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生きる(孤独)

神田沙也加さんがホテルから転落亡くなる、舞台の真っ最中だったようだ。ご冥福をお祈りします。お母様は丑婆の一つ歳下の、超アイドルだった有名人である。
我々の世代は、お母様の髪型を真似したものであり、今でも彼女の歌を口ずさめるのは、当たり前である。
恋多き女性であり、超アイドル男性歌手と付き合い、生まれ変わってもお付き合いをするといっては、破局した。
そして女性を口説くのが得意であった、男優と結婚、沙也加さんが生まれた。結婚中もバックダンサーと不倫をし、色恋沙汰もステイタスとして、スターの道を爆進していった。12年間の結婚生活でピリオド。
その後はビビビときた?という名台詞で歳下の歯科医と結婚、アメリカ生活を送り、浮気で離婚、その後、またまた歯科医と結婚して
現在に至る。
俳優のお父様は離婚は独身をとおされている様子。
神田沙也加さんは、超アイドルのお母様のお母様(沙也加さんのおばあちゃん)が育て、全寮制の学校に通っていたらしい、そこで壮絶なイジメにあった。

15歳の時2001年に芸能界デビューをされた。

宇多田ヒカルさんが15歳で(藤圭子さん)デビュー、それに対抗してデビューさせたとかなんとか……

丑婆世代は、神田沙也加さんのお母様に関心があり、当時の女性週刊誌のゴシップネタは、よく見ていた。

神田沙也加さんのお母様は、女性達にとって、羨望と嫉妬の的であった。

可愛子ぶりっ子という座右の銘で
エンタメで成功、3度の結婚、歳下の男性との不倫、そ子供も授かる。
丑婆世代の母親は、我慢して働き子育てをし、自分の好きなことは後回しにし、母親としての役割を優先として共働きが主であった。
そんな中で、神田沙也加さんのお母様は、女性の欲しいものを全て手に入れている感じがした。

沙也加さんのお母様は女性にとっては、賛否両論のある大スターである。

丑婆は、基本的には、沙也加さんのお母様のタイプは苦手であった。私の個性には絶対にない女の魔性があった。

神田沙也加さんが、お母様の肝入りで歌手デビューするが、上手く行かず、超有名母親からの脱出をかけてや紆余曲折し、ミュージカル女優としての地位と名声を手にいれた。お母様の遺伝なのか、歌は非常に上手い!彼女なりの努力もあったのであろうと強く感じる。

超有名人の子供ほど過酷なことはない、親を超える2世とはとてつもなく困難である。

神田沙也加さんは、デビュー当時から、淋しい目をしていた。
どんなに笑っていても、楽しくしていても、さみしい目をしていたように私には映った。

これは、私の勝手な投影である。
誰もわかってはもらえない孤独
幸せそうにみえるだけの孤独
一人ぼっちの孤独
孤独と言えぬ孤独
丑婆は自分の幼少の孤独を沙也加さんの目に感じていた。

なんの根拠もない、ただ私の一方的な思い込みである………

どんなに頑張っても勝てない親
パワーが強すぎる親
超有名人の親
親が親の役割ができない親
自由奔放な親
自分中心な親
承認欲求が強い親
金に困らない親

子供中心に生きることができない親

そんな親ガチャに当たったら??

それは毒親ではなかろうか?

色即是空 空即是色🙏

#神田沙也加さん #孤独
#毒親 #母親