世界初? 台湾で発見「安倍晋三記念銅像」
11月中旬の高雄旅行で必ず足を運ぼうと思っていたのが、街の中心から少し離れた場所にある霊廟「紅毛港保安堂」。9月下旬、こんなニュースを耳にしていたからだ。
安倍さんって台湾ではかなり人気だと聞いてはいたが、だからといって銅像までつくっちゃう? 安倍さんのなにが、台湾人をここまで魅了するのだろう? 私は特定の支持政党や政治家がいるわけではないが、せっかく台湾に長期滞在しているんだからと、この、日本人にとってはモヤモヤ感を禁じ得ない紅毛港保安堂を訪れることにした。
個人的にとっても面白かったので、本投稿は長めです。お急ぎの方のために動画も作ってみました↓
*
紅毛港保安堂は高雄の空港にほど近い、やや郊外といえる場所にあった。街の中心部から地下鉄「紅線」で草衙駅へ。ショッピングモールを通りぬけ、歩行者をほぼ見かけない工業団地を歩く。その先の住宅地をさらに進むこと計25分、目的地がみえてきた。
紅毛港保安堂の第一印象は「なんだか青い!」。台湾の霊廟は赤い色使いをベースに装飾されていることが多いので、この青さだけで既に「おや、普通の霊廟とはちょっと違うぞ」という感じを受ける。
さらに近づくと……いたいた、等身大の立派な安倍さん!
廟名の印刷されたTシャツを着たおじさんがいて、一生懸命銅像を手入れ?している。銅像の表面、安倍さんの背広にあたる部分は大きめのタオルで拭き、襟の裏側はわざわざ別のブラシで磨いている。
銅像、よく似ている。
安倍さんって最近はさすがに60代後半に入って頬も垂れ、いよいよ岸信介感が増していた。この銅像はそれよりはちょっと前の、第二次政権の初期の安倍さんを再現しているように思えた。左胸には拉致被害者の救出を訴えるブルーのバッジ。このあたりも結構リアル。
3年ほど前に東京駅で安倍さんを見かけたことがある。地方訪問から戻った天皇皇后両陛下の出迎えだった模様。後ろからみると背筋がすっと伸びて姿勢がよく「意外と背が高いんだな」と感じた記憶がある。銅像もすっとした立ち姿で、私が目撃したあのときの雰囲気がうまく表現されている。
入念に「安倍磨き」するこのおじさん、私が日本人だとわかると嬉しそう。「ちょっと待ってて。磨き終わったら中でお茶でも飲もう」。どうやら話が聞けそう、やった。
といいつつ、まだかなり時間がかかりそう。手は動かしてもらいつつ話を聞くことにした。
私「安倍さんがしたことのうちで、一番好きなことはなんですか?」
おじさん「①インド太平洋構想を打ち出したことと、②『台湾有事は日本有事』と発言してくれたこと」
私「ほう…」
おじさん「それから③台湾に(新型コロナウイルスの)ワクチンを提供してくれたこと」
……だそうです。
インド太平洋構想は正式には「自由で開かれたインド太平洋」構想という外交戦略のこと。安倍さんが首相在任中に打ち出したもので、外務省の資料によれば
…することをめざす構想だ。
聞いたことはあったけれど、日本人にとっては「ああ!それね!」とピンとくるほどの超目玉政策ではなかった気がする。
ただ、この外交戦略は中国(=中華人民共和国)の軍事的な台頭を意識したもの。インド洋と太平洋をつないでこの地域全体の安定をめざすこの構想は、台湾人にとってはけっこう大きい話だった、ということなんですかね。
2つ目の「台湾有事は日本有事」は退陣から1年以上経った2021年12月の発言。正直あんまり言葉に重みがない気もするが、台湾人からしたら、好きな人に「あなたの苦しみは私の苦しみ」って言われたら嬉しくなるってことなんだろう。
3つ目に挙げていたワクチン供与が、個人的には一番「なるほどね」と素直にうなずける理由かも。
銅像の足元や後ろに掲示された幕には「台灣永遠的朋友=台湾の永遠の友人」と書かれていた。「安倍さんの記念銅像はココが全世界で初めてなんだ」。そう話しながらも銅像を磨き続けるおじさん、とっても誇らしげ。
*
廟堂に入って、この廟の運営に携わる別のおじさんにもう少し詳しく話を聞いてみた。
この廟では安倍さん死去の一報が伝わった翌日には追悼台を設置したらしい。それから数カ月、安倍さんのニュースを知り、いてもたってもいられなくなり、どうにか弔問の思いを行動として表現したい台湾人の受け皿になってきた。
銅像制作に要した費用は約78万元。隣に設置してある安倍さん揮毫の「台湾加油」の石碑も約80万元、松の木と周りの庭園風の空間整備にも120万元かかった。
すべてあわせて300万元弱(約1300万円)の費用は、全額を弔問客らの寄付でまかなったとのこと。すごい。廟内には寄付した人々の奉加帳も置いてあった。
