思った人の話はあまり聞かないのはなぜだろうか。
「死にたい」とは思わないが、「こんな世界を生きていたくないな」と思うことはある。もしかしたら友達になれたかもしれない人がつまらない罠に引っかかってしまった時などによく思う。スピリチュアル、ネットワークビジネス、自己啓発セミナー、新興宗教、お金持ち信者、陰謀論。おいおいそっちは行き止まりだ。何もないから帰ってこい。馬鹿な大人ばっかり生きてる世界を次の世代に残すんじゃない。そんな世界を生きるためにおれたちは生まれてきたんじゃない。そう思って塞ぎ込みたくなることはある。そんな時、いつもふたつのことが僕を助けてくれた。ひとつは面白い本を読むこと。もうひとつは、生き物を獲って食べることだ。知らないことが書かれていそうな本を自分で買って読んでみた。食べたことのない生き物を自分で獲って食べてみた。たぶん、あの時僕を「生きたい」と思わせてくれた力の正体は「知性」と「野性」だと思う。読んでいて面白い文章には野蛮さがある。生き物を獲るには知恵と工夫が要る。発露の仕方はどうであれ、「知性」と「野性」の振り幅が異常に高いレベルで揃っていること。そういう人の存在が「生きたい」と思う力の源泉になった。
「何のために生きていますか? あなたの使命は何ですか?」と最近スピリチュアルの人に言われたので、「見てわかんねえのかこの野郎」と返した。僕は本当にこの手の人の勘の悪さに飽き飽きしている。見てわかんねえのかこの野郎。それをいまやってんだよ。使命というものをイメージする時、何か大袈裟なことをやらなければならないと思っているとしたらまだまだ修行が足りない。人を助けなきゃいけないとか、社会的に人から褒められることをしなくてはならないとか、他人から見てキラキラ輝いてなきゃいけないとか思っているならまだまだ修行が足りない。やりたいと思ったことをやる。自分で決めた道を一生懸命生きる。それでいい。神様は頭が良いから命令なんかしない。人間に何かやらせようと思ったら、やりたくなるように上手に誘惑する。だから人間はその時心からやりたくなったことをやればいい。神の思惑にまんまと乗って命を使ってもらうがよろしい。「わたしがやらなくては」みたいなのはだいたい勘違い乙だ。傲慢さもほどほどにしろ。もっとよく見ろ。周りをよく見ろ。全生命がすでに使命を遂行中だ。何をしていようと、地上のすべての生き物が、この宇宙で中心的な役割を担っているんだよ。
焦ることはない。時間はある。天然のうなぎ獲って食べようぜ。生きていたくなくなったら、生きてるもんの命を食らいやがれ。頂きますと言って頂いた命に生かされてきたことを思い出せ。何度死にたくなろうともいま生きていることだけが真実だ。そうして命を紡ぐことを、神様はとっくに許している。
内なる声に聴いた「家」を、本当に見つけてしまうまでのお話
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