生まれかわっておいで
私は母親の愛というものを知らない。
なんで?
私にもわからないけれど、気付いたら母親って存在は私にはいなかった。
亡くなったのか? 離婚したのか?
そんなこともわからない。別にどうでもよくて、聞くことも調べることもしていない。
私には大好きなおばあちゃんが母親代わりだった。
おばあちゃんのことが大好きだった。
母親の愛というのは、私にはおばあちゃんだった。
だから「母親」は私にはいらなかったのかもしれない。
年がいくうちに、自分には母親がいないということが気になっていた。
どんな場面でも友達には「お母さん」がいて、私にはいなかった。
悲しいとか、寂しいとかではなくて、それは、いつか結婚して子供ができた時、私はちゃんとした母親になれるのだろうか?という不安。
母親の愛を知らない私が、母親の愛を伝えていけるのだろうか?
実際、子供ができてみると、子育てはがむしゃらで、子供はあっという間に成長している。
そんな子供が、目が覚めて「ママ、ママ」と私を探している姿や、すぐ近くにいるのに「ママ、ママ」と甘える声を聞くと思い出すことがある。
おばあちゃんが乳がんの手術をすることになった時のこと。
手術の日、私はその場に立ち会えなくて、親戚の叔母さん(おばあちゃんからしたらお嫁さん)がついていてくれたのだけれど、麻酔から覚めたおばあちゃんが「夕雪は?夕雪は?」と私をずっと探していた。そう話してくれた。
子供が私を探すような声を聞くたび、その時のことを思い出す。
人はいつか生まれ変わるという話をよく聞くけど、もしかして……?なんて思ってしまう。
占い好きの私としては、守護霊はいて、それが私にはおばあちゃんであってほしいと、ずっと思っていた。
私を守っていてほしい! そう思っていた。
でも、もし。
子供がおばあちゃんの生まれかわりだったら? 私が子供を守るってことは、おばあちゃんを守るってこと?
「???」
いや違うぞ。
子供は小さいながらに、いつも私を守ってくれている。
「ボクはママの側に居るからね」
「大好きだよ」
まるで大人顔負けのセリフを言ったりして。
きっと大人になった時、もっともっと強くなった子供が私を守ってくれるに違いない。
それを考えると、子供がおばあちゃんの生まれかわりなら、やっぱり私はおばあちゃんに守られてるってことだ。
それは、なんて幸せなことだろう。
考えれば考えるほど不思議な話になってしまうけれど。
この話を書いていて、「そういえば春のお彼岸にお墓参りに行けてないな……」と思い出した。
自粛中だったから、出かけることを避けていたし……。
そんな気持ちがあったから、急にこんな不思議なことを思い出したのだろうか?
でもそれは動物でも同じことで、最愛の猫を亡くした時、「早く生まれかわっておいで」いつもそう思っていたものだ。
実際今いる猫は、体は同じような模様だけど、性格はまったく違う。
そう考えると、生まれかわりって本当にあるのかな?とも思う。
愛する人にずっと側にいてほしい。その思いが夢を見させるのかもしれない。
ともあれ、暑くなる前におばあちゃんに会いに、お墓参りに行ってこようと思う。
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#キナリ杯
こちらの企画に参加させていただきました。
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