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自分の力を信じて

私は自分に才能があるとは思っていない。

でも、叶えたい夢を叶える力はあると信じている。
なんだかんだと遠回りが多い人生だけど、叶えたいものは叶えられていると思っている。

漫画家も小説家もその一つだ。


漫画を描いていても、上手い作家さんはたくさんいて、私よりチャンスを上手くものにして、すごい才能を発揮している人は数えきれないほどいた。

生まれ育った環境を恨んで、嘆いていた時代。
でもそれは過去のこと。

小説を書いていても、ものすごく上手い作家さんはたくさんいる。
それは基本的な文章力ではなくて、その人独特なセンスというもの。
情景が見ているように心に入ってくるもの、間や感覚。言葉の紡ぎ方、美しさ。

それを目の当たりにすると、「こんな作品が書けるようになりたい!」と嫉妬に似た気持ちになる。でもそれは妬みや嫉みとは違う。
きっと、その人にはないセンスを私も持っているはず。というなんの根拠もない自信。たぶんそれが、過去と今の私の違いだと思う。

そう思えるようになったのも、昔のようながむしゃらに働いて、疲れ果てていた私ではないから。
あの時の私は、本気の嫉妬だったろう。それが自分の足を引っ張っていたのに気づいた。

今は少し、自分を信じてあげることが出来ているんだと感じる。


自分と同じ分野のことだけではなく、このnoteを読んでいて感じるのは、こんなにも才能がある人たちがいるのかということ。

歌の上手い人。
絵の上手い人。
文章の上手い人。
料理の上手い人。
インテリアセンスのある人。
手芸が出来る人。
アクセサリーなどを造れる人。

それだけではない。

誰よりも心配りが出来る人もすごいと感じる。

あげたらキリがないけど、すべてが才能なんだ。

才能を活かして生きている人なんて、ごくわずかだと思う。
それでも自分の才能を世に出そうと、気付いてもらいたいと、チラチラ顔を覗かせている人はごまんといる。

そういう人たちに触れると、本当に興奮するし、自分を奮い立たせる気持ちになる。
私はまだまだだ! もっと勉強するぞ!って。


だけど、そんな才能がありながら、力を出し切れない人をみると「もったいない」と無意識につぶやいてしまう。
だってだって、そんな才能があるのに使わないなら、私にくださいよ!って言いたくなるから。

前の記事にも書いたが、友人に手芸がとてつもなく上手い子がいた。
「それを仕事に出来るようにネットで販売すればいいのに」と私が言っても、「これを仕事にすると、やるの嫌になっちゃうから」と返事が返ってきた。

「もったいない」

好きなことを仕事に出来るなんて最高!
私ならどんなことも苦にならないし、ちょっと熱があろうが頑張れちゃうのに!
この間なんて小説のコンテストの締め切りがあって、間に合いそうにないと焦って徹夜したよ。この年で徹夜とかかなりキツイけど、出来ちゃったもんね。
なんて、少しの無理くらいはむしろウエルカムだ。
それくらい好きなことで生きていけるなんて幸せの何物でもない。

だけど、こんな熱量なのは私くらいで、当の本人は「ムリムリ」と言う。
この温度差。

そんなことが私の周りでは数人いて、「そんな才能があるのにもったいない!」と、いつも感じていた。

だから、自分の夢を叶えたいと思った時、行動しようとしている人の手を止めるような発言は、私は許せなくなるんだ。

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私の義理の妹がアクセサリーなどを製作して、インスタグラムに載せている。
地元のショップで委託販売もしているらしい。

アクセサリーを作って販売するって、最近では案外たくさんの人がやっていること。ネット販売って今はサイトがいくつもあって、自分の出来ることを販売するなんて当たり前になっていて、チャンスはいくらだってある世の中。
私にしたら本当に羨ましい時代だ。昔はそんなのなかったもん。

そんな中で、義妹はQRコードを貼った素敵な名刺を作っていた。

とても明るいお花の画像。お店の名前。その名前の由来。

どれをとっても、明るい義妹にピッタリで、とてもセンスを感じるものだ。

「頑張って作ったんだな」

好きだから色々出来ちゃう気持ちはすごく分かる。

俄然、応援したくなった。

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以前、夢について話してくれたことがあった。

鎌倉に小さなショップを持ちたい。

そこで自分の作ったアクセサリーを売る。

ここら辺がいいかなと家賃まで調べていたことがあったそうだ。

だけど、当時付き合っていた彼が「そんなの売れない」と否定的だった。
相談をしていた叔母さんにも反対され、「ちょっと心が折れた」と言っていた。

現実を見れば、安定した職についた方が利口だというのはわかる。
平凡な毎日でも毎月確実に稼ぎがある方が安心だ。

そう思うのは年をとった証拠だよ。だって私もきっと息子には『安定』を求めてしまうだろうから。親ならそう言うかもしれないよね。

でも、他人がその人の夢を否定する権利があるのだろうか?

もちろん失敗するかもしれない。

成功するもしないも、その人次第。

あきらめる必要なんてないと思う。

まぁ、こんなこと言えるのも今の私だからであって、生活のためにがむしゃらに働いていた当時の私なら「何きれいごと言ってんの」って文句の一つも言っていたかもしれない。

好きなことだけじゃ、ご飯は食べれないもんね。

だから私は漫画家を諦めてしまったわけだし……。

でもだからこそ、そんな私だからこそ言えることがある。

私のように、何度も遠回りしてやっとやっと夢を叶えることだってある。だから、あきらめたりしないでほしい。

自分の彼女の才能を信じることが出来ない彼とは別れて正解だったよ。と、ちょっと辛口に言ってみたりする。

だって! 今は素敵な旦那様と結婚して、旦那さんが経営する沖縄料理のお店を頑張って手伝っている。
もちろんそのお店には、彼女の作品のアクセサリーも並んでいる。

前に義妹に「夕雪ちゃんは才能があっていいな」と言われた。
私が言ったのは「〇〇ちゃんだってアクセサリー作ったり出来るじゃん。すごい才能だよ」

でも私が言う前に、彼女の旦那さんが「〇〇だって才能あるじゃん」そう言っていた。
私は聞き逃さなかったよ。
なんて良い旦那さんなんでしょう!

今は子育てしながら、お店の手伝いで忙しい毎日だけど、いろんなことが落ち着いたら、『自分の店を持ちたい』という夢を叶えてほしい。

私が出来ることなら、なんでもしようと思う。


謙遜なんて必要ない。

自分の力は自分が一番信じてあげなくては。

それが夢を叶える一歩だと思う。

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私と同じように小説を書く友人は、とにかく頭が良くて、たくさんの知識を持っている。
その知識を活かして、「ミステリーとかサスペンス」を書いてみては?と話したことがあった。

だが、「アガサ・クリスティを読んで、私にはとても書けないと思ったんだよね」そう言っていた。

いやいやいや、誰と自分を比べてる!?

そういうことじゃなくてさ。

同じような作品を書けってことじゃなくてさ。

自分にしか書けない推理小説を書けばいい。

それが才能ってもんじゃないの?

マネしろっていうんじゃなくて。

そんなことを言ったら、私の作品なんて世に出していいものだった!?と疑ってしまうよ?笑

私は私で、自分の考える作品、アイディアを信じている。それを面白く読ませるテクニックがまだまだ足りないだけで。

自信と自惚れは違うと思う。

だから自分の出せるめーいっぱいの力を出して、自分の才能を信じて頑張っていきたい。

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自分の力を信じて生きていこう。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。