言霊
人の言葉はすごい威力を持っている。
文章を書く者として、それはとても気になるところ。
私は昔からちょっとネガティブで、人の何気ない笑い話さえ胸に刺さることがあった。
人の言葉ですぐ傷つく自分。感受性が強いなんて言い方をすれば「まあ繊細なのねぇ」なんて、女の子らしくも聞こえるが、まったくそんなことではない。
むしろ、それが不便と感じることも多かった。
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中学生の時、叔母が亡くなった。
お通夜の席で親戚の叔母さんに「夕雪はねぇ」と、何気ないことを笑い話にされたことがあった。
その話に他の人も笑っていた。
叔母さんが亡くなったお通夜の席で、私のことを話し、笑っている。
「この人たちは、こんな時になんで笑っていられるのか」
亡くなった叔母の思い出話で笑うのなら、それも供養になるのかもしれない。でも関係ない私の話。
子供ながらに疑問だった。そしてショックだった。
今もハッキリ覚えているのは、その時のことを客観的に眺めているような感覚だったこと。
幽体離脱で寝ている自分を上から眺めている。よくあるそんな話と同じように、笑われている自分をどこからか眺めている感覚だった。
大人たちのそんな言動を子供ながらに『場違いだ』と感じた。
悔しくて、悲しくて、でもどこか冷静な自分。
そのことが原因ってことではないと思うけど、自分の言葉には気をつけようと思うことが増えた。
テレビに出ている人のように発言力があるわけじゃないけど、自分の言葉でもし誰かを傷つけていたら……そう思うと胸が痛い。
私と同じように小説を書く友人に、私の小説の書籍化が決まった話をした時
「自分は運がないから大成しないんだ」そう言われた。
私はその言葉を聞いてショックだった。
私の生い立ちや今までの仕事の苦悩などを知っていて、漫画家を諦めざるを得なかった過去を知っているから、今、自分のやりたかったことを実現し、やっとその一歩を踏み出せた。そのことを喜び、応援してくれると思ったから。
私は「運」だけで小説の書籍化が決まったのか。
いや、この人は私が「運」だけで……そう思っているのか。
そう考えたら、正直がっかりした。
その時も同じだった、あの時と。
電話で話しているはずなのに、その会話を別のところで聞いているような感覚。
冷静な自分。
その友人の書く小説は、私とはまったくジャンルも違うし、知識量も違う。
私はその人を尊敬していた。だからもし、その人が本を出すことが決まったら、ものすごく喜んだだろう。そう思っていた。
そもそも、その人と私は畑が違う。
比べることなんて出来ない。
目指すところが違う。
その前に「友達」だ。
でも、その人は喜んでくれなかった。
私の成功を「運」と言った。
悲しかった。
「運も実力のうち。そう言うじゃない」
そう思い聞かせても、その友人の言葉に傷ついている自分がいた。
この時に感じたこと。
人の何気ない言葉も、こんなに誰かを傷つけるのか……。
人のふり見て……ではないけれど、自分も気をつけなければ……そう考えることが増えた。
今は以前のネガティブな私はちょっと卒業して、なんでも少しプラスに考えられるようになっている。
そして少しシビアに。
友達のことを心から喜べないのは、それは友達ではない。
傷ついてやっとわかったこと。
先を見る私にネガティブはいらない。
物語を、文章を書く者として『言葉』の重みに意識を向けようと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。