知れば知るほど楽しい 台南ひたすら廟めぐり
台湾で街歩きしていると「犬も歩けば」的に遭遇する廟の数々。なにかをまつっているのはわかるけど、では何をまつっているのか、それぞれの廟にどんな違いがあるのかは分からない。結果、あまり楽しめない→せっかく台湾にいるのにもったいない。そう思っていたところ台南在住の歴史研究者、黒羽さんのこんなツイートに目が止まった。
これは参加しなきゃ!
以下、この廟めぐりツアーに参加し、学んだことを備忘録として書き留めておく(あくまで私の個人的な理解であり、体系的ではありません。勘違いも少なからずあると思いますのでご注意を)。
(1)廟ってなんだ
廟は中国語では廟(庙、miào)。辞書をめくってみれば「祖先の霊をまつるところ」「高貴な人を祭ったやしろ」などと書いてある。
日本では「お寺なら仏様」「神社なら神様」と、まつられているものはだいたい決まっている。一方で中華圏の廟においては、まつられているのはその廟によって各種各様みたい。
たとえば台湾にも大陸側にもあちこちにある「孔廟」は、儒教の創始者である孔子をまつったもの。
400年以上前に創建された台南の「大天后宮」は海の安全をつかさどる道教の女神「媽祖」がまつられている。その近くには三国志の英雄、関羽をまつった「祀典武廟」もある。
このまえカメラ散歩した神農街の奥にあった「藥王廟」はその名の通り薬の神様をまつっていたらしい。「天壇」というところに至っては道教の神様が20以上勢揃いしていて、参拝客は健康・縁結び・安産、自分のニーズに応じて神様をワンストップでお参り可能。いわば神様の総合デパートですな。
世界史の教科書にも出てきた鄭成功を神様の一人としてまつる「三老爺宮」というのもある。ただし鄭成功は清朝に抵抗した軍人だったので、清朝の時代にはこの三老爺宮では鄭成功をまつっていることをあまり大きな声では打ち出せなくなり、隠れキリシタン的な地下信仰の舞台になったらしい。
ちなみに台湾には神様をまつる「陽廟」のほかに、事故や戦死など無念の死を遂げたりちゃんと供養してもらえなかったりといった死者をまつる「陰廟」もあるとのこと。陰廟は死者の怨念がただよっていて、日本でいうところの「霊感がある」ひとは、ちゃんと「あ、いる」と感じるらしい。
(2)神様違えば廟も違う
ということなので、廟を訪れたら、まずは「この廟はなんの神様をまつっているのだろう?」「その神様はどんな御利益をもたらしてくれるんだろう?」と考えてみるのが良さそうだ。すると、廟ごとの違いもみえてくる。
たとえば医療の神様がまつられているらしい廟では、こんなのがあった。
これ、基本的にはおみくじ。ただ、同時に処方箋でもある。自分の体で悪いところがあれば、「内科」などその症状に応じたおみくじをひく。くじには処方箋のように漢方薬の名前が書いてあり、これを持ってそのまま近くの薬局にいくと、このおみくじに書いてある漢方薬を売ってもらえるとのこと。
学問の神様がまつられている廟には、日本でいうところの絵馬の紙版がべたべた貼られていた。目を凝らしてみると、受験予定の大学名と、入試の日程、受験番号まで書いてあったりする。
「◯◯大学に合格できますように」なら東京の神田明神あたりでも絵馬を見かけそうなものだが、ここまで具体的には書かないよね。ちゃんと具体的に書いておかないと神様も誰のことなのか判別できず、御利益をもたらせない、と台湾人は考えるそうです。
(3)誰が揮毫している?