それにしても、なぜ台湾の、しかも首都台北から遠く離れた高雄、さらには高雄のなかでも郊外にあるこの廟が、安倍さんの銅像を制作することになったのか。
このストーリーが結構おもしろい。
*
この紅毛港保安堂、もともと日本と深い関係をもつ廟だった。なにせ祀っているのは第2次世界大戦で米軍に撃沈された日本の軍艦「蓬」と、その艦長・高田又男大尉なのである。
そう言われてみると廟の入り口には富士山が描かれているし、和服を着た女性が扇子を持って何やら舞を披露している絵もある。廟に一歩足を踏み入れると、人感センサーが作動して「涙そうそう」が聞こえてくる。
ただし、実はこの霊廟、自分たちが祀っているのが日本の軍艦「蓬」と、その艦長・高田大尉なのであると確認が取れたのはごく最近のことらしい。
紅毛港保安堂の始まりは終戦直後にまで遡る。
建立の最初のきっかけは高雄・紅毛港の漁師たちが漁網に引っかかった頭蓋骨を供養するために小さな祠をつくり、神棚に祀ったことだった。当時この漁村には、漁に出ているときに人骨を引き上げたら、丁寧に供養すべしという言い伝えがあった。
教えの通り供養してみると、不思議なことに大漁・豊作が続くようになった。これはありがたいと、もともと草葺の小屋の一角に設けられた祠は少しずつ大きくなり、いつしか廟と呼ばれるほどの規模になっていた。
(ここからは私の中国語スキルでおじさんから聞いた内容ではやや心許ないので、あとから見つけた廟関係者の資料をもとに紹介します↓)
自分たちが供養している頭蓋骨が、どうやら日本人のものらしいとわかったのは終戦から20年以上も経ってからのこと。
ただ、この段階でも確証は得られていなかった。「おそらく日本の軍人の頭蓋骨っぽいし、大漁豊作をもたらしてくれているは確か。ひとまずしっかり祀っておこう」というくらいだったのだろう。
それからまた50年ほどが経過して、話が急展開するのは2018年。
*
いやー、すごい。おもしろい。
おじさんいわく「昔から日本に親しみをもって廟を運営してきたので、安倍さんのニュースを聞いて銅像を作ろうと思うのは自然の成り行きだった」と。
台湾の廟って本当にいろんなものを祀っているけれど、こういうパターンもあるんですね。そしてその縁でまさかの安倍晋三像まで作っちゃうとは。なんでもアリなところが面白いし、この安倍晋三像がこの廟を今後どのように変えていくのかも興味深い(おじさんによると日本人訪問者は確実に増えたらしい)。
*
話を聞いていたらいつのまにか14時近くになっていた。腹も減ったし帰るかなと思ったら、おじさんたち「昼メシ食べていくか?」。廟堂の裏手にある休憩スペースに連れていってくれて、お茶と昼食を振る舞ってもらうことに。
この日の貴重体験はまだ終わらない。
昼食をいただいていたら、かなり高齢と思しきおじいちゃんが三輪バイクで颯爽と現れ、食事の席に加わった。「あなた日本人?」と日本語で話しかけてきた。
聞くと昭和6年2月14日生まれの91歳。ちょうど私の祖父と同い年の男性だったので、「私の祖父と同い年ですよ」と中国語で返事したら?????という顔をされた。
どうやら日本語と台湾語しかできず、中国語は得意ではないらしい。もうだいぶ耳も遠くなっているようだったが、ここからは敬意も込めて日本語だけで話すようにした。
「俺は日本人だったんだ。当時のものはほとんど何も残っていないが、これが証拠」
そういって見せてくれたのは「臺灣公立高雄州鳳山西國民學校」の、高等科の修了証書。昭和20年(1945年)3月20日、終戦まで半年を切っている時期に、中野義一校長によって発行されたもののよう。
とっても貴重な文書だと思うが、現代風のラミネート加工が施されている。まあ、自分の卒業証書なんて、当人にとってはそんなものか。
私は12年前にも台湾に来ている。このときはただの旅行だったが、街角に腰を下ろしておしゃべりしているおじいちゃんおばあちゃんたちが、こちらが日本人とわかるや日本語で話しかけてくることが結構あった記憶がある。
50年間続いた日本の台湾統治が終わったのは1945年夏。1930年代の前半生まれくらいなら、学校で日本語教育を受け、いまも日本語が頭のなかに残っている。
1930年代前半生まれというと、12年前には75〜80歳だった。それが現在は大部分が既に90歳前後。日本統治時代を知るひとは、この10年でかなり少なくなったろう。
こういう年代の台湾人とじかに接するのは、日本人にとって本当に本当に貴重な経験だと思う。その最後のチャンスを、安倍さんにもらった1日だった。
【2022/11/26の日記】
統一地方選の投開票日。
これ以降はこちらの投稿に記したとおり。
机に向かっての勉強時間はゼロ。