自分を優先していいんだ
思い返せば、私は今まで、いつも誰かを優先してきた。
生きているんだから自分ばかりを優先して自分勝手には出来ない。
でもそうじゃなく、『自分が生きるのに、誰かを優先してばかり』だった。
そのことを大きく引きずっていたのは、やはり昔のことが原因だと気付いた。
家族のために夢を諦めなければいけなかった。
そのこと。
それが私の意識の多くを占めていた。
学生の頃、大みそかの晩、TDLでオールナイトで年越ししようと友達に誘われた。でも私には母親がいなかったから、おせちを作ったり、年明けのお雑煮を作ったりしなければいけなかった。だから友達の誘いよりも家族を優先した。
それはお彼岸、お盆の時期もそうで、年末年始のご挨拶もそうで。そのために自分の用事を入れることができなかったし、社会人になっても休みの土日にそんな用事が入ってしまえば、そちらを優先していた。
親がやるようなことを10代の頃からやっていたし、周りも私がやるのが当たり前と思っていたに違いない。
漫画家を続けていけなくなってしまったのも、家族の生活を支えなければいけなくなったから。
今思えば、環境的に自分を優先することはできなくて、いつの間にかそれが当たり前になってしまっていた。
それは一人で生きていくことになっても、好きなことをして生きるということは出来なかった。
気持ちも物質的にも、そんな余裕はなかった。
結婚し子供が出来た今も普通に生活はあって、決まった時間に仕事へ行く主人、決まった時間に子供を幼稚園へ連れて行く、そして迎えに行く。
主人が帰ってくるまでに夕飯の支度。
もちろん『決まった時間』というものは存在するが、それは自分を優先していないのとは違う。
独身の若い頃のように、好きな時に寝て、起きて、好きな時に食事をして。そんな自堕落な生活とまではいかないが、今の生活は生きていくうえで、心の余裕がある。
前置きが長くなってしまったが、なんでこんな話をしだしたかと言うと、私の大好きなYouTubeの占い動画を見ていて、最近とにかく聞くのが「自分を優先して」というワード。
「自分の好きなことをする」
「自分が昔あきらめた何かをもう一度挑戦する」
「誰かのためではなく、自分のために生きる」
「”誰か”ではなく、自分を優先する」
そんなことを聞くことが多かった。
「あれ? こんな話この間も聞いたな」そう思うことが増えた。
それを考えだしたら、そういえば私って自分のために生きてきたっけ?そう思った。
もちろん生きていくために、自分の生活のために仕事をしていたけど、果たしてそれは自分が望む生き方だったのかな?
疑問ばかりが生まれた。
若い頃から自分のことより、周りを優先して生きてきた気がする。
今日は遊びたいから仕事休みます。とか、私それはイヤなので違うことします。とか、そういう自分勝手なことではない。
『夢を追いかける』ということ。
それを今、もう一度優先していい時がきたのかな?と思った。
小さな子供がいる今は時間の捻出も大変だけれど、自分の時間がまったくないわけではない。そんな時間を使って、自分のしたいことをしよう。
こうやって文章や小説が書ける時間があるだけで、私は幸せなんだと気付く。
誰かを優先しない数時間。
それがあるだけで幸せなんだ。
自分を優先していいんだ。
そう気づけたことは、新たな一歩なのかもしれない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。