廟に入ると、天井や梁のあたりに筆で書かれた大きな文字が掲げられている。これを揮毫したのが誰か、というのが、その廟の格を示しているらしい。そこらへんの地方議会議員という場合もあるだろうし、町内会長みたいなクラスの人の場合もあるだろう。もちろん最高位は誰かというと、台湾の最高実力者・総統だ。
なお廟めぐりでまわったなかでは現総統の蔡英文をたくさん見かけた。
この揮毫は、廟が改修されたり、なにか大きな出来事があったりしたときに寄贈されるとのこと。
政治家からすると人々の信仰や生活と密接する廟の目立つ位置に揮毫を掲げてもらえれば、票集めのアピールになる。廟からすると有名政治家の揮毫をもらえれば自らの廟の信頼性・正当性を訴える材料になる。
李登輝はいくつか見つけた一方、蔡英文の1代前の総統である馬英九の揮毫はあんまり見かけなかった気がする。たまたまなのか、それとも馬英九は中国に対する融和的な政策で市民からの支持を失ったままで、廟側もあんまり氏の揮毫を掲げておきたくなくなったのか。そのあたりはよくわからない。
台湾では11月に統一地方選があるらしいが、その前後でこの廟に飾られた揮毫に変化があるか、観察してみるのも面白いかもしれない。
(4)寄付リストを眺めてみる
このほか個人的に面白いと思ったのは改修時の寄付リスト。
言うまでもなく日清戦争の勝利から第二次世界大戦までの約50年のあいだ、台湾は日本が統治していたわけだが、この期間に行われた改修工事の寄付者リストには日本人の名前がたくさん載っている。
たとえば「祀典武廟」のコレは「昭和八年八月」と書いてある。私の祖父は昭和6年(1931年)生まれなので、その祖父が2〜3歳のときに作られたものなのだと考えると感慨深い。当時は日本統治時代が始まってからすでに40年近く経っていたので、日本人がもうかなり台湾社会に入り込んでいたのだろう。
ぱっとみただけでも豊田常治さん、河合勝太郎さん、田中慶太郎さん、東昌行さん、鈴木洋行さん(これは貿易会社の社名かも)など。あとは松田カサさん、鈴木ツチさんなど、女性と思しき名前もちらほら。時代が時代だけに、これは料亭の女将なんじゃないか、とのことだった。興味深い。
(5)廟と廟が交流
ある廟で見かけたのは、同じ色のポロシャツを着た集団が、なにやら導師みたいな人と儀式を行っていた様子。このポロシャツを着ていたのはどこか地方にある廟の関係者グループのよう。この日は台南のメジャー廟に集団出張でやってきて、この廟から何かしらのパワー?をもらっていたようだった。
白い服を着た導師の後ろにいるおじさん、直前までなにかしらの神様が「おりて」きていたようで、ぶるぶる震えたり全身を揺らしたりしていた。しばらく導師がお経かなにかを唱えていて、最後にこの赤い布をとってまた何かを言っていた。
おそらくだが(本当にただの推測)、赤い布の下にあったのはこのポロシャツ集団の地元の廟でまつっている神様の分身で、この導師はこの台南の廟の神様のパワーを分けてあげていたのではないか(本当にただの推測です)。
言われてみると、さっきの寄付リストには個人名や会社名だけじゃなくて廟の名前も書かれてあった。おそらく廟同士での交流があるんだろうなと思わされた。
田舎から来たと思しきグループはおそろいのシャツに自分がどこの廟から来ているかを書いているので、それをググってみて、「ああ、このひとたちは◯◯市から来たのか。バスで来たのかな、電車で来たのかな」と彼らの旅に思いを馳せてみるのも楽しいかもしれない。
(6)脇役たちもキャラ豊か
今回はほんの一部しか学ぶことができなかったけれど、まつられている神様を守っている脇役たちのストーリーに耳を傾けるのも楽しそう。
写真の右側にいる白い装束の彼は「謝將軍」。左側は「范將軍」 。彼らはもともと宮廷の役人だったのだけれど、あるとき何かしらの理由があって橋の下で待ち合わせをすることに。ところがちょうど大雨が降っていて、川は増水。ところが先に着いた范將軍は
約束を破るわけにはいかないと、その場を離れなかった。で、溺れて死んでしまった。
あとから謝將軍が遅れて現場にやってくるのだけれど、范將軍が自分との約束を守ろうとして死んでしまったことに気づく。なんでだよ! 取り乱した謝將軍は范將軍を追いかけ首を吊って自死する。このふたりの友情・義理深さに感動した当時の皇帝が、彼らを神様の世界の護衛とした――。
みたいな話があるらしい。言われてみれば謝將軍はとっても悲しい顔をしている。
こういうストーリーを知ったうえで像をみると、ちょっと違って見えてくる。たとえば謝將軍はどうして舌をぺろっと出しているのだろう? 首を吊って死んだとネットには書いてあるけれど、実は舌を噛み切って自殺した? そのあたり想像するのも楽しい。
と、まあ、やはり知れば知るほど廟めぐりは楽しいのであった。
黒羽さんのこのツイートを見ていただければ分かるが、とにかく台南には「犬も歩けば」的に廟がある。これはやっぱり楽しむしかない。
結局私たちは9時から17時ころまで8時間でこれだけの廟をめぐったそうだ。楽しかったけれど、疲れた、けれど勉強になった。
【2022/09/10 の日記】
そして前述の通り廟めぐり。
廟めぐり=路地裏めぐりともいえる。猫もいた。かわいい。
机に向かっての勉強時間は0時間0分。